再起

第110話 喪失

あの後、逃げるように立ち去ったアレグリアは、どうにか学園の寮に帰ってきた。

だが、最早ディアネルではなくなった彼の黒々とした瞳が頭を離れず、体の震えが止まらない。

それに、魔導士になれる可能性が確実にないこと、もうディアネルに会えないことも、アレグリアを鬱々とさせている。


アレグリアはベッドから出ることができなくなった。

いつの間にか寮に帰って来たローズが心配してくれたが、胸の内を整理して話すこともできない。


窓から入る光を布団越しに感じ、日の移り変わりをぼんやりと察することを何度か繰り返した頃、アレグリアは聞きなれない男性の声で起こされた。

おずおずと顔を出すと、フィニース辺境伯が心配そうにこちらを見ていた。


「ローズが国境を越えて、お嬢様の様子がおかしいと知らせに来たんですよ」

 と辺境伯は教えてくれた。アレグリアがかすれた声でお礼を言うと、ローズは泣きそうな顔をしていた。




アレグリアはフィニース辺境伯と共に母国のネーレンディアに戻り、辺境伯領で静養することになった。

アレグリアは相変わらずベッドの上で日々を過ごしている。

食欲もあまりない。

お父様は、本来ラルカンスになど行かず、大人しくしていてほしかったようだから、今のわたくしは都合がいいでしょうね、とアレグリアは自嘲気味に思う。


そんなアレグリアだが、実はひっそりと続けていることがある。

魔力回路の訓練だ。

ほとんどの時間はベッドにただ座っているが、時折呼吸を整え、魔力を体に循環させている。

魔導士になろうね、と幼い日に約束したディアネルは、もういない。

魔導士になるという夢ももうない。

それでも魔法というつながりだけは、まだ彼のところへつながっているような気がしてやまない。



辺境伯領に移って数日後、公爵がアレグリアの見舞いに来た。


「ああ、アレグリア。やつれてしまって、目も虚ろじゃないか。余程傷つくことがあったんだろうね。かわいそうに」

 公爵はアレグリアをそっと抱き締めた。


「アレグリアは心をゆっくり休めることだけ考えなさい。何も心配しなくていいんだよ」

 

公爵はアレグリアの肩を優しく叩いて部屋を出て行った。

公爵がいた時間は長くはなかったが、宰相の仕事で忙しい合間を縫って会いに来てくれたのだろう、とわかった。

お父様にとって今の状態は都合がいいだろう、と考えていた自分を、アレグリアは浅ましく思った。


ローズは消化に良くて温かい食事を毎日用意してくれている。

アレグリアがあまり食べないとわかっていても、しっかりと用意してくれる。

公爵が来てからさらに数日経った日、アレグリアが夕食を食べるのを見守りながら、ローズが唐突に言った。


「お嬢様、お祭りに行きましょう」

「お祭り?」


「はい。来週は年に一度の精霊祭です。辺境伯領でも、美味しいものを食べたり踊ったりして、春の訪れを盛大に祝うそうです。楽しそうだと思いませんか?」

「ローズ、気遣いは嬉しいわ。でも、今のわたくしはそういった気分では…」


ベッドの上で目を落としたアレグリアの手を、ローズはそっと握った。


「お嬢様。お嬢様がどうしてこれほどふさぎ込まれてしまったのかはわかりません。ですが、ずっと暗い気分でいると、取り返しがつかないくらい心が弱ってしまいますよ。お祭りに行ったら、ほんの少しでも明るい気分になれるかもしれません。それに、ローズはお嬢様と一緒にお祭りを楽しみたいんです」


ローズが心配してくれているのが伝わって、アレグリアは揺らいだ。

ローズに心配されると、アレグリアはとても弱い。


「でも、最近はほとんど動いていなかったから、体力が落ちているかもしれないわ」

「大丈夫ですよ、お嬢様。精霊祭まで一週間あります。少しずつ体を動かしていきましょう」


次の日から、アレグリアはローズと一緒に屋敷の中を散歩するようになった。

庭に花が咲いているからとローズが言うので、久々に外の空気を吸いに、庭に出た。

暖かくなり、庭には遅咲きの黄色い水仙が見事に咲いていた。

ディアネルに見せたら何と言うだろう、彼のことだから、何か皮肉を言うのだろうか、と思い、そんな機会はもうないのだと気づいた。

涙が出た。

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