第2話 階段

「なぁ、何で学校の屋上って出れないんだ?」


 とある昼休み。一人の男子生徒が呟いた。

 派手な茶髪に両耳のピアス、着崩した制服とこの学校進学校には珍しい風貌の生徒だった。 

 彼は所謂不良と呼ばれる生徒だ。


 場所はとある空き教室。

 つまらない授業をサボれるところを探している時に、偶然鍵の壊れたこの教室を発見して以来溜まり場として使っていた。


 教室内には彼以外に二人の生徒がいた。

 一人は、黒の短髪に眼鏡と彼は正反対に優等生然とした佇まいだったが、小学校からの付き合いで気の合う連れである。

 もう一人は、小柄な男子生徒。他校の生徒に絡まれているところを気まぐれに助けた後何故か付きまとわれ、現在は勝手に舎弟を名乗っている。


 季節は春の終わり。

 春から夏に移り変わっていく中途半端な季節――梅雨。

 山陰地方の梅雨は暗く、ジメジメとして、晴れの日を探す方が難しい。

 今日はそんな奇跡的な晴れの日。

 しかし、空気中の湿気は如何ともし難く。

 校舎の奥、忘れ去れたこの教室には当然空調完備などもない。

 そのため、蒸し暑いことこの上なかった。

「何で学校の備品なのに生徒が使ったらイケねぇんだよ」

 蒸し暑さでイライラが増幅された不良生徒は、伸ばした長髪を乱暴に掻きながら、椅子にふんぞり返った。

「屋上を備品とするかは議論の余地がありそうだけど、何で使えないかは分かるよ。昔――僕らがまだ小学校に上がる前だったと思うけど、日本中の学校で飛び降り自殺が急増したんだ。その後から、全国的に屋上は立入禁止になったはずだよ」

 眼鏡の生徒が見た目通りの博識を披露した。

「はっ!? そんなの知るかよッ。死にたいやヤツは屋上閉鎖しても関係なく死ぬだろうが。そんなふざけた理由で俺達の居場所奪ってたのかよ! 放課後だけ立入禁止にするとか色々他に方法あっただろうがよ」

「まぁ、言ってることも分かるよ」

「最大多数の最大幸福の考えとは逆だね。あるかないか分からない一つの不幸を全員を不幸にすることで取り除いてる。最小少数の最小不幸って感じかな」

「いや、何理由のわかんねぇ―こと言ってんだ」

「難しい話はさっぱりっす」

「あれ?」

 上手く例えたつもりだったが、ちょっと捻り過ぎだったようだ。

「まぁ、いいわ。おいお前屋上の鍵パクってて来いよ」

「ええー、僕がっすか?」

「当たり前だろ。俺等みたいなデカいのがどうやって鍵パクるってんだよ。お前ならちょっと屈んでサッと動けばバレねぇだろ」

「いや、僕どんだけ小さいんっスか」

「うるせぇな。鍵投げたら屋上にのったとか適当な理由付けて借りてこい。鍵さえ手に入りゃ、スペアキー作ってこんなむさ苦しい部屋とはおさらばよ」

「いや、鍵が屋上に乗るって僕どんだけ方強いんスか」

 舎弟男子の呟きは、不良の苛立ちにより掻き消されていった。



 放課後。


 いつもの空き教室で、不良生徒と幼馴染が雑談していると、舎弟の男子生徒が息を切らして飛び込んで来た。

「やったッスよ――!」

「うるせぇな。何だよそんな慌てて」

 只でさえ蒸し暑いのに、熱量をプラスされ不良生徒が不機嫌そうな声を上げた。

「何だよって――屋上の鍵取って来いって言ったじゃないっスか」

「え、お前マジで取ってきたの? 凄げぇわ」

 舎弟の言葉に途端に、顔色が変わる。

「いや、ソレが自分でもよく分かんないんスよねー。職員室の前でどうしたもんか悩んでたら、中から出てきた生徒が鍵くれたんスよ」

「は? 何言ってんだお前」

 感心した顔が一転、バカを見る顔に変化した。

「いや、マジなんですって! こっちが何にも言ってないのにコレってこの鍵を差し出してきたんすから」

力説の元突き出されて手には小さな鍵――そこには確かに屋上と書いてあった。

「まぁ、何でもいいわ。鍵が手に入たんだからなっ。早速スペアキー作りに行こうぜ!」

「いや、先ずは実際にその鍵が使えるか試した方が良いと思う。その鍵を渡してきた生徒に騙されている可能性もある」

「は? 何のためにそんな事すんだよ!」

「お前の素行は褒められたものじゃないからな。どこかで恨みを買っていても不思議じゃない」

「ああ、なるほどな」

 つまり、不良生徒に恨みを持った生徒が、何らかの理由で彼らが屋上の鍵を欲しがっている事を知る。しかし、素行の悪い彼らでは盗む以外に屋上の鍵は手に入れられない。そして、盗むとすれば放課後人気が減ってから。そのタイミングで偽の鍵を渡し、スペアキーを作らせる。作った鍵は使えず。無駄な出費もさせると……。

「回りくでぁな!」

「まぁ、可能性の話だよ。その生徒他には何か言ってなかった?」

「あ、そう言えばなこと言ってたな」

「変な事?」

「はい。確か『学校の怪談はどこも十二階段だけど、何処かに十三階段があるらしいよ。もし、ソレを見つけたら絶対に登ったり、降りたりしたらダメだからね』」

 舎弟は目を閉じて、記こめかみに指を当てながら記憶の言葉を呼び起こした。

「なんだそれ?」

 不良生徒が眉間に皺を寄せる。

「有名な都市伝説、階段だね。十二段のはずの階段が十三段あって、その先は別の世界に繋がっているってヤツ」

「ああ、何か聞いた事ある気がするわ」

「僕もッス。昔流行ってましたもんね」

「そうだね。でも、コレでその鍵が偽物の可能性が高くなったね」

「あっ⁉ どうしてだよ?」

「だって、その生徒は高校生にもなってわざわざそんな子供騙しみたいな事を言っていたんだ。僕らが屋上に行かなければビビッて逃げた風に見られる。だから、僕らは屋上に行かないといけない。恨んでいる相手が絶対に来ると分かっているんだから、罠の一つや二つ準備してある方が普通さ」

「なるほどなっ。で、その罠がこの鍵って訳だ」

「そうなるね。きっとその生徒も屋上近くにいるはずだから見つけられると思うよ」

「どうして分かるんスか?」

「簡単だよ。相手の悔しがるところは生で見てこそ価値があるからね」


 

「ここ始めて来たッス」

 屋上へ続く階段前。

 三人の男子生徒がいた。

「まぁこんなところ屋上に用がない限り来ないしね」

「おい、いいからさっさと行こうぜっ」

 不良生徒が、屋上への期待と、自分を騙そうとしている生徒への仕返し――どちら対しての興奮か分からないが、流行る気持ちを押さえられない様子だ。

「階段の数は数えるんスか?」

「そうだね。せっかくここまで来たんだか一応数えておこうか」

「おっしゃー! 行くぞっ」


 不良生徒を先頭に薄暗い階段を上っていく。


 一段  二段  三段 …… 八段  九段


 階段の上が見えてきた。

 屋上への扉はもうすぐそこだ。

「何だ。結局十二段じゃないッスか」

 先頭を行く舎弟生徒がガッカリしたような声を上げた。

「ははは。それはそうだよ。夏休み前に言い肝試しになったでしょ」

「何だ。そう言う事っスか」

 談笑する二人はふと足を止めて後ろを振り返った。

「どうしたんスか? ていうか、いつの間に後ろにいたんスか? 最初先頭でしたよね?」

 二人の後方三段ほど下を歩く不良生徒。

「……ねぇか」

「え? 何スか?」

 さっきまでの威勢の良さは成りを潜めていた。

「やっぱり、やめねぇか?」

 呟かれた言葉。――その顔は普段見慣れた顔、ではなかった。

 滝の様に流れる汗。

 怯えた様に垂れた眉。

 彷徨う視線。

「何言ってるんすか。せっかくここまで来たんだから屋上に出れるかやってみましょうよ。出れなかった時はあの生徒探し出してボコッスね!」

 そう言うと舎弟生徒は最後の三段を一気に駆け上がった。


「まっ待って――――」


 不良生徒が慌てて止めようと手を伸ばすが、届かず。

 鍵は抵抗なく、屋上に続く鍵穴に差し込まれた。


 カチャ


 乾いた音とともに、扉がゆっくりと開く―――――――



「結局何にもなかったッスね」

「そうだね」

「屋上もずっと使ってなかったせいかこんなだし」

 向けられた視線の先には、所々崩れたコンクリート。至る所に落ちている鳥の糞。積もりに積もった埃やゴミ。

 とても寛げる空間ではなかった。

「まぁ僕たちにはあの教室がお似合いって事かな」

「それもそうっスね。使

「じゃ、鍵返して帰ろうか」

「ええ、返すんスか。絶対怒られるじゃないつスか」

「まぁまぁ。今度は一緒に行ってあげるから」

「あ、約束っスからね」



    ※


 初めから違和感があった。

 妙に暗い。

 校舎の端とは言え、まだ日が沈むには早い。

 それに酷く肌寒かった。

 少し前まで感じていた蒸し暑さが嘘のようだ。

 鼓動が早い。

 大声で話していないと、他の奴らに聞こえてしまうのではないかと錯覚する程に。

 何故こんな場所に来ようと思ったのか?

 あの教室でも十分だったのに。

 ――さっさと終わらせてしまおう。


 意識して乱暴に階段を踏みしめる。


 一段 二段 三段 …… 


 気付いた時にはもう遅かった。

 いつからだ?

 一体いつから――俺が数えている階段だけ一段多くなっていた。

 残りの段数はもう分かっている。

 

 九段 十段 十一段 十二段 ……十三段

 

 ダメだ。

 これ以上足を進めては。

 分かる。あの扉の向こうに在るのは俺が望んでいたモノじゃない。

 引き返さないと。

 しかし、言葉が出ない。

 冷や汗だけが、ダラダラと流れ出る。


 声がした。


 連れのものかと思い何とか顔を上げた。


 途端に後悔した。


 視界に入って来たのは、黒い靄に集られる二人の連れ――悍ましい光景だったが、二人は気にした様子がない。

 そして、その奥――屋上に続く扉。その上部にある摺り硝子。

 ソレはそこに映っていた。


 おびただしい数の手・手・手


 見ている間にも、

 ばんっ ばんっ ばんっ

 と、その数は増えて行った。


「――――――っ」

 

 悲鳴はどうにか呑み込んだ。


 しかし、それがいけなかった。

 その瞬間に連れが階上まで登り切り、屋上への扉に手を掛けた。

 必至で手を伸ばすが、届かない。

 

 途端溢れ出す闇――――暗転。


 その後、その不良生徒行方は知れない。

 素行の悪さから、すぐにすぐに人々の話題から消えていった。




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