第7話 sex
少し冷静さを取り戻すと、斎は天弥の身体を抱きしめたままだということに気がつき、その腕をゆっくりと離した。
「天弥」
いきなり名前を呼ばれ、不思議そうに斎を見上げる。
「どうして、名前なんですか?」
今まで名字で呼ばれていたはずだと、不思議に思う。その問いに、斎は少し考え込む。
いきなり天弥の様子が変わった。その後の表情や出てくる言葉から推測すると、どうやら先ほどまでのことは、覚えてはいないと思われる。
「とりあえず、腕を離してくれないか?」
その言葉に天弥は、初めて自分が斎に抱きついていることに気がつく。
「あ、ごめんなさい」
謝罪を口にし、慌てて腕を離す。
「あの……、僕……、最近、記憶が飛んでたりして……」
天弥は、斎に向かって頭を下げた。
「何かしてたら、ごめんなさい……」
その言葉に斎は、先ほどまでの記憶がないことを確信する。
「いや、そこで躓いたのを受け止めただけだ」
もっともらしい理由を述べる。
「それで名前は、妹も同じ成瀬だから、紛らわしいかと思ったんだが、嫌なら名字に戻す」
返ってきた言葉に、天弥は首を横に振った。
「すまない。女子生徒を名前で呼ぶわけにもいかないので、助かる」
さて、どうしたものかと斎は考える。とりあえず、適当な理由を述べてみたが、天弥から異論が出ない。確かに記憶はないと思える。 記憶がないのなら、交渉はやり直せばよいのだろうが、それよりも先ほどまでの別人のような天弥は何だったのかと、興味が湧く。
目の前の天弥を改めて見る。その視線を感じ、天弥が反射的に微笑んだ。それを見て、天弥に惑う男子生徒達の気持ちを理解する。
とりあえず、このまま黙っていても仕方がないと思い、手に持つ本を天弥に向かって差し出した。
「放課後、話そうと思っていたんだが、この本をしばらくの間、貸してくれないか?」
天弥は差し出された本を見つめた。
「どうして、先生がこれを?」
天弥が本から斎へと視線を移す。
「昨日、成瀬が持ってきたのを借りたんだが」
斎から本へと、天弥の視線が動いた。
「花乃がですか?」
「ああ、黙って持ち出してきたみたいだから、ちゃんと持ち主の許可が欲しい」
再び視線が斎へと戻り、天弥は胸を抑えながら何かを考え込む。
「はい。僕には、何が書いてあるのか分からないので、持っていても仕方がないですし」
分からない? 予想外の言葉を聞き、疑問が生じる。先ほどの天弥は、確かにラテン語を理解していたはずだ。
「差し上げることが出来れば良いのですが、それは祖父から贈られた物なので……すみません」
申し訳なさそうに、天弥は俯いた。
「あ、いや、貸してくれるだけでありがたい」
その答えを聞き、天弥は安心したような笑みを返す。
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