第4話 ピアノ
松江西南高校の音楽室は半地下にある。
その為か色々な噂がある。
周囲が住宅街の為の騒音対策、地下の方が音が反響しやすいからなどの現実的モノから、旧校舎時代にあった怪談――誰もいない音楽室でピアノの音がする、ベートーヴェンの肖像画の目が動くなど――を封印するため。
後半は眉唾の噂ばかりだ。
ハッキリ言ってどうでもいい。
一つ確かな事は、私がこの場所を気に入っているという事。
教室棟や特別教室棟、体育館などの主要な場所とは離れており、音楽室に用事がある生徒以外は基本的に立ち寄らない。選択科目で美術や書道を取っている生徒は場所さえ知らないかもしれない。
そんな特別な場所。
今日も独りピアノを奏でる。
ピアノソナタ第14番 ハ短調 月光。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンにより『幻想曲風ソナタ』と題名付けられ、現代では『月光ソナタ』として有名な名曲。
目を閉じて自分の音を聞く。
月夜の街を散歩していると、ある家の中からピアノを弾く音が聞こえてくる。窓際に置かれたピアノを奏でているのは盲目の少女。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの感動を時を越えて共有していく。
「はぁぁぁぁぁぁ――――!」
十分以上引き続けた指が止まると同時に、歓喜の溜息が漏れた。
何て、素敵な旋律なのだろう。
この場所はその音をよりリアル感じられる。
まるで自分がベートーヴェンになったようだ。
音が溢れる。
その音に乗り、次第に心は身体を離れ舞い上がる。
私は夢中でピアノを弾く私を見下ろしていた。今日はいつもより鮮明に見えた。
ああ、なんて気持ちが良いのだろう。
ああ! ああ! ああ!
十数分に渡る演奏も間もな幕だ。
至福の時が終わる。
いつもそうだ。
この時間が永遠に続けばいいのに。
次第に心が身体に引き寄せられていく。
ああ! ああ! ああ!
誰か私を助けて!
私をここから逃がさないで!
『ありがとう』
「――え?」
唐突に響いた声に現実に引き戻された。
ガランとした音楽室。
チェロやホルン、ユーフォにティンパニー――そしてピアノ。
無人の室内でそれらの楽器が寂し気に、無造作に置かれている。
私はその光景を上から見渡す視界で見ていた。
……え?
間抜けな声が漏れた。
――――いや、声は音となって空気を震わせた訳ではなかった。
声が出ない。それどころか口が動かない。手も足も――自分の身体を感じられなかった。
唯一動く瞳。
まるで二つの目だけの存在になったようだ。
『うふふふふ』
唐突に声がした。
無人だと思っていた室内には、人がいた。
私の視線のほぼ真下。
そこに私が居た。
『素敵な気持ちをありがとう』
『素敵な音をありがとう』
『素敵な身体をありがとう』
『――変わってくれてありがとう』
裂けるほどに湾曲した口がニタっと笑った。
その顔を――瞳に映った景色を見て、残酷に理解してしまった。
口と同様に弧を描く瞳――ソレが開かれた一瞬、そこに映っていたのは、音楽室に掛けられたルートヴィヒ
『アハハハハハハハハ』
『アハハハハハハハハ』
『アハハハハハハハハ』
楽しそうに。愉しそうに。樂しそうに。
私でない私が狂気に笑う。
音楽室には、『幻想曲風ソナタ』の余韻が過ぎ去り、狂気が狂喜が乱舞していた。
踊るように、回りながら、両手を広げ。
動く身体を確かめるように。
私に出来るのは只ソレを見つめるだけ。
どれくらいその光景を見せ付けられていただろう。突如
『私――』
『んっ――』
首を傾げ咳払いを一つ。
そして今度こそあり得ない現実を突きつけられた。
「私もう行くね」
――――声が奪われた。
先程まで響いていた笑い声は何処か借り物のようで現実味がなかった。
しかし、今
ないはずの鼓動が跳ね上がり、ないはずの背筋に冷や汗が伝う。
目だけは有らん限りに見開き、右往左往と迷走する。
ガタン
乾いた音がした。
当然世界が暗くなった。
理由も分からず、両目を瞬かせ闇を見つめる。
バタン
音がした。
扉が閉まる音。
絵が、
そんな! そんな! そんな!
もう弾けない!
奏でられない!
誰か助けて!
私を助けて!
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