第1話 トイレの花子さん

 島根県立松江西南高校しまねけんりつまつえせいなんこうこう


 言わずも知れた田舎県。

 その代表格と言っても過言でない。

 西南高校はそこに在って、全校生徒千人を超える県内では名の知れた進学校だ。


 千九百九十一年。

 一人の生徒が一つの野望を持ってこの学校に入学した。

 これはそこから始まる物語。



   ※



「なぁなぁ、『トイレの花子さん』って知っているか?」

「いや、逆に知らない奴とかいんの? 小学校でみんな絶対一回は通る道でしょ」

「懐かしー。私の小学校にもあったよ『花子さん』の怪談。えっと、確かどっかの女子トイレの一番奥の扉に向かって『花子さん、遊びましょ』って言うと、おかっぱ頭で赤いスカートを履いた『花子さん』が現れて、どっかに連れて行かれるんだっけ?」

「あったあった。俺のとこも大体同じ感じだったぜ」

 四人の男女が教室で雑談していた。

 その内容は高校生には似つかわしくなかったが、誰もが知るその怪談に、自然と口調は軽くなる。

 全員が昔を懐かしむ様に思い出話が始まった。

「怪談とか七不思議とか、小学校の時流行ったよなぁ」

「ウチの学校にもあったぜ七不思議。っても、俺らが自分で作ったんだけどな」

「何だよソレっ。――まぁ俺も同じですけどね。動く人体模型とか、目が動くベードーベンの肖像画とか、背負った薪の数が増える二宮金次郎の像とか」

「作ったってどれの有名な話ばっかじゃん」

 同じような話は経験しているが、男子三人とはスタンスが違った女子生徒が笑う。

「そんなことないって、リリーさんとか、おかむろさんとかちゃんとマイナーなのもあったし」

「マイナーって結局元ネタがある奴じゃん」

「そりゃ、小学生に物語を一から全部作る能力何てある訳ねぇし」

「それもそうか。そんな能力があればこの前のテストでもっといい点数取れてただろうしね」

「うっ。嫌な事思い出させんなよ」

「「「ははははははっ」」」


 楽しい放課後の一幕。

 青春の一頁ページ


「で、何でいきなり『花子さん』?」

 話が一段落したところで、初めに話を振ってきた男子生徒に視線が集まった。

「いや、俺も聞いた話なんだけど、この学校マジで出るらしいんだよ――『トイレの花子さん』」


「「「――ははははは」」」


 一瞬顔を見合わせた三人は、すぐに声を揃えて笑った。


「いや、ないわー。俺らもう高校生よ?」

「まだ夏休みには早いぞ」

「その話真剣にしていいのは小学生までだって」

 呆れた空気が場を満たす。

「いや、コレがマジなんだって。放課後三階の一番北端にある女子トイレで、奥から三番目の――手洗い場の鏡に映る個室の前で『花子さん、遊びましょ』って言うと、マジでおかっぱに赤いスカートの女の子が出てくるらしいんだよ。もう、何人も見たって噂だぜ」

 男子生徒が熱弁を振るう。

「結局噂じゃねぇかよ」

「てか、私は高校生にもなって、そんな事を実際にヤッてるのが何人も居ることの方が怖いわ」

「確かに」

「そう言われるとそうなんだけどさー」

 言葉に込めた熱の割には、他の三人の反応が淡白だった為、男子生徒は頭を掻く。

 しかし、次の瞬間には表情を変え、ニヤッと笑った。


「でも、やるだろ?」


 全員が視線を絡み合わせる。

 一瞬の間――

「そりゃ、まあどうせ暇だし」

「ここまでは話したんならな?」

「ねぇ、それってもしかしなくても私にさせようとしてない?」

「そ、そんなことねぇよ? ただでさえ人気が少ないトイレで、しかも放課後だから、俺等でもイケるって」

「先生ー。ここに犯罪者がいまーす」

「な!? 裏切り者ッ」

「ないわぁ……」

「ちょ、冗談だって! 本気にするなよ」

「じゃ、誰が行くのよ」

「えぇ、じゃあ俺が」

「いや、俺が」

「バカヤロ、俺が行くよ」

 次々に手が上がる。

「え、それなら私が」

 流れに逆らえず女子生徒も手を上げる。

「どうぞどうぞどうぞ」

「もうっ!」


 場所は変わって、特別教室の三階。

 最北の女子トイレ前。

「絶対そこに居てよ」

 人気のない空間で、女子生徒の声は思いの外響いた。

 いくら他の人の目がないとは言え、男子高校生が女子トイレに入る訳にはいかないため、三人の男子生徒は女子トイレ前で待機。

 現在女子生徒一人だけが女子トイレの中に入っている。

「うわっ、マジでここだけ鏡に一番奥のトイレが映るわ……」

 ここに来るまでに、検証として他の場所にある女子トイレにも足を運び、鏡に三番目の個室が映るか試してみた。

 しかし、どこのトイレも奥まった三番目の個室が映る事はなかった。

「ねぇ、本当にやるの? やっぱりやめてマックとか行かない?」

 寒くもないのに泡立った肌を擦りながら女子生徒が言った。

「何言ってんだよ。わざわざこんな時まで来たんだからやっていくだろ」

「そうだぜ。何だビビったのか?」

「び、ビビッて何かないし……」

「まぁまぁ。もし『花子さん』が出てきてもさっさと逃げらばいいんだし。気楽にやろうぜ」

 言い出しっぺの男子生徒が場を和ませる。

「もー、分かったわよ」


「えっと……確か、扉を三回叩いて――『花子さん、遊びましょ』」


 コンコンコン


 トイレの前には扉を叩く音が聞こえてきた。

 ――――――

 静寂。

 次いで、キ――――ンという耳鳴り音。

 軋む音。

 悲鳴。

 駆け寄る足音。

 暗転。


 ※


「結局何にも起こらなかったな」

「まぁ、そりゃそうだろ」

「噂は噂かー」

「なあ、マックでも寄って行こうぜ」

「お、いいね」

「じゃ、お前の奢りな」

「何でだよ」

「お前が『花子さん』がどうのって言い出したから、無駄な時間使ったんだろ」

「お前らだって乗り気だっただろうが」

「それはそれ、コレはこれ」

「そーそー」

「ちぇ、何だよソレ」


 楽し気に歩く三人の男子生徒。

 彼らが、女子生徒の事を思い出すことはなかった。

 後日、女子生徒が帰宅しないと家族から捜索願が出されたが、失踪は家出として処理された。


 ※


 イヤ、イヤ、イヤッ!


 嫌な予感はしていた。

 誰も来ないはずの女子トイレで。

 何故か鍵のかかっている三番目の個室を目にした時から。

 肌が泡立つ。

 空気が暗い。

 ねっとり絡みつく。

 さっきまで聞こえていた男子生徒たちの声も耳に入らない。

 ハッ ハッ ハッ

 頭の警鐘を鳴らすのに、それとは裏腹に身体が勝手に動く。

 ゆっくりと右手が扉に触れる。

 ダメ、ダメ、ダメ

 いくら念じても、止まれない。

 コンコンコン

 乾いた音が響いた。

『花子さん、遊びましょ』

 過去級の様に荒げた呼吸の中、しかしその言葉だけは綺麗に口から音となって吐き出された。

 自分のモノとは思えない声が。


 ―――――静寂


 次いで、キ――――ンという耳鳴り音。

 開いては聞けない扉がゆっくりと開く。

 軋む音。

 扉の向こう――暗闇に浮かぶ白い肌に、黒い髪。顔のあるはずのところには、黒い穴が二つ。その下に真っ赤な三日月。

 ――――ッ!

 声にならない悲鳴を上げる。

 ソレは笑っていた。心底嬉しそうに、楽しそうに悦んでいた。

 転げるように駆け出した。

 目の端で赤い布が揺れるのが見えた。

 狭いトイレ。

 なのに入り口が遠い。 

 一歩進む毎に、逆に遠のいていくような錯覚。

 無我夢中で走る。

 外にいる男子生徒、一人の顔が見えた――もう少し。

 安堵が顔に広がる。

 『――いいよ』

 耳元で声がした。

 瞬間、足元から前進へ鳥肌が駆けめぐった。

 「いや……」

 暗転。


 その後女子生徒を見たモノはいない。

 


 



 

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