第14話 人体模型

 「コレって授業で使うことあるのか?」


 昼休みが終わり、掃除時間。

 理科室で黒い実験台を拭いていると、掃き掃除をしていた〇〇が突然喋りかけてきた。

「ん? 何のことだ?」

「いや、人体模型って大体どこの学校にもあるけど、授業で使ったこと一度もないなぁと思って」

 〇〇は履く手を止め、箒の持ち手部分に腕を組んで、その上に顎を乗せながら、教室後ろに佇んでいる人体模型とにらめっこしていた。

「いや、あるだろ。小学校の時とか――」

 そんなバカなと思い記憶を手繰る。

「いや、なかったわ」

「だろー」

 〇〇が大げさに声を上げた。

「で、どうしていきなりそんな事を思ったんだ?」

「ん〜? 昨日都市伝説の動画見てたら人体模型出てくるやつがあってな。そう言えば、こういうのでしか人体模型って見たことないなって思ったんだよ」

「何だよ人体模型が出てくる都市伝説って。七不思議の間違いだろ」

「まあ、似たようなもんじゃん」

 言いながら〇〇は人体模型の目を覗き込んでいた。

「おーい、何してんだお前。手を動かせ手を! 掃除時間終わるぞ」

 サボるともなく掃除をサボっているとガラッと扉が開いていて、理科の先生が入ってきた。

「やべっ。じゃあな、ぼっちちゃん」

「不名誉なあだ名付けてやるなよ……」




 掃除時間が終わり生徒が去った後。

 理科室には私と人体模型だけが残る。

 おかしな表現と思うかも知れないが、私にとってはコレが普通だ。

 いや、普通になったと言った方いいだろうか。


 生物の授業を担当する私は普段から職員室には居らず、もっぱら理科準備室にいる。

 初めは職員室の独特の雰囲気に馴染めなかったからだったが、こっそりポットや電子レンジ、小型の冷蔵庫などを持ち込んだため思いの外快適な空間になってしまった。

 今ではここが私にとって我が家に次ぐ第二の城だ。


 そして、人体模型は私がこの学校に赴任してきた時にはすでに現在の位置に置かれていた。

 授業で使う訳でもないのに不思議と埃などは積もっておらず、保存状態も良かった。今にも動き出しそうと言ったら語弊があるが、新品よりは程よく経年劣化があり、けれど使い古された感じでもない。人間でいうところの良い年の取り方をした人体模型だった。


 そして、日々理科準備室や理科室で過ごしていた私だからこそ気が付いた。

 それは微かな違和感――違いだった。

 人体模型の置いてある位置が数センチズレていたり、手の角度が違ったり、視線の向きが変わっているように見えたり……。

 初めは生徒の悪戯かと思い、掃除中の様子などを注意して観察していたが、誰も指一本どころか視線さえ向けない始末だった。

 これにはさすがに人体模型が不憫になってしまった。


 そんな事があったせいもあり、私は時々人体模型を拭いたり、話しかけたりするようになった。


「調子はどうだ?」

「今日もお疲れさん」

「また明日な」


 など。

 人体模型についても調べてみた。

 そもそも授業で使わないのに何故どこの学校にも置いてあるのか。

 そうすると陰謀論めいた話が出てきた。

 何でも人体模型を学校に置くことは国からの要請によるものらしい。

 しかも一体十五万円もするとか。

 使いもしない人体模型に対して十五万。日本全国の学校が作ったとなると五十億近くのお金が動いていた事となる。それも国の指導で。

 

 どこまで本当の話か分からないが、大人の事情で用途もなく作られ、放置される人形。

 私が子供の頃、一時期は学校の怪談などで有名になった事があった。

 使われず放置され続けた人体模型。

 日本には古くから付喪神と呼ばれるモノがいるが、なるほど。それは化けて出たくもなるというものだ。


 そんな生活を続けていたある日、それは起った。

 その日は宿直当番だったがので、普段よりも遅くまで理科準備室にいた。

 黄昏が終わり、宵の闇が次第に学校を覆っていた。

 

 ガタンッ


 ビーカーでコーヒーを飲んで寛いでいると、突然音が響いた。

 ビクッと肩が震え、危うくコーヒーを零してしまうところだった。

 ドッドッドと早鐘のように鳴り響く心臓の音を感じながらも、ビーカーを置き、ゆっくり腰を上げた。

 音は理科室から聞こえた。

 この時間にこんな場所に来るもの好きは私くらいのはずだ。

 恐る恐ると理科準備室の扉を開ける。

 その先には――電気が消えて薄暗いが、普段と変わらない理科室があった。

 ゆっくりと視線を巡らす。

「誰かいるのか?」

 声を掛けるが反応はなし。

 何か機器や実験道具が棚から落ちたのかと思ってそちらを見るが異常はない。

 

 びゅ――う


 突然強い風が、窓を揺らした。 

 そう言えば今日は昼間から風が強かった。

 先程の音は窓ガラスに何かが当たった音だったのだろう。

 そう結論付けると、安堵の溜息をもらしながら理科準備室に戻ろうとした。


 ガタ


 小さな音だった。

 しかし、その音は確かに中から――理科室の後方から聞こえた。

「誰だ!」

 咄嗟に振り返り、音のした方に視線を向けた。

 そこには何もなかった。

 あるはずのモノが――人体模型がなかったのだ。

 サァ―――っと血の気が引いた。

 全身に鳥肌が立つ。

 視線を忙しなく動かすが、人体模型は見当たらない。

 呼吸が荒くなる。

 しかし、身体はゆっくりと動き出す。確認しない訳にはいかなかった。

 今の位置からは見えない、実験台の死角を確認するために。


 一歩。一歩。ゆっくりと。

 次第死角が視界に入ってきた。――人がしゃがんでいれば辛うじて隠れることが出来る。そんな死角が、視界に入った。


「――――――ッ!」


 悲鳴を上げなかったのは奇跡だった――いや、半ばその光景を予想していたためどうにか堪えることが出来たというべきか……。

 薄暗い室内で黒の実験台の隅にソレはいた。

 基調は肌色。そして所々に赤や青、紫色と派手な色彩を持った人が――人型が――


 身体が硬直して動けない私と、その存在に気が付いたのかギシギシと音を立てながらもゆっくり顔を上げる人体模型。

 人と人形の立場が逆転した瞬間だった。

 そして、視線が合った。


 顔の半分が縦に切り取られ、内部をさらけ出している瞳がこちらを――意志の籠らない瞳で見つめてきた。


「わぁぁっぁあっぁぁぁあっぁぁぁぁ!!!!」


 恐怖のガタが外れた。

 私は情けない悲鳴を上げて宿直室に籠り、その日は朝まで布団の中で眠れぬ夜を過ごす事となった。


 翌朝。

 私は理科室の前にいた。

 朝日を浴びて冷静になると昨日の出来事が夢だったのではないかと思えてきたからだ。それに、このままでは理科準備室私の城が使えなくなってしまう。それは避けたかった。その為にはどうしても人体模型を確認する必要があった。


「……よっし」


 意を決して、扉を開ける。

 そこには普段通り――教室の後ろの定位置に人体模型が佇んでいた。

 恐る恐る近づく。

 少し離れたところで違和感がないか見回す。次に恐る恐る触れてみた。

 ヒンヤリと冷たい――作り物の肌触り。

「ははは……」

 乾いた笑い声が漏れた。やはり昨日の出来事は夢か何かだったのだ。

 人体模型が動くなんてことがある訳がいない。


 安心した途端、無性にコーヒーが飲みたくなった。

 今日はいつもより濃い目に入れよう。

 意気揚々と理科準備室の扉を開けた。

 

「――ん? 何だコレ」


 いつもコーヒーを飲む時に使っているテーブルの上に小さな紙切れが乗っていた。

 どうやら何か書いたあるようだ。


「ん~何々?―――――⁉」


 そこに書いてあったのは謝罪文だった。

 昨晩私を脅かしてしまったことに対する謝罪。

 そこまで読むと誰か生徒の悪戯かと頭にきたが、続きを読み進めていく内に違うようだと気付いた。

 そこには、長年使われていない不満と経年劣化への嘆き。そして、私への感謝が綴られていた。

 身体を拭いてくれて事。話しかけてくれた事。

 そのどれもが嬉しかった事。

 今まではそれほど動けなかった――それこそ視線を動かしたり、指先の向きを変える程度だったが、私への感謝の念を伝えたいという思いが募り、昨日ついに動けるようになった事。驚いて慌ててしまい、そのせいで私を驚かせてしまったことを酷く反省している文章だった。


 私がこっそり一人でしてきた事まで書いてあった。

 昨日の様子についてもだ。

 とても生徒の悪戯には思えなかった。

 理科準備室から出て、人体模型の前まで移動する。


「コレは、お前が書いたのか?」


 人体模型の目の前に、髪をかざした。

 ジッとその眼を見つめる。


「……」


 無言の静寂。

 そして、一瞬すまなそうにその眼が下を向いた、ように見えた。


「――――! そうか……」

 そっと紙を下ろす。

 改めて人体模型を見つめた。

 所々経年劣化はあるがまだまだ使えそうな模型。


「今年の文化祭でお化け屋敷の小道具でもよかったら使ってやるよ」

 そう言って、そっと頭を撫でた。


 その後人体模型が動くところを俺は見ていない。

 

 

 




 


 

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