第29話 少女の苦悩
「私と付き合ってみるのはどうかな?」
「――え?」
伊万里の言葉に固まる俺。
そんな俺を伊万里はじっと見ていて、まるで俺がなんて答えるか待っているかのような沈黙だった。
お互いに探り合いのような時間が流れ、破裂寸前のところで、
「ど、どういうことだ?」
決して満点とは言えない言葉を返す。
「どういうことって、そのままの意味だよ。三好くんが雪音ちゃんに本気で兄離れしてほしいというか、諦めて欲しいなら恋人ができるのが一番手っ取り早いんじゃないかなって」
「なる、ほど」
ようやく伊万里の発言の意味が分かってくる。
伊万里の言う通り、確かに俺に恋人ができたら雪音の俺に寄せる思いは必然的に敵わなくなる。
今まで俺は雪音に対して、「兄貴だから」というスタンスのもと誘惑を断ってきたがそれじゃ雪音に通じないのはこれまでの経験からもわかる事。
そこに「恋人がいるから」という絶対的なものが加わったら、さすがの雪音でも押し切ることはできまい。
……が、しかし。この作戦は何か引っかかる。
「だから、私と付き合ってみるのはどうかなって、そんな風に思うんだけど……」
頬を掻きながら、伊万里が言う。
「……でも、それでいいのか?」
「え?」
引っかかっていることが何なのか明確に分からないが、分かるところから言語化していく。
「だってそもそも、付き合うっていったらお互いに好きじゃないといけないし、そんな手段みたいな感じで使うのは、なんか……」
「…………」
伊万里が俯き、黙り込んでしまう。
そこで俺ははたと気づいた。
「あ、悪い! せっかく伊万里が提案してくれてるのに……というか、もとはと言えば雪音に対して中途半端な態度取ってる俺がいけないよな! ほんと、情けないよな俺って――」
「――そうだよ、三好くんが妹ちゃんにデレデレしてるのが悪いんだよ」
「いま、り……?」
いつもと違う雰囲気に、何も言えなくなる俺。
普段は穏やかで、なんでも受け入れてくれそうな伊万里だが、今は複雑な顔をして俺のことを見ていた。
「三好くんがいつも惚気てきて、遂にはキスなんてしちゃうから……」
くしゃっ、とスカートを掴む伊万里。
少しして、はっと我に返ったように顔を上げた。
「ご、ごめん! 私何言ってるんだろ! へ、変だな。なんか顔も熱いし」
顔を真っ赤にした伊万里が、パタパタと手で顔を仰ぐ。
「気にしないで、さっきの言葉! なんだろうな私、もしかしたらモテモテな三好くんが羨ましかったのかな……なんて?」
「モテモテって、そういう伊万里こそモテモテだろ? こないだも告白されたって聞いたし」
「で、でもみんな私の胸見るんだよ? ヤダよそんなえっちな感じなんて」
胸を腕で隠す伊万里に、俺は頭を下げる。
「……ごめん、たぶん俺、結構伊万里の胸見てた」
「あ、あぁ気にしないで! 別に三好くんならいい……じゃなくて! 三好くんは嫌な感じしないし、どうせ手出してきたりしないでしょ?」
「そ、それはそうだ当然だ! だって伊万里は大切な奴だからな!」
「ふふっ、そっか。ならよかった」
伊万里がいつもの聖母みたいな笑みを浮かべる。
そんな伊万里の姿を見て俺はほっと胸を撫でおろした。
「(よかった、いつもの伊万里だ)」
「そういえばそろそろいい時間じゃない? 遅くなってもあれだし」
「だな。じゃあ今日はここら辺にしとくか」
窓の外を見てみれば、気づけば辺りは暗くなっていて、時刻も六時をすでに回っていた。
教材を鞄の中にしまい、肩にかける。
そして玄関で靴を履き、伊万里に見送られた。
「じゃあまた明日ね、三好くん」
「おう、今日はありがとな。じゃ」
伊万里の家を出て、歩き始める。
すると伊万里が「あ!」と後ろから声をかけてきた。
「どうした?」
「あの、さ。さっき言った言葉、忘れてね? ほんと、全部冗談だからさ」
「分かった」
俺が答えると、伊万里は満足そうな表情をして手を振ってきた。
伊万里に手を振り返し、今度こそ俺は帰路についた。
◇ ◇ ◇
三好くんを見送った後、私は一人部屋に戻って、ベッドに腰を掛けていた。
「私、どうしてあんなこと言っちゃったんだろう」
思い出すのは、さっきここで三好くんに言ってしまったこと。
付き合うのはどうかな? と言ったこともそうだし、その後に言ったこともそうだ。
全部私らしくない。普段の私だったら、絶対に本心を漏らしたりしなかった。
でも言ってしまった。つい口から出てしまった。
「……でも、しょうがないよ。だって私、苦しかったんだから」
三好くんが昨晩にあった事故。
三好くんのせいじゃない。三好くんのせいじゃないけど、そういう問題じゃない。
私は三好くんに、キスしてほしくなかった。例えそれが事故だとしても、故意じゃなくても、超えて欲しくないラインだった。
「……はぁ、やっぱり私、まだまだ大人にはなれないな」
もし私が大人だったら、この気持ちも暴走せずに済むのだろうか。
だとしたら、早く大人になりたい。じゃないと私は、私じゃなくなってしまう。
「大人に、なりたいな」
私は一人、彼の残り香を感じながら呟いたのだった。
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