第9話 禁書

 この図書室には禁書がある。


 代々先輩から後輩へ――図書委員の間で言い伝えられている、もはや伝統と言ってもいい話だ。


 俺も昨年卒業した仲の良かった先輩から教えてもらった。

 何でも図書委員全員が知っているわけではないらしい。一子相伝とでも言うのか、俺以外にその話を知っている委員会メンバーはいないようだ。


 聞いた時は都市伝説みたいで何だがワクワクした。


 禁書の噂はいくつかある。

 一つ。校内の『開かずの間』で管理されている。

 一つ。管理人がいる。

 一つ。禁書を読んだ者はその中に捕らわれる。

 

 小学生の時にでも聞いていたら、結構真剣に『開かずの間』や『禁書』を探していただろう。しかし、高校生となった今では面白いとは思うが、わざわざ探してみようとは思わなかった。


――この話を普通の噂として聞いていたのなら。


 俺がこの話を聞いたのは先輩――先代の図書委員長だった。

 委員長に任命されるくらいなので当然それなりの人物だった。

 勉強ができ、スポーツもそこそこ。何より落ち着いていて、人をまとめるのに長けた人だった。

 どうして、そんな人と俺のようなどちらかと言えば不真面目な人間が仲が良かったかと言えば、ひとえに本のおかげだ。初めて委員会で顔を合わせた時俺の持っていた本を見て先輩から話しかけてくれた。

 それからは事あるごとに本の貸し借りなどをしていた。


 そんな先輩の卒業式の日。

 図書館に呼び出された。

「なんスか先輩? 告白なら勘弁してくださいね。こう見えて俺ストレートなんで」

「バーカ。俺だってそうだよ」

 俺の冗談を笑ってくれた。

「卒業おめでとう御座います」

「おお、ありがとな。これでお前とは会えなくなるな」

「何でですか。たまには戻って来て下さいよ」

 先輩は卒業後県外の大学に行く。

「まぁ、落ち着いたらな」

「約束っすからね」

 その後暫く雑談に花を咲かせた。

 これまでの事。これからの事。話題はいくらでもあった。


「で、だ」

 話が一区切りしたところで、先輩の雰囲気が変わった。

「お前をここに呼び出したのはちゃんと理由がある」

 そう言って先輩が話し出したのは、所謂都市伝説――場合によっては七不思議と呼ばれるものだった。

「その話マジなんですか?」

「さあな。あくまで噂だ。図書委員の一部の間で受け継がれてきた、な」

「でも、先輩は本当だと思ってるんすよね、その話」

「どうしてそう思う?」

「だって、先輩が俺に嘘つくはずないッスもん」

「ははは。何だそれ――でも、まあそうだな。俺は本当の話だと思っている。そして、もし『禁書』図書室のどこからにある『開かずの間』に保管されてるらしい」

 先輩の声に熱が籠り始める。

「いくら探してみても俺には見つけられなかった。でも、お前ならきっと見つけられる」

「どうして、俺なんスか?」

「お前は他にはない視点で物事を見ることが出来る。俺がダメな事は、お前が出来る事だ」

「そんな買いかぶりすぎっすよ。てか、『禁書』って見たら本の中に取り込まれるんすよね? 嫌っすよ俺そんなの探すの」

 あからさまな期待に照れくさくなり、つい心にもない事を言ってしまった。

「……まぁ、探す探さないはお前の自由だ。歴代にも探さずに後輩に話だけ継承したって先輩はチラホラいるって話し出しな」

「じゃあな」先輩はそう言うと去っていった。



 そして、現在俺は『開かずの間』を――そこに在る『禁書』を探し続けていた。

 時間の許す限り図書室に通い、本棚の整理をするという口実で。

 新任の司書の先生には不信な視線を向けられてしまった。

 しかし、現状手掛かりの一つもない。


 そんなある日。

 俺はいつものように放課後図書室にいた。

 もう、探してない場所などないくらいには探し回った図書室を見渡す。

 いや、本当は一か所だけ探せていない場所があった。――司書室。

 いつも司書の先生が常駐しており、いない時は鍵が掛かっている。

 この中で唯一生徒が自由に出入りできない場所。

 視線を向ける。

 視線を感じたのか、顔を上げた司書の先生と目が合った。

 すると何を思ったか、部屋を出てこちらに向かって歩いてきた。

「な、なんスか?」

 やましい事などない、訳でもないが。声が上ずってしまった。

「うんん。今日も探し物?」

「⁉」

「アレ、違った? 君いつも何か探してる感じだったんだけど」

「そ、そうっすか?」

 まっすぐ見つめてくる目を見ていられず、視線を反らす。

 そこに在ったのは、当然本。

「アレっすよ、アレ。図書室で探し物っていったら本に決まっているじゃないですか。〇〇っていう本を探してたんですよ」

 口から出まかせで出た本のタイトルはしかし、実在する――かなり前に廃版となったもの。

「――何だ、そうだったの。それなら声かけてよ。これで私司書なんだから、本探しは得意だよ。ちょっと待っててね」

 そう言って図書室の奥の方へ移動していった。

「ふぅぅぅ」

 その背が本棚に隠れて見えなくなったところで、小さく溜息をついた。

 あの新任の司書の先生は人懐っこくて人気があるのだが、時々何を考えているのか分からない。不思議な雰囲気のある先生だ。

「――あ」

 気が付いた。

 司書室の鍵が開いたままになっている。

 先生もまだ戻って来る様子がない。

「ゴクッ」

 緊張で喉がなる。恐る恐る音をたてないように慎重に、中を覗く。

 室内は教室の半分くらいの広さの空間――入り口横の壁際にデスクが一つ。奥の壁際に大きい本棚と小さい本棚が一つずつ。小さい方の本棚の上にはポットと電子レンジ。その横に小さな冷蔵庫があった。

 至って普通。ぱっと見では怪しいところなどどこにもない。

『開かずの間』の入り口があるとすれば、本棚か冷蔵庫の裏あたりが怪しいか……。


「探し物は見つかった?」


「ウワッ⁉」

 耳元で声がした。

 突然の事に飛び上がる様に振り返った。

 そこにはいつも以上に笑みを浮かべた司書の先生が立っていた。その手には一冊の本。

「す、すいません。ちょっと気になっちゃって。本、ありました?」

 早鐘のように鳴り響く心臓の音を無視して、いつも通りの会話を試みる。

「……」

 無言の笑みとはこうも怖いものなのか。

「あ、それですか?」

 先生が持っている本に手を伸ばす――と、掴む寸前で本を引っ込めらてしまった。

「え?」

 思いもよらぬ動作に、間抜けな声が漏れた。

「……コレは違うの。今はまだ」

「ソレてどういう事――」

 よく分からずに本に向けていた視線を先生の顔に向ける――――そこに在ったのは能面。表情を失くした人の顔だった。

「――ひっ」

 喉から干上がった様な悲鳴が漏れた。

「あ、ゴメンゴメン。さっき言ってた本この図書室にはなかったよ。ていうか、この辺には置いてある図書館ないんじゃないかな」

 一瞬見えた顔が錯覚だったかのように、いつもの笑顔で先生が言った。

「……え、あ、どうですか。じゃあ仕方ないッスね。あ、もうこんな時間か。俺帰りますね。それじゃあ!」

 そう言うと、相手の返事も待たずに図書室を飛び出した。


 それからというもの。気が付けは司書の先生の視線を感じた。

 図書室ではもちろん。学食で昼ご飯を食べている時や、廊下を歩いている時でも。気付けば視線を感じた。そして、振り返った先にはいつも司書の先生がいた。

 普段は図書室から出ること自体が珍しいのに。

 やはり、あの日俺は見てはいけない場所。触れてはならない場所。踏み込んではならない場所に足を踏み入れてしまったに違いない。


『開かずの間』は――『禁書』は司書室のどこかにある。


 やはりもう一度司書室に入って確かめなければならない。

 しかし、こう監視されているようであればあの日のような隙は訪れないだろう。

 目的の場所が分かっているのに、そこに入れない葛藤。

 日々頭を悩ませる俺に好機は向こうから転がり込んできた。


「今日の放課後〇〇幼稚園に読み聞かせに行くから、行ける人いますか?」

 それは定例の委員会。

 図書委員会では学校の横にある幼稚園で不定期に読み聞かせをしていた。

 今回も急遽決まったその話に、委員の大半が不満そうだ。

「今回はウチの図書室からも本を持って行くので、読み聞かせに行ける人は後で司書室にきて下さい」

 不意に訪れた好機に俺は躊躇わず手を挙げた。

 

「急な事なのにありがとうございます」

 司書室に通された俺を含めた図書委員三人は、見慣れない司書室をソワソワと見回していた。

「じゃあ、この本を持って行って下さい」

 そう言いて一冊ずつ手渡された本。

 俺が渡されたのは古めかしい装飾のある絵本だった。

 タイトルも慣れない字面で分かりにくかったが、どうやら『不思議の国のアリス』のようだ。

「何で今回はウチから本を持って行くんですか?」

『不思議の国のアリス』なら幼稚園の本棚にもあったはずだ。

「いつも同じ絵だと飽きちゃうじゃないですか。同じ話でも絵の感じが違えば違ったお話に聞こえるものですからね」

「そう言うもんすか?」

「そういうものです」



「お姉ちゃんピーターパン読んで」

「白雪姫だ!」

「読んで読んでっ」


 幼稚園では持って行った絵本が大人気だった――『不思議の国のアリス』以外は。

 さっきは納得しかけていたが、よくよく考えればこんなタッチの絵本を幼稚園児が好き好んでみる訳がない。

 改めて見ると魔女の家とかに在りそうなテイストだ。

「はぁぁぁ」

 部屋の隅に座り溜息を吐いた。

 こんな事なら学校に残って、無人の司書室の鍵を攻略する方法を考えていた方が優位意義だった。確かに、再び司書室には入れたが、先生が一緒では捜索など出来る訳がなかった。

「どうしたもんかな……」

 はしゃぎまわる幼稚園児をぼーっと眺めながら呟いた。


「お兄ちゃん、絵本読んで?」


「――え?」

 突然声を掛けられた。

 目の前で走り回っている子供たちに比べると、酷く弱々しい声。

 視線を向ける。

 そこには人形を持った女の子が一人立っていた。

「?」

 視線が合うと不思議そうに首を傾げられた。

「あ、ああ。ごめんごめん。絵本だね。……この絵本で良いの?」

 現実引き戻され、そして、自分が持っている絵本が視界に入り、苦笑いを浮かべながら聞いた。

「うん。アリス好き」

 しかし、女の子はこちらの疑念など気にした様子もなく、小さく笑って答えた。

「そっか。じゃあ読もうか」



 横に座って一緒に本のページをめくりながら読んで行く。

 そして、読み始めてすぐにこの『不思議の国のアリス』は俺の知っている『不思議の国のアリス』ではない事が分かった。

 それは女の子も同じだったようで、

「あれ? アリスが男の子になっている」

「そのお菓子食べないといけないんだよ」

「チシャ猫のところに行かないのかな?」

 など、話を読み進めていくとどんどん相違点が見つかってくる。


――――いや、話の内容自体は同じなのだ。しかし、挿絵が話の内容に一致していない。

 

 子供は話より絵を見て絵本を読むので、余計に違いが分かりやすかったのだろう。


 しかし、何だこの絵本は?

 こんな絵本あり得るのか?

 『不思議の国のアリス』は確かイギリスのお話だったはずだ。

 だが、

「変なの」

 女の子はそう言いながらも、初めて見る『アリス』に興味津々といった様子。

「そうだね」

 今はこの子が楽しければ良いか。

 あとで先生にこの絵本について聞いてみよう。


 


「今日はありがとうございました」

「いいえ。私たちも楽しかったです」

「またいらしてくださいね」

「ええ、是非」


 司書の先生が園長先生と挨拶をしていた。

 その手には一冊の本。

「それじゃあ帰りましょうか」

「「はい」」

 返事は二つ。

 三つの影が夕日に照らされて、長く伸びていく。




 放課後の図書室。

 部活もすでに終わり、生徒どころか教職員の姿も消えた頃。

 微かな灯が灯った。

 灯はユラユラと揺れながら、図書室から司書室へ。――そして消えた。

 いや、消えた様に見えたのは、灯を持った主が地下に降りて行ったからだった。

 司書室のデスクの下にある隠し扉を抜けた先――『開かずの間』。

 そこの最奥で灯の主は足を止めた。


「まったく好奇心は猫も殺すって知らないのかしらね」

 

 呆れたような呟きは、しかし平坦な声音で紡がれていた。

 灯にボウッと映し出されたのは、司書。その手には『不思議の国のアリス』の絵本。

 優しく表紙を撫でる。

 そこには三人の男女――青年二人と幼女が一人。互いにしっかりと手を繋ぎながら歩き出そうとしている絵が描いてあった。

 否――よく見るとその絵は動いていた。


「ふふ。夢の世界で永遠の冒険を頑張って」


 そのありえない光景に、しかし師匠はほほ笑んでそっと扉付きの本棚に絵本をしまい、部屋を後にした。

 


 


 

 

 

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