第21話 viginti

 土曜日の朝、天弥は一軒の家の前にいた。深く深呼吸をした後、震える指でゆっくりとインターフォンを押す。すぐに若い女性の声で返事が聞こえ、数十秒後にドアが開いた。中から、二十代半ばぐらいで長い髪の綺麗な女性が姿を現す。女性は天弥を見ると優しく微笑んだ。それを見て、痛む心臓を押さえつけた。

「いつきー! 生徒さんが来てるわよ」

 名乗る前に女性は家の中に向かって声をかけ、天弥を招き入れた。馴れ馴れしく斎の名を呼び捨てにする様子に、目の前が暗くなり足元が崩れ落ちそうな感覚を覚えた。失礼だと思いながらも、目の前の女性を改めて見つめる。理知的な雰囲気のとても美しい大人の女性だと思う。

 目の前の女性は誰なのか、斎とどのような関係なのか、天弥の頭の中で思考が渦巻き、不安ばかりが膨れ上がっていった。

 想いを告げてから三日、その間に何度も斎と唇を重ねた。だが、恋人同士というわけではない。男同士でそのような関係になれる事がないことを、嫌というほど理解していた。

 女性の呼び声に反応したように出てきた斎の姿に、天弥は心を激しく締め付けられる。その姿を受け入れたくなくて、天弥は斎から視線を逸らし俯いた。

「あ、こら、メガネを取るな」

 斎の声が天弥の耳に響いた。理解していたはずだと、天弥は締め付けられる自分の心に何度も言い聞かせる。どれだけ想っても斎は天弥の教師で、しかも同性同士という認められない関係にあるのだ。

「家、すぐ分かったか?」

 斎の言葉に、天弥は俯いたまま小さく頷く。昨日の放課後、今日は隔週の土曜休みなので、家に遊びに行きたいとねだった。特に嫌な顔もせず、すぐに快い返事をくれた。やはり、生徒として招待されたのだと考え、痛む心臓と共に目頭が熱くなる。

「早く上がれ」

 その言葉が聞こえると同時に、天弥の手が掴まれ、思わず顔を上げる。女性はいつの間にか居なくなっており、そこには小さな女の子を抱きかかえた斎の姿があるだけだった。

 女の子と目が合い、天弥は反射的に笑顔を作る。それを見た女の子も、笑顔を返した。

「ひなたん、しゃんしゃい」

 嬉しそうに、ひなと名乗った女の子は小さな指を三つ天弥に向けた。

「成瀬天弥、十六歳」

 今にも泣き出しそうなのを堪えながら、名前と年を答える。

「ひな、ママの所に行ってろ」

 斎はひなを腕から下ろした。すぐに、ひなは奥へと走って行く。

「天弥?」

 何か様子が変だと思い、斎は手を伸ばして天弥の頬に触れた。

「はい」

 笑顔を作り、天弥は答える。

「いつきー、いつまでそこに生徒さん立たせてるの?」

 絡まりあう互いの視線を制止するかのように、奥から先ほどの女性の声が聞こえた。

「あー、とりあえず上がれ」

 斎に促され、天弥は家に上がりこんだ。すぐに手を取られ、天弥の鼓動が先ほどまでとは違う調子を刻み出す中、奥のリビングまで、手を引かれながら進んだ。繋いだ手はとても温かく、このまま離したくないと望んでしまう。

 リビングへたどり着くと、斎は天弥をソファーに座るように促した。少しためらいながら繋いだ手を離し、天弥はソファーへと腰掛ける。続けて斎が、テーブルを挟んだ向かいのソファーへと座った。すぐに、天弥の前にオレンジジュースが注がれたグラスが置かれる。

「ありがとうございます」

 天弥は、すぐ傍の床に座り込んだ女性に礼を述べる。

「ひなたんもじゅーちゅ」

 ストローが出ている蓋付きの両手持ちマグを、ひなは天弥に向かって差し出した。マグの中のオレンジジュースが揺れる。それを見て天弥は、ひなに向かって笑顔を作った。

「俺、コーヒー」

 脚を組みながら、斎が女性に向かって言った。

「自分で入れなさい」

 笑顔のまま、斎を見もせずに女性が答えた。

「じゃあ、いい」

 そのやり取りを、天弥は女性を見つめながら聞いていた。女性は天弥から視線を逸らそうとはせず、楽しそうな笑顔を浮かべていた。女性は美しく優しそうで、斎とはとてもお似合いだと天弥は思う。

「先生の奥さん、綺麗な方ですね」

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