第31話 本音のぶつかり合い


 雪音の声が玄関に響き渡る。

 雪音は顔を歪ませ、目尻に涙を浮かべて俺のことを見ていた。


 俺は頭が真っ白になって、雪音になんて返せばいいのか分からない。

 間違いなく今言えることは、俺の心の中はぐちゃぐちゃで、普段考えないようなことばかり考えていて。

 気づけば手に力が入っていて、拳を作っていた。


「私、自分が変なの分かってる。兄さんは最初から私に妹として接してくれたことも分かってる」


 雪音がぽつりと言葉を紡ぐ。


「……でも、私兄さんのこと好きになっちゃったんだもん。兄さんのこと独占したいって思うくらい、好きになっちゃったんだよ」


 今にも消え入りそうな、か細い声。

 それでも、その瞳はまっすぐ俺を見ている。


「私は兄さんが好き。異性として好き。兄さんには私以外の女の子と一緒にいて欲しくない。私だけ見て欲しい」


「雪音……」


 雪音のこの気持ちは、本物だ。

 俺は今まで、兄であるという視点からしか雪音のことを見ていなくて、この真っ直ぐな思いを受け流してた。いや、兄としてはそうするのが正しかった。


 しかし、もう受け流すことなんてできるわけがないほどに大きく、雪音が正面から俺に気持ちをぶつけてきている。

 否応なしに、考えさせられてしまう。


「(……でも、雪音は俺にとってずっと望んでいた兄弟だ。それに俺は、伊万里と……)」


「ねぇ兄さん、兄さんは私のこと好きじゃない?」


「そりゃ……好きだよ」


 当たり前だ。

 雪音のことが好きだから一緒にいても嫌じゃないし、正直な話毎日が楽しい。


「それは異性として?」


「っ! それ、は……」


 雪音の真剣な眼差しから逃れることができない。

 きっと雪音のこの質問に対して、いつものようなはぐらかす回答は許されないんだろう。


 冗談の入る余地もない、切迫感のある沈黙。

 俺の頭の中でグルグルと考えが巡る。


 

 ――伊万里はもしかしたら、俺のことが好きかもしれない。


 ――伊万里に宣言した、兄弟でありたいと。


 ――雪音は俺のことを好きでいてくれている。


 ――父さん母さんはどうする。せっかく家族になったのに。


 ――俺は何を求めてる。


 ――雪音には幸せでいて欲しい、ただ……。


 ――伊万里はどうなる。俺は伊万里とどうしたい。


 ――付き合うのはどうかな?


 ――三好くんが悪いんだよ。


 ――私は兄さんを、愛してるんだよッ!!!


 ――それは、異性として?


 ――好きだよ、兄さん。



 どこからともなく、時計の針の音が聞こえてきた。

 カチッ、カチッと規則的に、ただ時間を刻む。


 人間は変化を嫌う生き物だ。変わるのはリスクを伴うし、その過程において傷つくことなんてザラだ。

 現状維持がいつだって一番いいし、現状に不満がそこまでないなら、変わらない方がいい。

 それゆえ、人間は変化を嫌う。


 今日も時計の針と同じように、規則的に生活は過ぎていく。

 ある日を境に、一秒の長さが変わったりしないし、気まぐれで止まってみたりもしない。


 明日も同じように過ぎていけばいいと、俺は思う。

 俺は未来を考える。この先何十年と続く、未来を考える。


 正しく規則的に、軋轢を生まないように。

 そうだよ、俺は――変わりたくない。




「雪音、俺は――お前の兄さんでいたいんだ」




 俺の言葉に、雪音が目を見開く。

 俺はもがくように続けた。


「雪音のことは好きだし、世界一可愛いと思うのはほんとだ、嘘じゃない。でも、俺は雪音の兄さんでいたい。これから生涯を通して仲良くしていたいんだ。だから……俺たちは、兄弟だ」


 雪音の目を見れない。

 そうか、人の本音に正面からぶつかるというのは、こんなにも苦しくて熱いものなのか。

 ――ってことは、雪音はこれを毎日俺に……。


「やっぱり、そうなの?」


「え?」


 小さく、俺にだけ聞こえる声量で呟く雪音。


「やっぱりそうなんでしょ?」


「ど、どういうことだよ」


「やっぱりそうなんだ!」


「お、おい、雪音!」


 顔を上げ、俯く雪音の肩を持つと雪音に振り払われた。


「くっ……!」


 雪音は、綺麗な顔をくしゃくしゃにして、溢れる涙を拭おうともせず俺を睨んだ。



「兄さん、伊万里さんのこと好きなの?」



「……は? いやいや、誰もそんな話を」


「好きなんでしょ! どうせ、兄さんは!」


 俺の言葉を遮って言う雪音。


「落ち着けって! 俺はそんな話してない!」


「してるよ!」


「だって、俺は雪音と兄弟でいたくて、みんなで仲良く――」


「違うよ! 兄さんは伊万里さんが好きなんだ!」



「だからちげぇってッ!!」



 思わず声を荒げてしまう。

 雪音は息を切らし、依然として俺のことを睨んでいた。

 一度心を落ち着かせ、冷静になった状態で話し始める。


「あのな? そもそも、誰が好きとかそういう話をしてるんじゃなくて……」


 言いかけて、途中で止まる。


「(あれ? 俺は今、何を言ってるんだ?)」


 何かがおかしい。俺の言っていることの何かがおかしい。

 雪音はその答えを告げるかのように、俺に言い放った。




「今私たちは、好きの話をしてるんだよ!!!!」




 そこではっと気づく。

 そうだ、今まで俺は、好きという感情を度外視して話していた。


 現状がどうとか、これからがどうとか。

 そんな簡単に考えられる話でもないのに、俺は勝手に解釈を間違えていた。考え方を間違えていた。


「っ!!!」


 雪音が拳にグッと力を入れ、一度俺を見てから立ち去った。

 バタンっ、と扉の閉まる音が響いてきて、俺は一人玄関に取り残される。


「俺は……」


 気づいた頃にはもう遅くて、俺は玄関に座り込んだ。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る