第6話 quinque

 楽しそうに告げられた内容に、斎は思わず言葉を詰まらせる。ラテン語を理解しているというのは、冗談だと言える事なのだろうかと悩む。その様子を見て、天弥は手を伸ばし斎の身体に触れた。

「これ、面白かったですか?」

 斎と天弥、二人の手で掴まれた本に視線を移し、尋ねる。

「とても興味を惹かれる内容だ」

 答えを聞くと本から手を離し、天弥は斎の身体に腕を回した。いきなりの行動に、斎の身体が硬くなる。そして、その腕を振り払うべきなのだろうが、なぜか出来ずにいた。

「その本、お貸ししましょうか?」

 斎の顔を見上げ、艶やかな笑みを浮かべる。斎は必死に理性を保ち、手に持った本へと視線を逸らす。

「貸してくれるなら、ありがたい」

 その言葉に、天弥は嬉しそうに笑う。

「先生が、僕のものになるならですけど」

 その言葉に斎は、自分の身体から引き離そうと、空いている手で天弥の腕を掴んだ。だが、引き離すことが出来ず、そのまま天弥の腕を掴み続ける。

「何をバカなこと言ってるんだ」

 手にした本を天弥へと押し付けた。

「とてもよい交換条件だと思いますけど?」

 天弥の瞳が、楽しそうに斎を見つめる。

「バカなことを言ってないで、これを持って行け」

 斎の言葉に、今度は面白そうに笑った。

「無理ですよ。先生、僕の腕を掴んだまま離してくれないじゃないですか」

 その言葉に、改めて天弥の腕を引き離そうと思うが、思考とはうらはらに、斎の手はそれを拒否した。目の前の存在は、あまりにも魅力的すぎるのだ。どんなに抑えようとしても、次々と欲情が沸き起こる。

「僕には、先生が必要なんです」

 そう囁く天弥の顔が、斎の顔に近づく。このまま黙っていれば、すぐにお互いの唇が重なってしまう距離まで近づいた。

「必要……?」

 斎は殆ど理性を手放した思考に、その言葉を刻み込む。

「はい。先生じゃないとダメなんです」

 返された言葉に、わずかに残っていた斎の理性が消し飛んだ。

「成瀬……」

「天弥」

 斎を見つめながら、天弥は自分の名を告げた。

「花乃と同じ呼ばれ方は嫌なので、天弥と呼んでください」

「たか……み?」

 名を呼ばれたのが合図であるかのように、再び天弥の顔が近づく。すでに斎にはそれを拒否する気などなく、今、目の前にある存在を受け入れ始めていた。手にした本よりも、他の何よりも、目の前に居るこの美しい存在が欲しくて、自分を抑えることなど出来なくなっていたのだ。この存在を手に入れるためなら、総てを引き換えにしても良いとさえ思える。

 斎は天弥の身体に腕を回し、自らその唇を重ねようとした。

「先生?」

 寸前で呼びかけられ、斎の行動が止まる。そして、改めて天弥の顔を見る。先ほどまでと同じ美貌ではあるが、雰囲気がまるで違う。目の前にいるのは、先ほどまでの艶麗さなどない、斎が知る普段の天弥だった。それでも、心が惑うほどの美貌であるのは確かな事だった。

「あの……?」

 自分が置かれている状況が理解できず、天弥は戸惑う。斎は急ぎ、目の前の天弥の顔から距離を取る。

「もしかして、僕、何か迷惑をかけましたか?」

 不安そうに尋ねながら自分を見つめる天弥の顔を見た。

「いや」

 同じ顔なのに、まるで別人のようだと思う。確かに、美しすぎる顔ではあるが、今の天弥には抑えられないほどの欲情が湧くことはなく、どんなことをしても手に入れたいと思うことも無い。

「それなら良かった」

 返事を聞くと、安堵の表情を浮かべた。先ほどとは別の意味で、斎の感情が騒ぐ。有無を言わさぬ、引きずり込まれるような色香はないが、この美貌で微笑まれたら、男だと分かってはいても、心惹かれてしまいそうになる。

 どう対応して良いのか悩み、まだ抱き合ったままの状態で、互いの視線を絡ませあう。

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