第3話 合わせ鏡

「キモッ」

「こっち来んな!」

「『バグ』が来るぞ! 逃げろ」


 いつの頃からだろう。

 私に投げ付けられる言葉に棘がある事に気が付いたのは。

 気が付いた時には私の心は傷だらけだった。


 幼馴染のユウちゃん。

 いつも一緒に帰っていたカエちゃん。

 一つ年上のいとこのマヨちゃん。

 よく鬼ごっこをしたケンくん。

 カッコよかったヒロくん。

 etc etc etc etc――――――!


 いつの間にかみんな私から離れて行った。

 私は何もしていないのに。

 いつもお菓子を持って遊びに行った。

 疲れたら鞄を持ってあげた。

 お年玉の多い方を譲ってあげた。

 鬼役をしてあげた。

 バレンタインにチョコを上げた。


 いつもみんなに気を使って、好かれるように、頼りにされるように、頑張ってきた。

 それなのに!


 


 産まれた頃からアトピーがあり、物心つく頃から段々と悪化していった。

 皮膚が赤くなってブツブツができ、カサカサと乾燥して皮膚がむけ、かさぶたが出来る。湿疹が出来、強いかゆみで搔きむしり、さらに症状が悪化していった。


 小さい頃はそれでも気にしていなかった。

 そんな私でもみんなが受け入れてくれていたから。

 凄く痒かったけど、それだけ。友達が、好きな人がいたから心は潤っていた。


 だけど、人は成長するとともに残虐性を成長させる。

 小学校、中学校。そして高校。

 初めはストレートに。次第に陰湿に。そして、苛烈に。


 島根県立松江西南高校一年三組。

 そこは私にとっての地獄だ。


 机の落書きや傷、教科書がなくなるなんてことは当たり前。

 上履きがゴミ箱やトイレの中から見つかったり、授業中の忍び笑い、ゴミが飛んでくることも。

 私のお陰でこのクラスは一丸となっている。

 私という異質普通正義の力をぶつけてくる。


 そんな地獄のある日。

 ある噂が流れ始めた。

 特別教室棟の二階から三階に上がる踊り場にある二つの姿見。

 何故あんなところにあるのか誰も知らない、その二つの鏡は向かい合うように壁に掛けられている。

 普段は通り過ぎるだけで誰も気にしない。

 オシャレ第一の女子生徒がたまに前髪を直しているくらい。

 

 しかし、日没時。

 夕日が傾き、西日が強く差し込む時間。

 その時、鏡の前に立つと光の乱反射で無数の自分の姿が鏡に映り込むらしい。

 無限の自分が自分を見つめ返してくる。そして、その中の一人と入れ替わってしまう。

 私にとってそれは最早悪夢だ。


 そして、当然悪意正義は私に牙を剥いた。


「いや、いや、いや。止めてよ」

 掠れたか弱い声が、喉を震わす。

 数人のクラスメイトに追い立てられるまま、私は例の鏡の前に立っていた。

 映るのは怯えた目をする一人の私。

「何でだよ。別に鏡に映るくらいいいじゃんか」

「そうよ。どうせなら沢山の自分を見てどれだけみんなを不快にさせてるか知ったらいいわ」

「ははは、ソレ確かに!」

 正悪は最早関係ない。言葉とは大きい方が正義なのだ。

 

 オレンジ色の光が差し込む。

 瞬間、鏡がその光を反射した。

「眩しいっ」

 鏡から目を反らした――すると私が私たちが、私を見つめ返していた。

 とっさに目を晒し後ろを向くと、当然そこには向かい合うもう一つの鏡。


 一人の私が私を見つめ、二人の私が私を見つめ、四人の私が、八人の私が、私が私が私が私が……!!!!


「いやーーー!」

 正気ではいられなかった。

 嫌悪感や羞恥心、恐怖、哀しみ色々な感情が渦巻き、体温が急上昇した。

 途端に体中が痒みを訴える。

 普段は理性で我慢しているが、今は無理だった。

 

 ガリガリガリ


 とても肌を搔く音だとは思えない音が響き渡った。


「あああ、痒い、痒い、痛い、痒い」


 私は正気ではなかった。

「ひっ!」

「や、やべぇよ」

「おい、もう行こうぜ」

 顔の至る所から血を――まるで涙の様に流す私の姿に、クラスメイト達は怯えた表情を向け走り去って行った。


「ふふふふふ。ああ、私は一人で良い。独りで。こんなにいるんなら誰か私を変わってよ!」


…………


 無数の狂気が見つめ返してきた。


 奥の奥まで覗き込む。


『いいよ』


 声は確かに聞こえた。



 ※


「あはっ! おはよー」

 

「え、誰?」

「さぁ……?」

「あんな可愛い子このクラスにいたか?」


 みんなが私を見る。

 多くの困惑、疑念、疑問――そして、少なくない羨望。

「おはよっ」

「あ、お、おはよ」

 笑顔を振りまく。

 近くにいた男子に笑いかける。

 顔を真っ赤にして、どもっちゃって可愛いー。


 教室を横断して自分の席に座る。


「え、その席は……」

「マジ?」

「バク?」


 ジロリ


「あ、いや、〇〇さん……」

「あはっ。おはよー」

「お、おはよ」


……、……、……。


 クラスの視線が私に集中する中、彼らがやって来た。

「はよー」

「おーす」

「ふぁー……。え、何この空気?」

 クラスカースト最上位の三人――

「あ、△△君に、□□さんも。昨日はありがとー。お陰で生まれ変われたみたい」

「はぁ? 誰?」

「めっちゃ可愛いじゃんー」

「そこ、『バグ』の席だから離れたほうが良いよ。せっかくのキレイな顔がバグっちゃうから」

「ははは。マジその通りだしっ」

「君もこっちおいでよ」


 その場の空気など読まない。

 自分たちが空気の中心とでも思っているのだろう。


「………………」


 クラス中の何とも言えない視線が三人に集まっている。


「そう?」

 私は『ニコッ』と笑い三人に近づき自己紹介をした。

「〇〇です。昨日はどうもありがとう。お陰で生まれ変われたみたい」

「「「――え?」」」

 私が差し出した手と私の顔を交互に、キョトンと見つめ返す三人。

 そして、次第にその顔が恐怖の色に染め上げられていく。


 フフフフフフフフフフフフフフ


「ああ! 〇〇さんありがとう。こんな玩具まで用意してくれて。任せてね。アナタの代わりに私が彼らと一杯遊ぶから!」




   ※

 


 気が付くとそこには無数の誰でもない誰かがいる――ように感じた。

 姿は見えない。でもその気配は確かに感じる。

 と言うか、私自身の姿形もかなり不明瞭だ。気を抜くと自分と言う存在が解けてなくなり何かの一部になってしまうような感覚。

 視線を巡らせる。

 

 特別教室棟の二階から三階に上がる階段の踊り場。その合わせ鏡の前にいるようだ。


「―――――」

 突然近くで話し声が聞こえた。 

 どうやら数人の生徒が階段を上ってきたようだ。

 咄嗟に隠れようとするが、上手く身体が動かせない。

 声がすぐそこまで来ている。

 どうする事も出来ずに、ギュッと目を閉じた。


 その時、世界が変わった。


 無数の存在が、明確に知覚出来た。


 人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人!


 無限にも感じる人の――鏡の前を通り過ぎた人と同じ人。

 歓喜の声がした。


『ああ! 私を見つけて!』

『私が変わってあげるわ!』

『こっちを見てッ』

『私が』『僕が』『ねえねえねえ!』


 溢れる歓喜の狂気。

 分かっ。分かってしまった。

 ここは鏡の中なのだ。

 あの時、私は鏡の中――今嬌声を上げているこの人たちの一人と入れ替わってし合ったのだ。

 そして、変わりに鏡の世界に囚われている。

 

 ニタァ


 気付けは笑っていた。

 みんなと一緒に嬌声を上げる。

 もう、以前の『バグ』と呼ばれた私じゃない。

 姿形は、鏡前の綺麗な女子生徒。

 

 ああ! ああ! ああ!


 何て素晴らしい。ここは魔法の鏡だったのだ。

 一つではダメ。二つ。

 白雪姫のお妃さまも鏡を重ねれば、白雪姫になれたのに望む自分になれたのに


 

 さあ! 誰か私を見つけて‼‼

 


 

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