第8話 続 夜の校内放送

 一睡も出来ないまま朝を迎えた。

 

 いつの間にか校内放送は止まっていた。

 布団を頭からかぶっても、耳を塞いでも、頭に直接響いてくるよに聞こえたアノ機械音。

 何を言っているのかまでは分からないかったが、聞き間違いなどではない。

 


「教頭先生ッ! 一体どういうことですか!」

 朝礼前に教頭を捕まえて、詰め寄った。

「おはようございます〇〇先生。一体どうされたのですか?」

 しかし、そんな剣幕を前にしても相手は涼しい顔だ。

「どうもこうもありませんッ。放送室の故障ってアレ嘘ですよね⁉」

 半ば確信を持って言い切った。

「嘘とはまた随分ですね。――一体何を持って嘘だと?」

 その態度に更にカッとなって手が出そうになったが、どうにか堪えて苦々しく口を開く。

「自分も最初は放送スイッチの故障かと思っていました。でも、違った。アレは、アノ放送は間違いなく何かを喋っている」

 強い眼で言い募る自分を、どういう感情が籠っているのかよく分からない目で教頭が見つめ返してきた。

「はぁ。〇〇先生もですか。まったく最近の若い先生ときたら」

 溜息をもらして、首を振った。

「自分もって――もしかして△△先生も同じことを?」

 予想外の――いや無意識にその可能性を考えない様にしていた――その事実に声が震えた。

「ええ、〇〇先生と同じように見回り中に校内放送が流れてきた、何かを喋っていると。しかも、日に日にその声がハッキリしてくると言って宿直を放棄しようとされまして……まったく仕事を何だと思ってるのやら」

「△△先生の報告を無視したって事ですか⁉」

「とんでもない。現に放送室の立ち入りを禁止しているではないですか」

「それでも、確かに夜校内放送が流れているんですよ⁉」

「何ですか? 先生は私にどうして欲しいのですか? 私がお化けのせいだとでも言えば満足ですか? まったくバカバカしい。そんな事ある訳がないでしょ。嘆かわしい事に現在わが校でそのような噂話が蔓延している事は私も知っています。生徒間だけでも嘆かわしいというのに教師までがそんな与太話を真に受けて業務を放棄するなど言語道断です」

「いや、しかし、確かに放送は――」

 それまで感情を押し殺していたのだろう、教頭先生の剣幕に圧倒されてしまった。

「もし仮に放送が事実であったとすれば、誰かが校内に不法侵入しているという事です。そういった事がないように見回りをするのが宿直の仕事のはずですが、どうせ放送室まで確認しに行ってはいないのでしょ?」

 その呆れが混じった視線を向けられ、サッと顔が赤くなるのを感じた。

 冷静になって考えてみれば、その通りだ。

 怪奇現象などと考えるよりも、不審者――生徒がどうにかして鍵を入手したり、合鍵を作って侵入していると考えた方がまだ自然だ。

 高校生にもなって七不思議などを面白おかしく噂するような精神年齢のヤツ等だ。

 して良い事と悪い事の区別もついていない可能性がある。

 只の悪戯。悪ふざけ。

 そう思うと、自分の不甲斐なさと、生徒に対する怒りが込み上げてきた。


「――すみません。教頭先生のおっしゃる通りです。もし、今日も校内放送が聞こえたら、現行犯で犯人を捕まえて見せます」

「そうですか。分かって頂けたのなら良かったです」

「はい。失礼します」

「よろしくお願いします。くれぐれも報告は忘れないで下さい」



 放課後。

 今日は懐中電灯の他に、護身用として竹刀を一振り剣道部から拝借してきた。

 剣道部の顧問には不思議顔をされたが、剣道に興味があると答えるとあっさり貸してくれた。体育会系の奴らは体育教師は扱いやすくて助かる。


 今日も三階、二階は異常なし。

 一階に到着した。


『ガガッ――ザーザー――』


 きた。

 足を止め、耳をそばだてる。


『ザザッ――ホウカゴ、デ――ザザッ――バショ――クダサイ』


 間違いない。

 途切れ途切れだが、何かを話している。

 声質は幼子であるようにも、作られたような機械音であるようにも聞えよく分からない。

 近頃の機器の発達は凄まじい。特にスマホはアプリをインストールすれば大体のことができてしまう。

 この音声もどうせ変声アプリなどだろう。

 放送室でニヤニヤとスマホを操作しながら放送をかける生徒を妄想して、竹刀を握る手に力が籠もった。


「覚悟しろよ」


 鼻息荒く足を進める。

 辿り着いた先は放送室。

 スピーカーからは一定の間隔で、途切れ途切れの音声が流れ続けていた。

 扉の前の放送中の赤灯は光ったまま。

 間違いなく中に誰かいる。

 扉に手をかけるが、施錠されていた。


「――よしっ」

 

 気合を入れて、持っていた鍵で扉の施錠を解く。

 鍵は事前に職員室から持ち出しておいた。

 どうやら、中にいる生徒はどうにかして放送室の合鍵を入手したようだ。――ピッキングという可能性もあるが、流石に高校生には無理だろう。


 ガチャリ


 思いの外大きな音がした。

 重たい扉を力を込めて開ける。


 果たして――そこは無人だった。


「そんなバカなっ!?」

 想定外の出来事に慌てて周囲を確認する。

 狭い室内だ。隠れられそうな場所などない。部屋を出て廊下を見渡すが、無人。


「……どういうことだ?」

 振り返る。

 そこに在るのは、やはり無人の放送室。

 放送中の赤灯が煌々と光っている。


 恐怖を感じる感覚が麻痺している。茫然と、何も考えられない。

 自分が置かれた状況が。

 現象が理解できない。


『ガガッ――』


 こうしている今も校内放送は流れ続けていた。

 放送室の重い扉を支える手の力が抜ける。

 ゆっくりと扉が閉まった。


「え?」


 すると先程まで聞こえていた、ノイズ交じりの声が聞こえなくなった。

 ――――無音。

 慌てて、扉を開ける。


『ザザッ――ガガッ―――――』


 放送室を出ると、音は変わらず聞こえた。

「どういうことだ?」

 再び同じ疑問を口にした。

 校内放送として流れ続けている音声――しかし、音源であるはずの放送室は無人で無音。

「この放送は、放送室を通していないって事か? 音だけがスピーカーから直接流れ出ている……」

 果たしてそのような事が可能なのだろうか。

 辛うじて冷静さを保てているのは、心のどこかでこの現象が生徒の悪戯によるものだという可能性に縋っているからに他なかった。

 細い糸一本。その糸に必死にしがみ付いてる。

 しかし、糸は酷く簡単にほつれ、ほころび、その強度を落としていく。

 未だ光り続ける赤灯。鳴り響く校内放送。無人の放送室――視線を動かす度にプチプチと乾いた音をたてていく。


「――っ⁉」


 そして、その時は訪れた。

 動き回る視線の端に、確かに見えた。

 小さな黒い影。

 高校生ではありえない。小学校低学年くらいの子供の影が見えた。

 咄嗟に振り向くが、そこに広がっていたのは闇。

 すると今度は反対側の視界で影が動いた。


 振り向く――消える。振り向く――消える。振り向く―――――――!


「はっ! はっ! はっ!――――」

 過呼吸の様に呼吸が早く荒くなる。

 何だ⁉ これは一体なんだ⁉ 自分は一体何を見ているのだ⁉

 荒げる呼吸に、しかし手足の先は氷水に付けた様に冷たい。

 周囲の気温もサッと下がったようだ。

 そして、ソレを感じた時に―――――


『アト、ヨッカ』


 耳元で声がした。

 生気を感じない、冷たく、平坦な――校内放送と同じ声で。

 その瞬間、自分の視界は暗転した。



 目が覚めると宿直室だった。

 どうやってここまで戻って来たのかは分からない。

 アレは全て夢だったと思えたらどれだけいいだろう。

 しかし、分かっている。

 耳元で聞こえ、感じたアノ恐怖は本物だった。

 

 あと四日――ソレは宿直当番の終了する日だった。


 あの影は一体自分をどうするつもりなのだろう。

 昨晩の恐怖を思い出し、ガタガタと震える身体を自分自身で抱きしめながら布団の中で暫くうずくっていた。


 教頭には言えない。

 言っても相手にされないどころか、△△先生の様に体調不良を原因に退職を迫られるかもしれない。

 就職難の中ようやく手にした安定職をやすやすと手放したくはない。

 あと、四日我慢すればいいだけだ。

 何なら見回りをサボってもいい。

 それさえ終わってしまえばこっちのものだ。


「〇〇先生おはようございます。昨日は何も起こりませんでしたか?」

 職員室に顔を出すと、教頭先生が真っ先に声を掛けてきた。

「おはようございます。ええ、残念ながら。でも、今度現れたら絶対捕まえてやりますから」

「……そうですか。ほどほどにお願いします」

「分かりました」

 何故か不審そうな顔をされたが、知った事ではない。


 その日はから元気を振りまきながら過ごした。


 四回目の放課後。

 今日は宿直室から出る気はなかった。

 午後九時半を過ぎた頃、いつもの校内放送が聞こえ始めた。

 宿直室でも聞こえるという事は、この音は放送室以外では全て聞こえると考えていいだろう。

 チャイムが鳴り終わると『ザザッ』というノイズの後にいつもの声が聞こえ始めた。

 その瞬間昨日放送室で見た影を思い出し、全身に鳥肌が立った。

 どうにかして気持ちを紛らわせよう、落ち着かせようとテレビを付けたり、スマホをつついたりしてみたが、声は鼓膜を揺すり脳まで届いた。


『ホウカゴニナリマ――マス。――ショテイ――クダサイ』

 

 そして、気が付いた。

 日に日に放送の声が鮮明に聞き取れるようになっている事に。

 意味はまだ分からない。

 しかし、確実に文章として誰かに何かを伝えている。


「――ん? この放送は誰に向けて流れてるんだ?」

 校内放送とは誰かに何かを伝える目的の元流される。

 では、この放送も? 

 確か、言葉の最後に『下さい』と言っていた。

 懇願。この放送主には言葉を伝えたい相手がいる。

 その相手さえ見つけることが出来れば、この件は解決できるのではないだろうか。

 突如として、湧き上がってきた希望に興奮を覚えた。

 我ながら冴えている。

 明日はやはり校内の見回りをしてみよう。そう思い布団に入った。


 五日目の放課後。

 この日は特に収穫なし。

 校内放送で流れる声は、やはり鮮明さを増した。


『ホウカゴニナリマシタ。――ショテイ――ツイテクダサイ』

 

 最早疑いようがない。

 確実に誰かに何かを伝えている。


 六日目。

 この日は土曜日。昼間でも校内の生徒の数はまばら。

 一応念のために、怪しい動きをする生徒がいないか見て回ったが、路頭に終わった。

 そして、放課後。――この日は放課後もいつもと様子が違っていた。


 初めは気が付かなかった。

 宿直室で何となく眺めていたバラエティー番組が終わり、見回りに行こうと立ち上がった。


 その一瞬世界の音が遠のいたように感じたが、すぐに感覚は元に戻った。――より鋭くなって。 

 闇が校舎を覆い尽くし、虫の囀りと風のささ鳴り以外は聞こえない。無人の空間。

 しかし、確かに感じる無数の存在。

 目には見えない。

 しかし、それは微かな音だったり、空気の重さだったり、鼻腔を擽る匂いだったり。

 それらは微かな違い。微かな違和感となって、第六感を刺激した。

 ザワザワと聞こえないはずの音まで聞こえてきそうだ。

 明日が最後の夜だ。

 今日成果を上げなければこの現象の解決は難しいだろう。

 しかし、足が動かない。

 まるで張り付けられたかのように、宿直室から出られない。

 背中に汗が滲む。

 足どころか首も、手も動かない。

 唯一動く目だけで周囲の様子を探る。

 部屋に変化はない。

 動きがあるものと言えば付けたままになっているテレビの画面のみ。


 ジジジッ


 そのテレビの画面が突然音をたてて消えた。

 突如訪れた静寂。

 しかし、それも一瞬――

 

 ジカッ ジカッ


 故障音のような音を響かせたかと思うと、パッとテレビ画面に光が戻った。

 映ったのは、黒い影。

 姿

 そして、突如靄の一部が裂けた。

 顔で言うところの口の部分。そこが大きく三日月を描く。


『アトイチニチ』


 はっきり聞こえたその声に悲鳴を上げそうになったが、喉の奥がキュっと狭まり音が出なかった。

 呼吸が荒くなる。

 苦しくなって顔が下を向く――先程まで微動だに出来なかった顔が。


 そして、見てしまった。

 床から生えた二本の白い小さな手が、自分の足をガッシリ掴んでいるところを。


「わあああああああああああああああああああ」


 今度こそ悲鳴が出た。

 そして、視界は暗転する。



「―――はっ!」

 飛び起きた。

 場所は宿直室の布団の上。

 どうやらあの後気絶したまま朝を迎えたようだ。

 慌てて確認するが、身体は動くし、あの手も見当たらない。

 つけっぱなしだったテレビも普通にバラエティーが流れていた。

「ふぅぅぅ」

 大きなため息が漏れた。

 酷く疲れていたが、今日を乗り切ればもう大丈夫だ。

 大きく伸びをしてスマホを手に取った。


「ん?」


 そこで異変に気が付いた。

 テレビで流れているバラエティー番組は普段だと日曜の夜にしているモノではなかったか? 

 恐る恐るスマホに視線を落とす。

 表示された時間は午後八時五十五分。

「――⁉」

 あまりの事にスマホを手ほ中から落としてしまった。

 現在の状況から言えることは唯一つ。

 丸一日気絶していたという事だ。

 そして、心構えが出来ないまま最後の夜を迎えてしまった。

「どうする⁉ どうする⁉ どうする⁉」

 半ばパニックを起こしながら、頭を抱えて室内を歩き回った。

 だが、それはすぐに止められてしまった。

 聞き慣れてしまった『』によって。



『ホウカゴニナリマシタ。ガッコウガハジマリマス。ミナサン ショテイノイチニツイテクダサイ』


 ハッキリと聞こえた。

 そして、背筋を走る感じた事がないような悪寒。

 ゾワッ と全身に鳥肌が立つ。

 自分以外無人のはずの校舎。

 先程までは間違いなくそうだった。

 しかし、今は違う――無数の存在を肌で感じる。


 闇が蠢く。

 ああ、理解できてしまった。

 理解してしまった。

 アノ放送は確かに誰かに向けられたものだった。

 それは夜の生徒。

 日中は姿を現さず、夜になると現れる、学校の住人。

 闇の中から現れて、闇に引きずり込む。

 怪異、怪談――七不思議と呼ばれるモノたち。

 夜の校内放送は彼らに向けて流されていた。

 活動を開始するように、と。


 ダラダラと汗が流れる。

 手足が氷のようだ。

 金縛りにあったように動かない身体。

 視線も正面に釘付けだ。

 

 自分は彼らの時間に迷い込んだ、生贄だ。

 昨夜の靄の笑みが脳裏を過る。

  

 目を瞑り、深い息を吐く。

 


 目が合った。

 黒い靄で形創られた人型――その小さな顔の部分に更に穴のようにぽっかりを開いた二つの空洞。その下には真っ黒な三日月。


 歓喜 狂喜――酷く無邪気な悦びの感情が流れ込んできた。


 ああ、きっと△△先生もそうだったのだ。自分も彼らの仲間になるのだ。

 靄が嬉しそうに纏わりつき身体を覆い尽くしていった。


 暗転。


  

 

 

 

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