第27話 大人に憧れている


「おぉ、これが伊万里の部屋か」


 部屋に入ってすぐに、思わず声が漏れる。それと同時に、ぐるりと部屋全体を見渡した。

 シングルベッドが壁際に置いてあって、すぐ近くに勉強机と本棚が一つずつ。

 白色のカーペットの上に小さなちゃぶ台が配置されていて、ものは少なめと実に伊万里らしい部屋だ。


「あんまりジロジロ見ないでよ? 恥ずかしいから」


「お、おう。悪い悪い」


「じゃ、早速勉強しよっか。試験まで時間もないしね」


「だな」


 伊万里に促されるがまま、床に座り教材をちゃぶ台の上に出す。

 伊万里は俺の対面に座り、同じように教材を広げた。


「じゃあまずは数学からだね。分からないところだけど――」


 それから淡々と勉強会が進められていく。

 やはり伊万里の教え方は分かりやすく、俺の理解度に合わせて教えてくれるからぐんぐんと自分が実力をつけている実感があった。


「(なんだか懐かしいな。そういえば、前にもこんなことあったよな)」


 ふと思い出される、昔の記憶。

 あれはおよそ二年前のこの時期のことだった。




「(ヤバいな……全然分からない)」


 勉強のレベルが高校に上がり、イマイチついていけていなかった俺は、小テストで低い点数を取り、放課後に先生に特別に出された課題をしていた。


「これどの公式使うんだ……」



「――それはね、こっちの公式を使うんだよ」



「え⁉」


 後ろを振り向くと、教科書を指さした伊万里がニコニコと笑みを浮かべて立っていた。

 この頃の俺と伊万里は、他の生徒と同じようにクラスメイトってだけの関係だった。


「あ、ごめんね? 突然声かけちゃって」


「いやいや、正直めっちゃ助かる! なるほどな、この問題はこの公式を使えば解けるのか……うんうん。じゃあ、この問題はどう解くのかって分かったりするか⁉」


「うん、それはね――」


 その後、気づけば日がうっすらと沈みかけるまで、俺は伊万里に勉強を教えてもらっていた。


「ほんと助かったよ。ありがとな」


「いえいえ、助け合うのはクラスメイトとして当然だからね」


 入学して三か月ほどしか経っていないのに、伊万里が他の生徒に対してもそう言っているのを俺は何度も目撃していた。

 この言葉は言うだけなら簡単だ。でも、説得力を持たせるほどに行動が伴うことは簡単じゃない。


 それを伊万里はやってのけていて、世の中にはこんなにも純粋に正しい人間がいるものなのか、と驚いたことを覚えている。

 それから、俺と伊万里はよく話すようになって、仲のいい友達になった。




「(……って、もうあれは二年前か。早いもんだな)」


 ペンを止めてそんなことを思い出していると、伊万里が俺のことをじろりと睨む。


「三好くん、ボーっとしてるでしょ?」


「っ! い、いやぁなんか、ノスタルジックな気分になったというか?」


「なんで初めて来た私の部屋で懐かしくなるの……」


 最もなツッコみに返す言葉も見つからない。

 だから素直に懐かしいと思ったことを話す。


「いやなんかさ、こうやって伊万里に勉強教えてもらうのも、俺と伊万里が仲良くなり始めの頃にあったよなって」


「あぁー、そういえばあったね。放課後の教室とかで勉強しちゃって」


 伊万里もペンを止めて、思い出話に花を咲かせる。


「思えば、もう三年生かぁ」


「早いよな高校生活って。こうやってすぐに大人になっていくのかね」


「大人かぁ……なれるのかな」


「え?」


 意外な伊万里の発言に思わず聞き返してしまう。


「すごい不思議じゃない? だって私たち来年の今頃には大学生だよ?」


「大学に受かったらな……」


「あはは、それはさておき。大学生って、昔は随分と大人だなって思ってたけど、もう一年も経たないうちになるわけだしさ。私たちが一年時間を過ごしたら、大人になれるなんて思える?」


「それは……思えない。けど、別に大学生だからって大人だってことにはならないだろ?」


 俺が答えると、伊万里が真剣な表情で俺を見る。



「じゃあ、いつになったら大人になるのかな」



 伊万里のその疑問は、決して今ふっと浮かんできたものではないように思えた。

 何度も感じては答えが見つからずにしまっておいたもの。そんなような気がする。


「うーん、いつになったらとかそういう話でもないだろ」


「じゃあ、何をしたら大人になれるのかな?」


「何をしたらって……」


 確かに、この問いは考えれば考えるほど難しいことが分かる。

 どうやったら俺たちは大人になれるのか。誰かが答えを教えてくれるのだろうか。


「伊万里は大人になりたいんだな」


 気づいたことを何気なく伊万里に言う。


「あはは、どうだろ。でも、そう言われればなりたいのかもね、私」


「その心は?」


「だって大人って、なんかカッコよくない?」


 伊万里の答えに、意表を突かれる。

 だってあまりにも伊万里らしくない答えだったから。


「へぇ、カッコいいんだ?」


「だ、だって子供は大人に憧れるものでしょ?」


 照れくさそうに視線をそらして言う伊万里。 

 あ、と何かに気づいたのか声を漏らす。


「大人に憧れを抱いてる時点で私、まだ子供だね」


 ふふっ、と伊万里が小さく笑う。

 いつも以上に無邪気なその笑顔に、俺もつられて笑う。


「(伊万里にこんな一面があったのか)」


 三年目にして気づく伊万里の姿に、俺は少し嬉しくなったのだった。

 

 


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