第109話 不可逆

やはり、初めに思った通り、古い記憶の彼はディアネルだった。

アレグリアは花火の方へ向かい、懸命に宙を駆ける。


アレグリアは、リュドミルから聞いた学者の説を思い出した。

本物のディアネルは自らの命を絶とうとした。

その時、なんの偶然か異世界人の魂が彼の肉体に入り込み、肉体が損なわれずに済んだのだろう。


しかし、肉体の中に二つの魂がある状態が長く持つとは思えない。

ディアネルの魂は少しずつ肉体から剥がれ落ち、もはやわずかな残滓が残っているにすぎないのかもしれない。

そうだとすれば、彼の魔法力が下がり、ドラゴンへの攻撃が発動しなかったことにも説明がつく。

魔力は魂に結び付いたものだ。異世界人には扱えない。

ローズに魔力がないのと同じように。



アレグリアがウンディーネの湖上空に着いたとき、花火は既に止んでいた。

夜の湖は昼とは全く違う。

青かった湖面は黒々と揺らめいていて、怪しく禍々しいものに思える。

昼の湖と同じ場所とは思えない。

ただ、月が出ているおかげで、ほんのりと明るいのが救いだった。


アレグリアは湖の畔に目を凝らす。

魔法で花火を上げていたのが本当にディアネルなら、湖の近くにいるはずだ。

アレグリアは少しずつ下降しながら人影を探した。

やがて、誰かが湖に身を乗り出してのぞき込んでいるのを見つけた。

アレグリアは急いで、その人影の背後に降りた。



近くで見ると、人影はやはりディアネルのように見える。

薄暗くてよく見えないが、ディアネルの着ている白い服に、まだら模様のように黒いしみがあるように思え、アレグリアは怪訝に思った。

ゆっくりと近づいたアレグリアは、まだら模様だと思ったものが、血痕であることに気づいた。


アレグリアが悲鳴を飲み込んだとき、その気配に気づいたのか、ディアネルが振り返った。

だが、アレグリアを見る眼差しや佇まいが、どうにも見覚えのないものに思える。


「お前、遅すぎたな」


「ディアネル殿下…?ジェラール様も心配されています。学園に戻りましょう」


「おれはディアネルじゃない」


その言葉を聞いたアレグリアはまず、やはり、と思った。

それから、間に合わなかったのだ、という後悔が、じわじわと心に広がっていく。


「ディアネルの魂は、今度こそ体から離れていった。異世界人のおれの魂に、魔力はない。全属性使いの魔法使い、はじまりの魔法使いの再来、そう言われた力も、もうないんだ。せっかくいい体に生まれ変わったと思ったのにな。そうそう上手くはいかないものだ。おれが魔法を使えなくなったことは、いずればれる。目の色も変わったみたいだしな」

 

彼は湖に目をやりながら言う。

アレグリアが来たときに湖をのぞき込んでいたのは、かすかな明かりで目の色を確かめていたのだと気づいた。



「一番の政敵だった弟と王妃もいなくなって、あの圧倒的な魔法の力があれば、どう考えてもおれがこの国で一番だったのに。桜の好きな、完璧な王子様になれたのに…。魔法が大事なこの国じゃ、魔法が使えないやつが頂点に立つのは無理だ。でも、お前の国は違う」

 

じっと見つめられ、アレグリアは体がすくむのを自覚した。


「お前の国なら、おれが治めるのにふさわしいと思わないか」

 

黒々とした瞳でアレグリアを見つめる“誰か”は、最早ディアネルと同じ顔をした別人だった。

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