第15話 引きこもりな義妹
シュカシュカと心地の良い音が洗面台に響く。
制服に着替え、朝ごはんも食べ終えた俺が家を出る前、最後にすること。
それがこの歯磨きであり、実に朝らしい光景だ。
「…………」
「…………」
そして、コアラのようにピタリと俺の腕に雪音がしがみついていることもまた、三好家にとっては日常的なことである。
「雪音」
「なぁに、兄さん」
「実は片手塞がってると、歯磨きってしづらいんだぞ?」
「じゃあ私が兄さんの右腕になる」
「そういう問題じゃないぞ?」
頑なに離そうとしないので、諦めて片腕で歯磨きを済ませる。
そのまま鞄を取って玄関に行き、ローファーを履いた。
ここでようやく、雪音が俺から離れる。
雪音はお家大好き少女であり、こうして心を開いてくれてはいるものの、俺と暮らし始めてから家に出たことはない。
基本的にはこうして、玄関で一時お別れだ。
「じゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい、兄さん」
「おう」
今日も今日とて圧倒的に可愛い雪音に小さく手を振られ、振り返して玄関を出る。
「――――」
俺の背中に向けて雪音が小さく呟く。
ただあまりにも小さくて、一語も聞き取れなかった。
「ん? 今なんか言ったか?」
「ううん、行ってらっしゃい」
「お、おう。行ってきます……」
小さく笑う雪音に見送られて、今度こそ家を出る。
外に出ると、夏を感じさせる太陽の日差しが、朝から頭上に降り注いでいた。
「(な、なんか嫌な予感が……)」
変な汗をかきながら、学校に向かう俺だった。
放課後。
鞄に宿題で使う教材を入れていると、背後からトントンと肩を叩かれた。
振り向くと、そこには見知った顔の奴が、今日もうるさく立っていた。
「うぉおい三好! 河川敷でサッカーしようぜ!」
「誰が高校生にもなってするか!!!」
「ちぇっ、つまんねぇのぉ」
項垂れるこいつは、クラスメイトの
一言で言えば、頭のおかしい人気者だ。
「なな、まりまりはどうする? まりまりもサッカーするか⁉」
立ち上がり、鞄を肩にかける伊万里にも声をかける奈良橋。
「ごめん奈良橋くん。私今日委員会があるんだ。だから厳しいかな」
「そっかぁ……じゃあ、また今度誘うわぁ!」
「うん、お願いね」
仏のような笑みを浮かべる伊万里。
今日も誰に対しても優しく、そしてなんといっても胸が大きい伊万里に感服していると、
「……三好くん。前にも言ったと思うけど、見るだけなら犯罪じゃないっていう思考は捨てた方がいいと思うよ? 見られる側にとっては、加害者はほぼ有罪になるから」
胸を腕で隠しながら、ジト目で伊万里が俺を睨む。
「待て待て待て! なんで俺がその思考を持ってる前提なんだ⁉」
「そうじゃないとありえないくらい三好くん、私の胸見てるからだよ? 正直、三好くんじゃなかったら110番かな」
「うおぉい!! そんなに見てないからな!」
「いや、三好はお尻より胸。特に大きな胸が好みだからなぁ……たぶん見てる!」
「加勢するな奈良橋! お前は河川敷でサッカーしてろ!」
「分かった、三好の趣味嗜好に合わせて今日は河川敷で走る女性の胸を見よう!」
「なんでそうなる⁉」
「三好くん……欲求不満なんだね」
「これがデマが誇張されていく仕組みなのかッ!!!」
今は三人の間だけにとどまっているものの、一部だけを切り取って他の人に聞かれてしまったら俺がガチでおっぱい信者だと思われてしまう。
ほんと、噂って怖い。即効性のある物だし、できればその脅威に触れたくないものだ。
「ほんと、勘弁してくれ。伊万里の胸はそんなに見てない。ほんと、たまにしか見てないから」
「見てることは認めるんだ……」
呆れる伊万里。
俺はこほんと咳ばらいをして続ける。
「あのな、これは一つ言わせて欲しいんだが、男が伊万里のような魅力的な胸を見てしまうのは正直言って不可抗力なんだ。無意識のうちに引き寄せられちゃうものなんだ。万乳引力なんだ」
「なんで私はこんな気持ちの悪いことを三好くんに力説されてるんだろう……」
「とにかく、俺が言いたいのは少しくらい許して欲しいということだ。なんなら先に謝っておく、ごめん」
「ここまで開き直られると気持ち悪いを通り越していっそのこと清々しいね」
「……いや、気持ち悪いぞ?」
「おい奈良橋貴様」
同じ男として今は俺に加勢する場面だろうに。
伊万里はけらけら笑うと、時計を見て言う。
「あ、そろそろ委員会の時間だから行くね。また明日、二人とも」
「おう、また明日」
「じゃあな、まりまり!」
手を振り、ぱたぱたと教室を出て行く伊万里を二人で見送る。
「さて、俺も河川敷に行きますかね! ふんじゃ、あばよう三好ッ!」
「じゃあなー」
奈良橋も教室を出て行き、取り残される俺。
「俺も帰るか」
今日は特に予定もないので、真っすぐ帰るべく鞄を持って立ち上がる。
そのまま教室を出て下駄箱で靴を履き替え、校門付近まで来ると何やらざわざわと騒がしいことに気が付いた。
「ねぇねぇ、あの子めちゃくちゃ可愛くない?」
「なんでこんなところにいるんだ? ってか他校の子?」
「誰か待ってんのかな? まさか彼氏とか?」
「やっばー! モデルとかアイドルなんじゃねぇの!!」
周りの声を聞く限り、とんでもない美少女が校門にいるみたいだ。
男の子として気になった俺は、一目見ようと人ごみをかき分けて顔を出す。
「(ッ! あ、あれは……!!!)」
校門の前でポツンと一人、髪を触りながら恥ずかしそうに俯く少女。
確かに可愛い。それも圧倒的に、俺が今まで見た中で一番。もちろん、一番。
少女が顔を上げ、俺の姿に気が付くと顔をパーッと明るくし、とてとてと近寄ってきた。
「遅いよ……兄さん」
引きこもりな義妹の雪音が、小さく呟いた。
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