第8話 夜の校内放送
ピーポーンパーンポーン
「間もなく完全下校時間です。残っている生徒は速やかに帰宅してください」
日中のざわめきは成りを潜め、静寂に支配されつつある校舎にそんな音が鳴り響いた。
「やべっ! もうこんな時間かっ。おーい、片付け始めろ―!」
「疲れたー」
「やっと終わったー」
「帰りどっか寄ってく?」
途端に喧騒が広がる。
部活中だった生徒たちが慌てて、安堵しながら帰宅の準備を始める。
その様子を二重扉で閉ざされた放送室で妄想しながら大きく欠伸をする。
時刻は午後七時前。
まだギリギリ勤務時間内だが、他に誰もいないこの空間ではいつも気が抜けてしまう。
勤務時間も残り数分。
放送委員会の顧問を押し付けられてから、この放課後の放送が自分その日最後の仕事だ。
今日は宿直にも当たっていないため、このまま帰宅出来そうだ。
まぁ、一人暮らしの寂しい身の上。家に帰っても誰もいない。色々な葛藤はあるが、騒がしい学校の方が居心地が良いのも事実だった。
「とは言っても、
松江西南高校。
母校である高校の日本史の先生。生徒からは〇〇ちゃんと渾名で呼ばれている。
年が近い為親しみやすいのだろう……決して舐められている訳だはない、と思いたい。
高校という事もあり、小学校や中学校の様に生徒がワチャワチャすることもなく、授業もしやすかった。
教師二年目の今年。昨年よりも肩の力が抜けて仕事が出来ていると思う。
そのせいか、生徒の噂話のようなものも耳に入ってくるようになった。
今日もとある生徒からある噂話を耳にした。
それは所謂『七不思議』と呼ばれる類のものだった。
それを聞いた時には、高校生と言ってもまだまだ子供なのだなと思った。
内容も特に捻りがある訳ではなく、『トイレの花子さん』や『十三階段』『合わせ鏡』など、自分が小学生の時に聞いた事がある話ばかりだった。
子供の頃見た『学校の怪談』という映画。いくつかのシリーズがあるが、その中でも独りでに跳ねるサッカーボールに導かれて旧校舎に入って行き、そこに閉じ込めらしまう話がある。ここにいるのは恐ろしい怪異たち。今ではもうどうやって脱出したのか、そもそも脱出できたのかさえ覚えていない。
ただ、『恐怖』の感情だけが心に残っている。
ブルル
そんな『恐怖』を思い出し、背筋に冷たいものが走った。
慌てて振り返る。
しかし、そこに在るのは雑然と置かれた放送機器――見慣れた光景だった。
学校において、人工的に外界と隔絶されたこの空間が閉じ込められた旧校舎を連想させたのかもしれない。
「……今日は外で食べて帰るかな」
こんな気持ちのまま無人の家に帰っても寝つきが悪くなる。
外で一杯ひっかけて帰るくらいが丁度いい。
赤く光っていた、放送中のライトをオフに。戸締りを確認して放送室を後にした。
「あ、〇〇先生、お疲れ様です」
「ああ、△△先生お疲れ様です。先生ももう上がりですか? 良かったらこの後一杯どうです?」
職員室で同僚の先生とバッタリ出くわした。
この後一人で飲みに行こうかと思っていたが、今の気分では独りよりも誰か一緒に居てくれた方がありがたかった。
「ああ、すみません……」
しかし、その願いは実のならなかった。
「私今週は宿直当番なんですよ」
「ああ、それは、仕方ないですね」
何ともバツが悪い顔で互いに頭を掻いた。
「はぁ、よりよって今週が宿直何てついてないなぁ」
「? どうかしたんですか?」
明るくて仕事熱心な同僚にしては巡らしい愚痴に首を傾げる。
「先生も聞いてません? 七不思議について」
「ああ、アレですか。『トイレの花子さん』や『合わせ鏡』とかの」
「そうソレです。最近ウチの学校で流行っているらしくて」
「そうみたいですね。高校生とってもまだまだ子供って子供って事ですかね」
「そうですね。でも、こちらの身にもなって欲しいものです。そんな話を聞かされた後に夜一人で学校の中を見て回るなんて何かの罰ゲームですか!」
心底嫌そうに顔をしかめる同僚の様子に、先程までの自分を棚上げして思わず笑みが零れた。
「ああ、笑うことないじゃないですか! 他人事だと思って」
「ははは、すみません。今度奢るから許して下さい」
「言いましね? 約束ですよ」
「了解です」
プリプリ怒る同僚にどうにか許してもらい、その日は独り寂しく居酒屋の暖簾をくぐった。
翌朝。
「おはようございます」
職員室に入ると同僚は既に自分のデスクに座っていた。
近づいて挨拶する。
「……」
が、返事がない。
不思議に思い改めてその様子を見ると、デスクに両肘をつき、頭を抱えるように俯いていた。
「先生? どうかしたんですか?」
「……」
再度声を掛けるが、やはり返事はなかった。
「…は…め」
いや、何か言っている?
耳を近づけてみた。
「アレは夢 アレは夢 アレは夢――――――」
同じ言葉を、まるで自分に言い聞かせるかのように呟き続けていた。
「先生っ!」
ただ事ではないと思い、俯く両肩を乱暴に掴んだ。
「……あれ、先生おはようございます。どうしたんですか? そんな怖い顔して」
「どうしたって……」
同僚は何事もなかったかのように、キョトンとこちらを見つめてきた。
先程自分が見ていた同僚こそが夢であったのではと、錯覚してしまいそうになる。
「先生こそ、大丈夫ですか? 昨日の宿直で何かあったんですか?」
昨日の怯えた様子では、ないはずのものを見間違えてもおかしくはなかった。
「……ある訳ないじゃないですか。何事もない平和な夜でしたよ」
その顔から一瞬表情が消えたのを見逃さなかった。
しかし、それはすぐに作り物の笑顔によって覆い隠されてしまった。
「先生――――」
再度聞き出そうとすると、
「そろそろ授業の準備があるので失礼します」
そう言って、職員室を出ていってしまった。
自分はただ、その背中を見つめる事しか出来なかった。
次の日から。
同僚の様子は日に日にオカシクなっていった。
毎朝同じようにデスクで俯いて、ブツブツと何か言っていた。
その眼は次第に血走り、隈も増え、身なりにも気が回らなくなっている様だった。
呟きの内容も変化していた。
『気のせい 気のせい 気のせい』
『放課後がくる 放課後がくる』
『放送室 ダメ でも 行かなきゃ でも ダメ』
『聞こえる また 聞こえる 聞こえる』
『ははははははははははははは』
六日目にはとうとう言葉ではなくなった。
ただ乾いた笑い声をそのポカンと開いたままの口から零し落としていた。
翌週の朝。
「△△先生は体調不良により退職される事になりました」
朝の職員会議で唐突に教頭先生から告げられた。
しかし、疑問に思う先生は誰もいなかった。
先週の同僚の様子を全員が見ていたからだ。
残念だが、こればかりは仕方がない。仕事が合う合わないはどうしたってあるものだ。
「〇〇先生ちょっと宜しいですか?」
一限目の準備をしていると、教頭先生から声を掛けられた。
「あ、はい。何ですか?」
「実は放送室なんですが、機器の故障が見つかりまして、暫く生徒の使用を禁止として下さい」
「え? 故障ですか? 先週までは特に問題なく使えてたと思うんですが……」
顧問を任されている放送委員の活動場所における危機の故障。真っ先に浮かんだのは責任問題という四文字だった。
「いえ、何も先生の管理責任を問おうとかそう言った話ではないんです」
ところが、それはすぐに否定された。あからさまに顔に出ていたのかもしれない。
「――使用自体は問題ないので、先生には引き続き放課後の放送などはして頂きたいのですか、流石に修理が終わるまでは生徒に使用させるのは如何なものかという話になりまして……」
「ああ、なるほど。そう言う事なら分かりました」
「よろしくお願いします。――あ、もし何かありましたらすぐに教えてください」
「? はい」
あまりに問題ないという割にはあまりに念を押されるため首を傾げてしまった。
そして放課後。
ピーポーンパーンポーン
「間もなく完全下校時間です。残っている生徒は速やかに帰宅してください」
いつものようにその日最後の仕事をしていた。
しかし、この日はいつもと少し違った。
これが最後の仕事ではないのだ。
「はぁ~あ。今日から宿直かぁ……」
一人だけの放送室で溜息が漏れた。
勿論放送中の赤いランプがオフになっている事は確認済みだ。
辞めていった同僚の様子が気になり、どうも宿直に対して乗り気になれなかった。
ダメ下で他の先生に交代を頼んでみたが、案の定ダメだった。
「はぁ~」
溜息を残して放送室を後にする。
宿直室は職員室に隣接していた。
六畳ほどの和室と、バス・トイレ付。冷蔵庫に電子レンジ、IHの狭いキッチン。
一人暮らしなら十分な設備が整っている。
夜――時刻は午後九時。
校内の明りは消え、非常灯の緑光が淡く闇を照らしていた。
「……雰囲気あるなぁ」
手に持った懐中電灯を点灯させる。
職員室から出るとまずは三階に上がる。
そこから一つ一つ教室を見て回り、戸締りや異常がないかの確認をしていく。
懐中電灯の人工的な灯が闇を切り裂く。
視界は保たれるが、なまじ明るくなったため周囲の闇がより濃くなって気がする。
その闇の中から何かが飛び出してくるのではないかと、妙な恐怖感に囚われてします。
「うぅぅ。さっさと終わらせよう」
足を速めながら教室を見て回る。
三階、二階は特に異常なし。
一階に降りる。
その時だった。
『――ザザっ――――――ザザッ』
自分の足音や呼吸音以外は無音の世界に機械的な音が鳴り響いた。
思わず足が止まる。
足元から背筋に掛けて嫌なモノが這い上がって来る。
ゆっくりと視線を上げて音源に視線を向けた。
校内放送が流れるスピーカー。
確かにそこから音が聞こえてきた。
しかし、そんな事はあり得ない。
現在放送室は生徒は使用禁止となっている。
いや、そもそもこんな夜中に生徒がいる訳がない。
いや、それを言えば他の先生だっている訳がない。
第一放課後放送室の鍵を掛けたのは自分だ。
あの防音の二重扉の狭い空間に誰かだ入れるわけが、ましてや放送出来る訳がないのだ。
「あ、教頭が言ってた故障ってこの事か?」
きっとスイッチか何かの故障で、放送中になってしまう事があるのだろう。
原因が分かってしまえばなんてことはない。
「はぁ。まったく教頭も人が悪い。そう言う事なら事前に説明してくれればいいのに」
先程まで感じてきた恐怖は霧散に、安堵の溜息が漏れた。
「取り敢えず、見回り終わらせるか」
その足で、最後の放送室に向かった。
やはり扉の前にある放送中を示す赤いランプが灯っていた。
扉に手を掛けて、力を込める。
ガコン
重厚な音がしたが、扉は開かなかった。
「やっぱりか」
今も、時折『ジジっ』と壊れかけのラジオのような音がするスピーカに視線をやりながら呟いた。
これでもし扉が開けば、中に誰かがいるという事になり、それこそ一大事だったが、扉が開かない以上は中は無人。やはり故障なのだろう。
「さて、寝に戻りますか」
翌朝。
教頭に昨晩の報告をした。
既に知っている事のはずだが、何かあれば報告するように言われたいた為、一応の義務は果たしておかなければ。
「そうですか。――先生暫くは放送室を立ち入り禁止にして下さい」
「――え?」
しかし、思ってもみない反応が返ってきた。
既に生徒に使用禁止の話は伝わっている。それを立ち入り禁止とするという事は。
「先生も暫くは放送の仕事をして頂かなくて結構です」
「あ、はい」
突然の事にそんな返事しか出来なかった。
その日の放課後。
誰もいないはずの校内を懐中電灯片手に見回っていた。
「立ち入り禁止って、そんなに危ない故障って事か?」
只のスイッチの異常でなく、電気系統の異常――それこそ感電や発火、爆発の危険とか。
「な~んて。バカバカしい。教頭は保守的すぎるってオチとかだろう」
今日も特に以上なく一階まで降りて来た。
そして、アノ音が聞こえてきた。
「――ザザッ――――ザザッ」
「ほら、やっぱり故障じゃねか」
昨晩と同じ状況に一人白けた空気になる。
しかし、それも一瞬。
すぐに異変は訪れた。
『――ザザッ――――ザザッガ! ―――シマス』
「え?」
ガシャン
思わず手から懐中電灯が滑り落ちてしまった。
大きな音を発たて落下した懐中電灯の光が、クルクルと回り、闇と灯が瞬く間に入れ替わっていく。
遅れて、昨晩感じた以上の『恐怖』が一瞬で身体を支配していった。
「ははは、き、気のせい、だよな」
歯の根が合わさらず、呟きが途切れ途切れとなった。
『――ザガッ――ホウカゴ、デス――――シマス』
しかし、非現実的な現実がすぐさまその考えを指定してきた。
先程より更にハッキリと、しかし、作りモノめいた音声が校舎を、耳を、鼓膜を、脳を震わせ鳴り響いた。
「うわわわあああああああああああああああ!」
あまりの事に、我を忘れその日は放送室の見回りをせずに、朝まで宿直室の布団の中で震えていた。
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