第20話 カラダ探し ①

 「うぅぅ――」


 薄暗い病院。


 既に明かりが落とされた待合室。時計の秒針の音が響くのに混じって、悲痛な嗚咽が響き渡る。


「……〇〇ちゃん。一度家に帰ったら」


 座り込む制服姿の少女に、母親くらいだろう、年の離れた女性が声を掛けた。


「グスっ。……いいえ、大丈夫です」


 しかし、少女は涙を拭うと毅然と顔を上げた。


「……そう。分かったわ」


 その態度に女性もそれ以上何も言わなかった。いや、よく見れば女性の方も少女に負けず酷い顔色をしていた。


「……△△」


 その名前を口にしたのは、少女か、それとも女性の方か。どちらも祈るように手を組むが、出来ることと言えばそれだけ。

 鳴り響く秒針の音が残酷な時間の経過を告げていく。



 突然スマホが鳴ったのは、家で家族と一緒に晩ごはんを食べている時だった。


「――?」


 ポケットに入れていたスマホを手に取り、画面を見る。標示されていたのは彼氏の△△の名前。


「何だろ? ちょっと電話してくる」


「あ、コラ! ご飯の時はスマホ辞めなさい」


 お母さんの避難の声が背中に刺さるが、今は無視。普段は部活が忙しくて電話何かしてこないのにどうしたのだろう。嫌な予感がする。


「もしもし――」


 電話に出た相手は意外な人だった。


「もしもし。夜分に申し訳ありません。私△△の母ですが」


「え、お母さんですか!?」


 突然の彼氏のお母さんからの電話に一瞬パニックになった。


「あ、えっと、私△△君とお付き合いさせて頂いております〇〇と申しまする」


 焦りでよく分からない。言葉遣いになる。


「ええ、存じ上げてます。いつも△△に良くしてくれているみたいでありがとうございます」


「あ、いえ、そんな。私なんて」


 何事だ。大事な息子をアナタに何か上げませんなど言われるのではないかと身構えてしまったが、出て来たのは感謝の言葉。

 少し落ち着くことが出来た。


「あの、それでどうしてお母さんが△△のスマホから私に電話を?」


 落ち着いたところで疑問が浮かび上がってきた。以前聞いた感じでは親子中は悪くはなさそうだったが、それでも高校生が親にスマホを貸すなど普通はあり得ない。


「ああ、ごめんなさいね。急な事でビックリしたでしょ。でも、私もどうしていいか分からなくて……。落ち着いて聞いてね。今日学校からの帰り道で△△が事故に合って今病院に居るの」


「え!? 事故って――△△は大丈夫なんですか!」


 あまりの事に声が大きくなった。


「――今手術中何だけど……っぅぅお医者様が言うには命は助かっても下半身は動かないだろうって―――あああぁぁぁ!」


 その後は最早言葉にならかったようだ。私に心配かけないように話していたが、堪えきれなくなったのだろ。


「お母さん、病院はどこですか?」


 私はリビングにいる親への説明も手短に家を飛び出した。


 そして現在。△△はまだ手術室の中だった。



 数時間後。


 △△の手術が終了した。手術室から出て来た医者から「手術は成功しました」と聞いた時には比喩抜きに腰が砕けた。


「良かった……!」


 △△のお母さんも涙を浮かべて安堵していた。


 だが、気付いてしまった。手術が成功した筈なのに医者たちの表情が暗い。アレはなんだ? 


 失望? 悔しさ? 無力感?……どれも違う気がする。

 あの瞳に映る影は――


「……困惑?」


 知らず呟いた言葉に自分で納得する。そうだ。アレは困惑の表情だ。何故今この時にそんな表情を? 〇〇の心に懸念が広がる。


「それで、あの。息子には会えるのでしょうか?」


 そんな懸念を余所に△△のお母さんが医者に聞いた。


「ええ、いや、はい。今はまだ麻酔で眠っていますが、一目見られるくらいなら」

「ちょっと先生いいんですか?」

「……どうせ後で分かることだ」

「……それは、そうですけど」


 何やら医者と看護師の間で揉めているようだったが、今はそれが終わるのを待つ余裕はない。


「じゃあ、案内して下さい」


 不安を押し殺し気丈な態度を示す。


「あの、そちらは……?」


 その後、〇〇はまた待合室に座っていた。


 先程医者に「ご家族以外の方は面会出来ません」とハッキリ言われてしまったためだ。

 今は△△のお母さんが戻って来るのを待っていた。少しでもいいから情報が欲しかった。


 どれくらい時間が過ぎただろう。少しウトウトし始めた頃、声を掛けられた。


「……〇〇ちゃん大丈夫?」

「――はっ!?」


 咄嗟に覚醒する。眼の前には△△のお母さんがいた。


「すみません、お母さん。私ったらいつの間にか寝ちゃって」


 乱暴に目元を擦る。


「良いのよ。疲れたでしょ」


 そう言ったお母さんの方が疲労の色が濃かった。


「私なんか……それでも△△は?」


 一番聞きたかった情報だ。


「……気を落ち着かせて聞いてね。まず命に別状はないらしわ」


 ゆっくりと口にされた言葉は心にすぅーと染み込んでいった。


「良かったっ――!」


 医師たちの顔を見た後から、体の中心で凝り固まっていた不安が溶けていく。胸の前でぎゅと握った手が安堵で震えた。


「……ただ、」


 しかし、その後に続けられた言葉は私を――そして△△の人生を地獄に突き落すには十分な衝撃だった。


「ただ、運ばれてきた時下半身は既に手の施しようがなかったんですって。△△の腰から下――なかったわ」


「――え?」




 あまりの衝撃にその後の記憶がなかった。

 気付いたら自分の部屋で朝を迎えていた。


 それから暫くは生きている感覚がしなかった。頭の隅で友達や家族が心配してくれていた事は分かった。

 けれど、今の〇〇にとっては意味のない雑音と一緒だった。


 転機が訪れたのは、それから更に数日後。


 △△のお母さんから連絡がきたのだ。

 ようやく家族以外の面会許可が下りたらしい。私は取るものもそこそこに、病院に駆けつけた。


「△△――!」


 病室の扉を開けて中に駆け込んだ。途中で看護師さんが何か言っていたが、耳には入らなかった。


 個室のベッドの上、上半身を起こす様にして座っていた△△の姿は一瞬以前と何も変わらないように見えた。

 しかし、腰から下――足があるはずの布団は酷く平で、否応なく現実を突き付けられた。


「ひ、久しぶり。調子はどう?」


 言いたい事、聞きたい事がいっぱいあったはずなのに、いざ△△の現状を目の当たりにすると、そんな普通の言葉しか出て来なかった。


「…………」


 返事は、なかった。


 扉を閉めて、近付く。

 俯向いていた顔が見えてきた。


「――っ!」


 その顔には生気がなく、何かをブツブツと呟いていた。

 以前の――サッカー部のエースで、〇〇の自慢の彼氏で、誰からも好かれていた△△からは想像もできない姿に体が強張った。


 だけど、と握る手に力を込める。


 今ここで踏ん張らないと△△は本当にダメになってしまう。


 また一歩近付き、顔に顔を寄せる。

 何を言っているの聞かなくては。


「……た。……われた」


「え?」


 よく聞こえない。更に顔を、耳を近付ける。


「……われた。……うばわれた」


 うばわれた。

 何を? だれに? △△は何を言っているのだろう。本当にもう立ち直れないのだろうか?


 自分に出来る事の少なさに、途方に暮れながらその日は病院を後にした。



 

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