第5話 鳴り響くボール


「お前強いなー!」


 バタンと大の字に寝転んだ。

 何十回と勝負したが、結局一回も勝てなかった。

 流石にヘトヘトだ。


 バンバンバン

 

 バスケットバールをつく音が広い体育館に木霊する。

「じゃあ、俺そろそろ帰るわ。明日も来るから、良かったまたやろうぜ」

 寝転んだまま視線を向ける先に、ソイツはいた。

 こっちは汗だくで息も絶え絶えなのに、まるで疲れた様子がない。

 今も、バスケットボールをついている。


 時刻は午後九時。

 場所は島根県立松江西南高校体育館。

 テスト期間で部活は禁止。しかし、だからと言って勉強をするわけでもなく、動けないストレスで、とうとう今日体育館に忍び込んだ。

 すると先客がいた。

 バンバンバン

 暗闇の体育館からボールをつく音が聞こえた。

 怖くはあったが、好奇心が勝った。

 スマホのライトを頼りに、体育館の入り口から中を確認する。

 そして、ソイツはいた。

 知らないヤツだった。特に特徴がない。人混みですれ違っても気が付かない、そんな顔。


 特に危険な感じはしなかった。

 只のバスケ青年。だから、俺から声を掛けた。


「なぁ、勝負しないか?」


 一瞬驚いた様子で、しかしすぐに満面の笑顔が返ってきた。


 そして、完敗したという訳だ。

 バスケ部のレギュラーとしては負けっぱなしでは引き下がれないと頑張ってみたがこのザマだ。


 そして冒頭に戻る。

「……」

 返事はなかった。

 只、バスケットボールの弾む音だけが広い体育館に響く。

 弱すぎてガッカリさせてしまったか。それとも流石にそう何回も学校に忍び込むことは出来ないのか。

 まぁ、明日来てみれば分かる事だ。


「って、アレ?」

 体育館の扉に手を掛けたところで、異変に気が付いく。

「マジかよ。カギ閉められてるじゃん。もしかして、勝手に使ってたバレちまったか」

 それもそうか。

 勝負中はボールの音だけでなく、足音や悔しくて大きな声も出していたように思う。

 見つかったら怒られるかなぁとは思っていたか、まさか閉じ込められるとは思わなかった。さて、どうしたものか?


「あ!」

 そこであることに気が付いた。

 体育館に来た時にはすでに扉が開いていた。それは何故か。アイツが先にいたからだ。

 振り返る。

 ゴール前で今もボールをついている。

「なぁ! お前鍵持ってたり、する?」

「……」

 返ってきたのは乾いたボール音だけ。

 一縷の望みをかけてみたが、ダメだった。

「どうすっかなぁ……。あ、あそこがあった」

 うっかりしていた。

 そもそも今日体育館にどうやって忍び込むつもりだったかということだ。俺は当然鍵なんて便利なものは持っていない。

 正面入り口の他に長方形型の体育館には両側面のステージ側と正面入り口後ろ側に計四つの出入り口がある。その内の一つ。正面入り口側、入って左手の扉の鍵の施錠が緩くなっているのだ。

 少しコツがいるが、鍵がなくても体育館には侵入可能と言う訳だ。


 目的の扉に手を掛ける。当然施錠はされていた。

「よっしゃ。腕の見せ所だな」

 大きく肩を回す。とは言っても、そこまで難しい手順や力がいる訳ではない。扉を上に持ち上げ左右に振る。体育会系の男子なら朝飯前だ。


「……あれ?」


 しかし、扉は開かなかった。

 と言うか、持った感じからして以前とは違った。

「マジか……。ひょっとして知らない間に直されてたか?」

 完全に当てが外れた。こうなるとどうしようもない。

「なあ、マジで鍵開かないんだけど、どうするよ?」

 ずっとボールをつき続けているソイツを見る。


 バンバンバン


 一定のリズムで単調につき続けられるボール。


 バンバンバン


 バンバンバン

 

 バンバンバン


 イライラしてきた。

 体育館から出られない苛立ち、焦燥感、不安を、その音が掻き毟り、逆なでし、増幅させる。


「いい加減にしろよ!」


 ボールの音を掻き消して俺の怒鳴り声が響いた。

 そして、今日初めてボールをつく音が止まった。

 しかし、驚いた様子などはなく、ソイツはボールを持ちながら俺をジッと見つめてきた。

 視線が交わる。

 途端に恥ずかしくなった。

 自分が家への帰り方が分からなくて泣き叫んでいる子供に思えてきた。

「……悪ぃ」

 視線を反らして、ボソッと呟いた。

 聞こえたかどうかは分からないが、またボールのつく音が響きだした。

「ははは、本当にバスケが好きなんだな」

 苦笑しながら、その光景を見つめる。


 どれくらいそうしていただろう。

 一応他の扉も確認したが、開くことはなかった。

 これはいよいよ朝までコースかと覚悟し始めたその時。


『ここから出たいの?』

 初めて声を聞いた。

 小さくて儚げなのに、ボールをつく音に負けずに俺の耳まで届いた。

「ああ、そりゃな。怒られるくらいならともかく親や先生が警察沙汰とかは御免だ」

『出る方法教えてあげようか?』

「――え?」


 耳を疑った。

「……出る方法があるのか?」

 恐る恐る聞く。

『あるよ』

 帰って来たのは明確な答え。

「――――何だよぉ~。焦って損した。てか、知ってるんならもっと早く教えてくれよ」

 一気に肩の力が抜け、その場に座り込んでしまった。

『……』

 そんな俺を変わらない表情で見つめてくる。


「じゃあ、早く教えてくれよ――――て、え?」


 そんな俺に対して、ソイツがしたことはボールを投げて寄こす事だった。

 そして、腰を低く落とした。

「おいおいマジかよ? 俺がお前に勝ったら教えてくれるって事か?」

 口が大きく笑みの形を作る。

「はぁぁ。分かったよ。だけど今度は手加減なしだぜ!」


 おかしい。

 まったく勝てない。

 何回繰り返しても。

 息が上がっているのは俺だけ。

 ソイツは毎回初めて戦うみたいな顔で目の前にいる。

 ワザと大きく動いてスペースを使ってみても平気で付いてくる。

 ゴールが遠い。

 ……遠い。こんなに遠かったか?

 ついてもついてもボールが前に、ゴールリングに近づいて行かない。

 シュートを打ってもリングにすら当たらない。

 

『どうしたの? 帰れないよ?』


 心底不思議そうな声。

「うるせぇっ」

 もう取り繕う余裕もない。乱暴な声と同時にシュートを打つが簡単に叩き落とされてしまった。


「はっ はっ はっ――なぁもういいだろお。いい加減出口教えろよ」


 膝に手をつき呼吸を荒らげながら、ソイツを睨み付ける。


 そんな俺に、ニヤッと、心底嬉しそうに、楽しそうに、そいつはボールを投げて寄こした。

 

 咄嗟にボールをキャッチした。


 ――――ゾッ

 

 途端、背中に冷たいものが走った。

 滴っていた汗が一気に冷め、変わりにねっとりとしたものが身体に纏わりつく。

 

 ソイツは嗤っていた。


 あははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハはっはっはあっハハハハハっははははっはははあっははははははっははははっははははははははっははははははっははははっははははははっははっはははっははっはははははっははっははははっははっははhっはははっははh!


『もっと もっと もっと まだ まだ まだ やろうよ! 大丈夫。怒られたりしないから。時間はいくらでもあるからさ』


 笑い声一つ一つが気付いてしまった恐怖を突き刺していく。

 見てはいけない。

 頭が警鐘を鳴らす。まるで、見なければその事実は実現しないとっでも言うように。

 しかし、意志に反して視線はゆっくりと上に上がっていく。


 体育館の前方――ステージ更にその右上にソレはあった。

 狂ったように、先程の俺の様に、無様に、滅茶苦茶に、動き回る――時計の針。

 それはあり得ない動きをしていた。

 見てしまった。気付いてしまった。


「ひっ!」


 視線を前に戻すと、そいつが目の前にいた。

 ずっと見ていたはずなのに覚えられない顔が目の前に。

 そして、そこに顔と呼べるものはなかった。

 いや、その顔さえ絶えず変化していた。目の位置が、口の位置が、鼻の位置が動き回っていた。


 喉から引きつった悲鳴が漏れる。


『ねぇ ずっとバスケしよう』


「わああああああああああああああああ!」

 ゆっくり伸ばされた手が、眼前を覆い尽くした。





 


 

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