第15話 アレグリアの大切な記憶

ローズが下がり、一人になったアレグリアは、窓際まどぎわの棚に向かう。

一番下の引き出しの鍵を開け、中から二冊の本を取り出した。

一冊はフィニース辺境伯へんきょうはくからもらった深紅しんく魔導書まどうしょ、もう一冊は、新緑色しんりょくいろ魔導書まどうしょだ。

アレグリアは深紅の魔導書をそっと棚に戻し、新緑の魔導書を優しくなでる。

この新緑の魔導書は、アレグリアにとって命の次に大切なもの、ラルカンスにこだわる理由に関わる、重要なものだ。




子供の頃、母親に見つかる前、アレグリアは公爵こうしゃくの秘密の部屋によく忍び込んでいた。

いつものように、秘密の部屋にいたある日、大きな姿見すがたみから声が聞こえて来た。

空耳そらみみかと思って鏡を見ると、不思議とほんのり光っている。

近寄ちかよると、アレグリアの姿が映るはずの場所に、見たこともない少年が映っていた。

少年は黒い髪に太陽のような金色のひとみを持っていた。

少年は美しい魔法をアレグリアに披露ひろうし、心をいやしてくれた。

それ以来、少年とアレグリアは鏡越しに会い、楽しく魔法の話をするようになった。


少年は魔法について話すことができる、唯一ゆいいつの相手だった。

アレグリアはネーレンディアの国教に少しずつ触れ始め、魔法について話してはいけない空気を感じ取っていた。

魔導書の中でたたええられているはじまりの魔法使いを、周りの大人たちは異端者いたんしゃと呼んでさげすんでいた。

秘密の部屋には魔導書がぎっしりとあるのに、他の場所で魔導書を見たことは一度もなかった。

少年と話すときだけは、魔法を好きな心を、のびのびと羽ばたかせることができた。


それに、少年はほがらかで優しく、アレグリアは好ましく思っていた。

母親が秘密の存在を知ると、部屋にあった魔導書は燃やされ、鏡も壊され、少年とは会えなくなってしまった。

アレグリアは悲しんだが、ただ一つ、新緑色の魔導書だけは、スカートの中に隠して無事だった。


新緑色の魔導書は、少年がアレグリアに贈ってくれたものだ。

アレグリアは魔導書を隅から隅まで読めるようにと、魔導書の文字を勉強した。

アルフォードの婚約者こんやくしゃになってからは辛いことが増えたが、新緑色の魔導書を読んだり、少年と過ごした時間を思い出したりして、心をなぐさめた。

成長したアレグリアは、隣国りんごくラルカンス王国のことを知り、そこでは魔法が当たり前に使われていることを知る。

そしてそこには、少年が度々たびたび口にしていた、魔導士まどうし、という職業があることを知る。

あの時の少年は、ラルカンス人だったに違いない、とアレグリアは確信した。

だが、そのときはアルフォードの婚約者という立場があり、ラルカンスへ行くことは夢のまた夢だった。




明日、ようやくラルカンスに足を踏み入れることが叶う。

アレグリアは新緑色の魔導書をそっと抱き締める。

ラルカンスへ行き、鏡越しに出会った少年と再会することが、アレグリアの望みだ。


ラルカンスに行くことは始めの一歩に過ぎない。

まずは魔法学園へ行き、魔法の技術を身に着け、魔導士にならなければならない。

それに、公爵は魔法学園へ行くことは許してくれたが、魔導士としてラルカンスで生きることを簡単に許してくれるとは思えない。

いくつもの障害しょうがいを乗り越えて魔導士になったところで、少年と再会できる保証もない。

それでも、明日ようやく夢をかなえる最初の一歩を踏み出せることが、アレグリアにとっては何よりも嬉しかった。

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