第13話 二宮金次郎像
学校の正面玄関。
その脇の植木に隠れるようにしその像はあった。
古い石像。
所々に苔が生えているのは何も古いからという理由だけではない事は、その佇まいから見て取れた。
朝、多くの生徒が登校し、夕方帰宅して行く。
果たしてその中の何人がこの像の存在に気がついているだろうか?
何処か寂しく一人立つその子供の姿。
薪を背負いながら、黙々と本を読んでいる。
二宮金次郎。
私が子供の頃にはどこの小学校にもあった有名な像だ。
しかし、昨今では撤去される流れにあるらしい。
教育方針にそぐわない。子供が働く姿を勧めるのは如何なものか。戦時教育の名残。歩いて本を読むのは危険などの意見があがっているためらしい。
時代的だ。
正直どうでもいい。
やれ、公園の子供の声がうるさい。セミの声がうるさい。学校が近くになるせいでうるさい。
言いたい奴には言わせておけばいいのだ。
声のデカい奴ほど得をする――何とも間違った世の中になったものだ。
子供が元気に遊べる世の中が懐かしい。
少なくとも私が子供の頃はそうだった。
そう言えば小学生時には怪談が流行ったことがあった。確かその時に二宮金次郎像の怪談もあったような……。
「確かに、二宮金次郎像が背負ってる薪の数を数えてその周りを三周回る。その後もう一度薪の数を数えると数が減ってる……とかだったけ?」
薄暗くなってきた周囲をキョロキョロと見回す。
既に放課後。
生徒達は部活中でまだ終るまで少し時間がある。
校庭の方からは野球部やサッカー部の野太い声が、校舎の方からは吹奏楽部の奏でる楽器の音が聞こえる。
「今ならバレないよね」
イタズラをする小学生のような気持ちで呟いた。
「いち、に、さん、し――」
そして数を数える――薪の。
よしっ。
数え終わると、その周囲を回る。
もし見られていた時の為に、時々苔を取りながら。
三周。
「はぁはぁはぁ――」
まだ若いつもりだったが、少し息が上がってしまった。確かに働きだしてこの方運動した試しがない。
「ジムにでも通おうかな。はぁぁぁ、よしっ。いち、に、さん、し――――」
息を整えてから、再び薪の数を数える。
「――十一、十二、ってあれ? ホントに一本減っちゃった?」
小学生の時にも友達と何回か試したことがあるが、私はいつも同じ数だった。友達の中には数が違う子もいて、そんな時はみんなでキャーキャー言いながら帰ったものだ。
「何やってんだろ私」
体力は落ちているが、昔を懐かしむにはまだ早い。誰も見てないとはいえこんな子供じみた事を……どうかしていた。
苦笑いを浮かべて、その場を後にした。
翌朝。職員朝礼にて。
「昨晩ですが、不審者が入り込んだ疑いがあります。先生方はくれぐれも注意して下さい」
教頭先生が淡々と口にした言葉に首を傾げる。
「不審者って。大変じゃないですか。警察に届けたり、休校にしなくていいんですか?」
一人の先生が言い募った。
前まではこんなに感情を出す先生じゃなかったような……。
そんな場違いな事が頭を過った。
「あくまで可能性です。今日一日私と手の空いている先生で校舎内を見回って不審者の可能性が高まればそのような対応も必要になると思っています」
「……そう、ですか」
そして、一時間目たまたま授業が入っていなかった私も見回りに駆り出された。
「ところで、どうして不審者が入り込んだって話になったんですか?」
同じく一時間目の授業が入っていなかった先輩の先生と一緒に校内を歩きながら質問した。
授業中の為日中にも関わらず酷く静かだ。
この中に千人を超える人がいることを忘れそうになる。まるで別世界だ。
「ああ、何でも宿直の先生が人影? みたいなのを見たらしいんだよ」
「それはかなり黒よりのグレーな話ですね」
「まぁな」
何でも昨晩宿直の先生が見回り中に不審な影を見たそうだ。
場所は昇降口から教室棟に続く短い廊下の辺り。
見間違いだろうと思ったそうだが、一応確認のために足を向けた。
すると、当然そこに人の姿はなかったが、何か重たいものを引きずったような跡と、石の欠片と苔のようなモノが落ちていたそうだ。
「それは何とも不思議な話ですね」
「だよなぁ。足跡とかがあれば教頭もすぐに警察に連絡したと思うんだけど。見間違いや生徒の悪戯何かの線が完全に消えてないからな」
「事なかれ主義の教頭先生の判断でこうなったと?」
「そこは察しろ」
「……はい」
私たちが担当したのは特別教室棟だった為特に何も見つからなかった。
「じゃあ、俺この後授業あるから」
「私は三時間目からなのでもう少し見回ってみます」
「ああ、よろしく頼む。――あ、教頭が見回りは二人以上でって言ってたから、一度職員室に戻って手の空いた先生探して来いよ」
「分かってますって」
先輩先生と別れた私は言葉通り職員室には向い、しかし再び一人で今度は昇降口へと向かった。
一応先輩から聞いた跡を確認する。
既に掃除がされており、苔などは見当たらなかった。
傷はあったが、それと知らなければ見逃してしまう程度のモノ。
「……」
私は無言のまま、昇降口から外に出た。
そのまま校門の方へと向かう。
目的の場所はすぐに見えた。
二宮金次郎像。
昨日と変わらず人目に触れず寂し気に佇んでいた。
像に近づきその周りをゆっくり回る。――今日は薪の数は数えずに。
目的のものはすぐに見つかった。
昨日私は数えるのに邪魔だと思い、薪の辺りの苔を毟り取った。が、足元や台座部分の苔はそのまま放置した。
しかし、現在像の足元の苔は減っていた。人の手で綺麗に取ったというよりは何かに擦り付けてとったような歪な取れ方。そして、足元の小さな欠損。
ポケットから小さな石片を取り出し、そっと像の欠損部に添える。
「……ピッタリ」
ゆっくりと像を見上げる。
真剣に本を読む表情、角度を変えれば憂いを帯びた悲し気な顔。
いつもと変わらない。
「いち、にい、さん―――――」
薪を数える。
数え終わると像を見つめたままゆっくりとその周りを三周。
「いち、にい、さん―――――」
再び薪の数を数える。昨日より真剣に。
「十一、十二、十三――――よし、同じ。ゴメンね、私が変な事したからだよね。薪の数は減ってないからまた勉強に戻ってね」
そう言って私はその場を後にした。
翌日。
何故か不審者の話自体がなかったようになっていた。
まぁ、それならそれでいいだろう。
二宮金次郎――またの名を二宮尊徳。
農家出身で幼い時に洪水で田畑が使用不能となり没落。父や母も若くして他界。叔父の家の手伝いをしながらも、借金を返済し田畑を取り戻し家を復興した。その後財政難農村の復興などに尽力した。
江戸時代後期に報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した。
「至誠・勤労・分度・推譲」を行っていくことで、人は初めて心身共に豊かに暮らすことが出来るという理論。「至誠」とは誠実な心。「勤労」から学び自分を磨く。「分度」は、状況をわきまえ、慎み節約すること。「推譲」とは、節約して余った物を自分の子孫と他人や社会のために譲ることを表わす。
今の世の中がどうかは知らないが、立派な人物だ。
死して尚、自分の仕事を全うしようとしている。
貧しかった二宮金次郎にとっては薪一本と言えど、無くすわけにはいかないモノだったのだろう。
私は今日も像の元に通っている。
手に水の入ったバケツとたわしを持って。
像を綺麗にすることで少しでも彼の
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