第10話 出席番号41番

 松江西南高校は一から三年まで各九クラスずつ。一クラスの人数は四十人。合計すると千人を超えるマンモス校だ。


 私が担任を務めている二年五組も男子二十七名、女子十三名の四十名。

 男子が多いと騒がしくクラスを取りまとめるのが大変なイメージがあったが、高校生にもなるとそうでもなかった。また、生徒の質の高さは西南高校が県内屈指の進学校という事も起因している。


 しかし、今年になってきた七不思議なるものの噂が生徒間で流行り始めているようだ。

 さして耳聡いと言う訳ではない私でも二、三の話を耳にしている。

 この様子では噂話は七つに留まらないのではないだろうか。


 いくら質が高いとは言ってもまだまだ学生。

 大人になるには現実を知るには早いという事かだろう。


「おはようございます」

 

 私が教室に入ると、それまで雑談していた生徒たちが自分の席に戻って行った。とは言っても、それは少数でほどんどの生徒は既に席に着ていた。

 この光景を見ると、七不思議という子供っぽい噂話で盛り上がっているのが同じ生徒だとはとても思えない。


「では、出席を取ります」

 淡々と名前を呼んでいく。教師の中には生徒と必要以上に親しくなり、友達のような関係を気付いている人もいる。

 が、私はそれとは違う。

 教師はあくまで仕事。

 生徒はあくまで生徒。

 一定の距離感が互いに必要だと考えている。


 出席簿み視線を落とし、名前を読み上げていく。

 小学生のように元気いっぱいとはいかないが、ちゃんと返事が返ってくる。しかし、中には声が小さい生徒もいるため、時折視線を上げながら確認していく。


「渡辺さん」

「はい」

「〇〇さん」

『……』


 出席簿に記載された最後の名前を呼ぶが返事がない。はて、どのような生徒だっただろう。一応クラスの生徒の顔と名前は覚えたつもりだったが……。

 視線を上げて確認しようとする――


 すると、教室内は先程と違った雰囲気で満たされていた。


 疑問。困惑。不信。


 四十人いる生徒が皆それらを織り混ぜたような顔をしていた。中には隣、前後でヒソヒソと話している生徒もいた。

 教室内がザワザワと浮足立っている。

 理由がわからない。

 訝しげに眉間にシワを寄せながら、取り敢えず件の生徒を探す。

 が、いない。

「ん?」

 不信に思い再度出席簿に目を落とした。

 一番下――そこに書かれていた文字を読む。

「……渡辺」

「……はい」

 呼ばれた生徒は先程と返事をしたにも関わらず律儀に返事を返してきた。

「このクラス出席番号最後はアナタでしたね?」

「……はい」

「……すみません。間違えました」

 生徒の手前、自分のミスはしっかり謝罪した。

「では、連絡事項です――」

 その後何もなかったように朝礼を進めていった。



「いや、あの先生でも間違える事ってあるんだな」

「そりゃ先生だって人間なんだし、間違いの一つや二つするだろう」

「じゃあお前、先生が何か失敗したところやミスったところ見たことあるか?」

「そりゃお前――ないけどさ」

「だろ?」

「てか〇〇って誰なんだろうね」

「そんな奴この学校にいたか?」

「いや、知らねぇ」


 朝礼が終わって私が教室を出た途端、一斉に生徒たちが騒ぎ出した。

 興奮しているのか、その声は廊下まで筒抜けだ。

「はぁぁ」

 溜息を吐いて、その場を後にする。

 一限目の授業は当たっていなかった為、職員室へ。しかし、目当ての人物が見当たらなかった為すぐにその場も後にした。

 次に向かったのは保健室。

「失礼します」

「は~い。どうしましたかぁ?」

 ノックをしてから中に入ると、フワッと消毒の匂いが漂ってきた。

「ああ、先生でしたかぁ」

 私の姿を見た同僚がニコッと微笑む。

 無表情の私と、常に微笑んでいるような優しい包容力のある保険室の先生彼女。意外にも私たちの相性は良かった。時間が空けばこうして二人で話をする程度には。

「どうしたんですか、いつもより顔が強張ってますよ?」

「……分かります?」

「それはもう」

 まったくこの同僚にはかなわない。

 私は先程の出来事を話した。

「先生にしては珍しい――というか、普通そんな間違い方します? 名簿の途中で呼ぶ順番が前後したり、呼び飛ばしたりはあっても、

「ですよね」

 〇〇という名前に心当たりはない。

 しかし、校内全員の名前を覚えている訳ではないため、一応ここに確認しに来たのだ。この同僚は健康診断などの常務柄校内全員の名前を覚えているのだ。

「先生も知りませんか……」

「はい。少なくともこの学校の生徒には〇〇何て名前の生徒はここ数年いません」

 はっきりと言い切られた。

 では、何故私はそんな名前を呼び間違えてしまったのだろう?

 疲れていたから? 集中していなかったから?――違う。本当はちゃんと分かっている。

 出席簿を広げる。そこに描かれた四十人の名前。そして、その下――四十番目の生徒の名前の下の空白を指でそっとなぞる。


 

 

 しかし、その後はいくら見ても空白のまま。

 文字が消えた形跡すらない。


「一限目の授業がないなら少し横になられてはどうですか? 時間になったら起こしますから」

 頭を抱える私に、同僚が心配そうな声で言った。

 気を使わせてしまった。

 しかし、疲れているのも事実だ。クラス担任は何かと忙しい。

「それじゃあ少し」

「は~い。ごゆっくり」

 


 

 教室にいた。

 私は教壇に立ち、点呼を始める。

 私の眼の前には着席しているのだろう、四十の黒いモヤのようなモノがいた。

 辛うじて人の形を保っているような、不安定な存在―私はソレらの名前を呼ぶ。

 しかし、声は出ていない。

 確かに口を動かしているのだが、音として存在していなかった。

 それでも私は気にせずそれ等の名前を読み上げていく。


「――――――――」

『――――――――』


 互いに声がないまま相対していた。

 そして、最後の名前を呼ぶ。


「――〇〇さん」

「はい」

 

「……え?」

 間抜けな声が口からこぼれ落ちた。

 その疑問は、私の声が出たことに対してか? それとも返事がない帰ってきたことに対してか? はたまた、


 出席簿から視線を上げて、教室の後ろにやる。

 そこには確かに人が居た。

 私以外は黒いモヤしか居なかったはずのこの空間に、背筋を伸ばしたキレイな姿勢で座っている生徒がいた。

 生徒には色があった。

 肌の色。髪の色。制服の色。

 すべてがすべて鮮明に見えた――が、その表情だけは読取る事ができなかった。



「――――ハッ!」

 そこで目が覚めた。

 今の夢は一体?

「先生ぇそろそろ起きた方がいいですよ」

 不思議な夢の事を思い出していると、カーテンが開き同僚が顔を覗かせた。

「ああ、はい。ありがとうございます」

 壁に掛けられた時計を見るとあと五分ほどで一時間目の授業が終わる。

 夢の中では五分にも満たない感覚だったが、いつの間にか熟睡してしまっていたようだ。心なしか身体も寝る前よりは軽くなった気がする。

「うわっ。先生本当に寝てましたか? さっきより顔色が悪いですよ」

「そうですか? 体調は良くなったと思うのですが……」

「本当ですか? しんどかったら無理せず休んでくださいね」

「はい、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」

 心配する同僚に、小さく笑顔を向け保健室を後にした。


 その日から私は時折四十一人目の生徒の存在を感じるようになった。

 顔も性別も分からない。

 分かるのは夢の中。――それも姿と声だけ。

 夢ではいつも教室の窓際一番後ろの席に座っているためハッキリは分からないが、小柄だ。女子の平均身長にもとどいていないだろう。雰囲気的には女子生徒に見える。しかし、制服はパンツ姿だったが、私の学生時代と違い、今は男女の制服の違いが少ないためはっきりしない。顔に靄が掛かっている事も原因の一つだ。出席をとる時に聞こえる『はい』という返事――決して大きな声ではないが、とても澄んでいて、清流のささ鳴りを思させる安らぎを感じる声。


 私はその生徒が気になった。

 普段生徒と一定の距離を保っている私が一人の生徒――それも実在しない生徒に固執するなど考えもしなかった。

 朝のホームルームでの出席確認。

 知らずに出席簿の一番下に、教室の後ろに視線がいく。

 あの生徒は何故私の前だけに現れるのだろう?

 私に何を伝えたいのだろう。

 日を追う毎に、夢の中で存在がハッキリしてくる生徒の存在――それで気が付いた。

 

「失礼します」

「は~い。って、わ! 先生どうしたんですか、凄い隈ですよ?」

 久しぶりに保健室に顔を出すと、いきなり驚かれてしまった。

「そうですか? 最近寝る時間早くしてるのでよく眠れていると思うのですが?」

「いやいやいや。よく眠れてる人の顔じゃないですって! はいはい、ベッドに横になって下さい。これは養護教員かの業務命令です」

「業務命令って。先生そんな顕現ないでしょ」

「いいんですぅ。保健室ここでは私が正義なんです」

「何ですかそれ」

 途中からふざけた感じになってが、心配してくれているのは分かった。

「では、ちょっとだけ」

「はい。ゆっくり休んで下さい」

「いや、だからちょっとだけですって」

 私の突っ込みに気にせずに、笑いながらカーテンを閉められた。




 教室にいた。

 四十の靄がより濃くなっている。

 そして、教室窓側一番後ろの席にその生徒はいた。

 今では目元以外完全に見えている。

 ここまでくれば性別は分かった――彼女は悲しんでいた。

 何故? 何に? どうして?

 何も分からない。ただ、その悲しみが深い事だけは分かった。

 彼女を見て、彼女の声を聞くだけで、私の胸も張り裂けそうになる。

 出来る事なら彼女の元まで行って、抱きしめてあげたかった。

 私はアナタの味方だから、悲しまないでと言ってあげたかった。

 しかし、出来ない。

 私の足は未だに教室の半ば程までしか進めていなかった。

 初めの頃は一歩も動けなかった。教壇の上から彼女を見つめる事しか出来なかった。

 もう少し我慢して。頑張って。すぐにそこまで行くから。





「おはようございます」

 教室に入ると蜘蛛の子を散らしたように生徒たちが自分の席に帰って行った。

「それでは出席をとります。□□さん―――――」


 ホームルームが終わると教室を後にする。

「何か先生雰囲気変わったよな」

「だよな。何か柔らかくなった感じ」

「ああ、分かる。前は出席確認の時全然視線合わなかったけど、結構こっち見てくれるし」

「何なら少し笑ってる時もあるよな」

「あるある」


 廊下を歩く私の耳に生徒たちの雑談する声が届いた。

 本当にそうだろうか? 私は変わったのだろうか? 

 もしそうなら、それは彼女のお陰に違いない。

 




 

 今日も夢を見る。

 彼女の夢だ。

 相変わらず目元は見えないが、彼女は泣いていた。

 この頃には私は手を伸ばせば届く距離まで彼女に近づくところまで来ていた。

「どうして泣いているの? 何がそんなに悲しいの?」

 出席確認以外の言葉も話せるようになった。

『―――さい。―――て。―――がい。―――て』

 しかし、彼女の『はい』以外の声は未だはっきりとは聞こえない。

「何? 何て言ってるの?」

『――――――げて』

 もどかしい日々が続いた。





「……先生。本当に大丈夫ですか? 一度長期休暇の申請した方がいいんじゃないですか?」

 近頃保健室の同僚は私の心配ばかりだ。

「大丈夫ですって。前よりも調子が良いくらいです。生徒とも以前より話すようになりましたし、クラス担任も順調ですよ」

「確かに、先生の噂は私も聞いてます。優しくなったや、相談にのってくれた、いじめらているところを助けてくれたなどいい噂ばかりです」

「先生にそうな風に言われると照れますね」

「……本当に何ともないんですね?」

「はい。何ともありません。私が元気じゃないと困っている生徒を助けること出来ませんから」

「先生……」

「あ、もうこんな時間。この後生徒の相談にのる事になってるんですよ。それじゃあ」

「あ――」

 同僚の返事を待たずに保健室を後にした。


 こうして、私はいつの間にかこの学校で一番生徒に慕われる先生になっていた。

 お願いされればどんな相談事にものったし、時間があれば校内の見回りもした。素行に問題のある生徒とも真剣に話をし打解ける事が出来たし、いじめ問題にも敢然と立ち向かった。


「先生さよなら~」

「はい。さようなら」

「先生この前はありがとうございました」

「いいえ。貴女が頑張ったからですよ」

「先生今度遊びに行きましょ」

「それは彼女さんと行ってください」


 今ではすれ違う生徒のほとんどが話しかけてくれるようになった。

 中には距離の近すぎる生徒もいるが、それはこちらが適切に対応すればいい。

 生徒はまだ子供なのだ。のびのびと育てて、間違えそうになったら支えてあげればいい。





 そんな日々が続いたある日。

 とうとうその日が来た。

 彼女の声が聞こえたのだ。


『ゴメンなさい。助けてあげて。お願い。助けてあげて』


 それは謝罪と懇願だった。

 この時には彼女が誰を助けてと言っているのか分かっていた。

 それは靄が掛かっていた私の生徒たち。

 彼女は彼らを助けたがっていた。

 彼女のお陰で私は変わることが出来た。そして、そのおかげか分からないが、四十の黒い靄はかなり薄くなっていた。その下に人の輪郭が見てとれるほどに。

「大丈夫よ。生徒は私が守るから」

 力強く言い聞かせるように言った。

 

『ゴメンなさい。ゴメンなさい』

 

 しかし、その言葉に彼女はより涙を流し謝るのだった。

「何を謝るの? 私の事を心配してくれているの? 確かに同僚には体調を気にされているけど、本当に大丈夫なの。アナタが心配する事なんて何もないの」

 より思いを込めて、真っすぐに彼女を見つめて言った。


『ゴメンさない。助けてあげて――――――』


 これでダメか。彼女の悲しみを取り除いてあげられない。私を変えてくれた彼女に一番に恩返ししたいのに、どうしても彼女を哀しみの底から救い出してあげられない。

 悔しさで唇を噛む。


『―――ゴメンなさい。アナタを巻き込んでゴメンさない』


「――⁉ どういう事?」

 突如紡がれた言葉の続き。私は一言も聞き逃さないように、ジッとその小さな唇に視線を向けた。


『この学校は呪われ始めている。アナタしかいなかった。生徒みんなを助けて。でも、私がアナタを傷つけてしまう。――――ゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさい』


 彼女の話はこうだった。

 少し前からこの学校は『呪い』が生まれやすい場所に変貌しつつあった。

 既に――誰にも知られていないが、犠牲になった生徒がいる。

 このまま放っておけば学校全体がこの世から切り離されてしまう。

 彼女は犠牲になった生徒の一人で、『呪い』の一部として取り込まれた。

 しかし、『呪い』に抗いどうにか現状を打開しようとした。

 そこに現れたのが私だった。

 私は彼女と親和性が高かったらしい。

 夢を通して、彼女の意志を汲み取った私は彼女の希望になる事が出来ていたのだ。

こんなに嬉し事はない。知らずに彼女恩人の助けになれていたのだ。

 しかし、彼女は謝る――『ゴメンなさい』と。

 彼女の存在自体が、いつの間にか私に融合してきており生命力を吸い取っているためだ。

 彼女は私の死期を早めてしまっている事に嘆き、しかし、学校みんなを救うために私の力を借りなければならない事を謝っていたのだ。


「――優しいのね」

 だから、私の口から出たのはそんな当たり前の言葉。

『どうして……』

「だって、アナタは自分がこんな状態になっても他の人たちの事を――私の事を真剣に心配してくれている。その重圧に負けそうになりながら、でも必死で頑張ってる」

『違う、頑張っているのはアナタ。私はアナタを傷つける事しかしていない』

「ううん。そんなことない」

『そんな事あるの!』

 まるで駄々をこねる子供のように。夢の中だが、彼女は今間違いなくかつての姿を取り戻していた。

「――〇〇さん」

 名前を呼ぶ。

 彼女が息を飲んだのが分かった。

「本当に貴方に救われたのは私なの。無感動に日々を過ごしていた私にアナタは生きがいをくれた。今私の心はこんなにも満たされているのに、それを違うだなんて言わないで」

『――ッ。グス――せ、先生ぇぇぇ。――ありがどうぅぅぅ』

 そっと抱きしめる。すると泣きじゃくる彼女が光に包まれ始めた。

「大丈夫。後は私に任せて」

『――うんっ』

 涙を拭い、精一杯の笑顔で彼女は笑ってくれた。


 そして、彼女の姿は泡となって消えていった。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る