第7話 開かずの教室
「ねぇ、『開かずの教室』って知ってる?」
放課後の図書室。
委員会の仕事で図書の整理を頼まれた男女二人の生徒が黙々と作業をしていると、ずっと一人で本を読んでいた生徒が突然声を掛けてきた。
「――え、僕?」
初めは声を掛けられたことに気が付かなかった。
それくらい唐突に話しかけられた。
「そう、君」
視線を巡らせると、決して多くはないが他にもいたはずの生徒の姿が消えていた。
まぁ、本棚に向かって作業をしていたのだから、出て行ったことに気が付かなくてもしょうがない。
「で、どう? 知ってる『開かずの間』?」
「いや、聞いたことないけど」
近くで作業していた女子の委員も話が聞こえたのだろうコチラを見ていた。
アイコンタクトで聞いてみるが、肩を
だが、普段口数の少ない彼女の目には好奇心と呼べる光が宿っているのが見て取れた。
単調な作業に退屈していたのだろう。
そして、何より図書委員は本好きの集まりだ。『開かずの間』なんて聞いてワクワクしない訳が無い。
「で、その『開かずの間』? がどうかしたの?」
取り敢えず話に乗ってみる事にした。
「図書委員の間で代々受け継がれている話って聞いたから、知ってたら教えて欲しいと思ってね」
「ふーん。聞いたことないな。――ん? その話おかしくない? 図書委員しか知らない話をどうして君が知ってるんだよ」
「それは僕の兄がここの卒業生だからだよ。在学中は図書委員長をしていたらしくてね。話を聞いた時にはそれほど関心がなかったんだけど、実際
「なるほどな。期待に沿えなくて申し訳ないけど初耳だよ」
「そうみたいだね。それじゃあお邪魔虫は帰るとするよ。もし『開かずの間』について何か分かったら教えてよ」
「うん。分かった」
その後その男子生徒を図書室で頻繁に見かけるようになった。
初めの時と違って特に話しかけてくるわけでもなく、ただ本を探したり、読んだり。あまりの普通さに『開かずの間』の話なんてしなかったのではないかと錯覚する程だ。
だが、変化は別の方向から現れた。
「〇〇君、『開かずの間』の話覚えてる?」
黙々と作業をする僕に、前回も一緒に作業していた女子委員が声を掛けてきた。
放課後、あの日と同じように司書の先生の手伝いで本棚の整理をしていた。
新任の司書の先生は若くて人懐っこい笑顔が人気だが、人使いが荒い。
こうして本棚の整理を頼まれた事は何回目だろうか?
それなのに当の本人は本の発注や買い付けなどで見当たらない事も多い。
本好きなら分かる――仕事をいい訳に本探しに夢中になっているのだろう。
良くも悪くも学生っぽさが抜けきらない先生だ。
「覚えてるけど、どうしたの急に?」
「私あれから気になって色々調べてみたの」
委員会の先輩に話を聞いたり、司書の先生に聞いたり、友達に噂話の延長で聞いてみたり……。しかし、誰も『開かずの間』について聞いた事すらなかったそうだ。
そして、どうしたものかと手に取ってみたのは図書委員の有志により毎年文化祭で発行している文集『輝き』だった。
特に期待はしていなかったらしい。
それもそうだろう。以前はどうだったか知らないが、現在の文集は自作小説を載せるものとなっているからだ。
適当に手に取ったバックナンバー。適当に開いたページでそれを見つけたそうだ。
『開かずの間について』
それは考察の様な内容だった。
『開かずの間』とは何なのか? どこにあるのか? いつから語られているのか?
どうやったら入れるのか? 入れた人がいるのか? 中には何があるのか?
書いた本人も分からないまま自分の考えをまとめたような文章だった。
「少なくとも『開かずの間』の話はずっと前からあったってことだよね」
刊行されたのは昭和の時代。
確かにあの頃は怪談ブームで、各学校に七不思議があったと何かの本で読んだ事がある。
しかし、
「良く一人で調べたね」
あまり自分から発言するような子じゃなかったはずだ。ましてやこんなに行動力があるとは。人っていうのは見た目ではわからないものらしい。
感心しつつ、読み進める。
「一番の疑問はやっぱり何処にあるのか? だね」
やはり、そこが分からなければ調べようがない。物理的に開かないのか。何か超常的な力で開かないのか。現物を見ないことにはその他の疑問に対する答えは得られないだろう。
「ヒント……みたいなのは、ないか」
最後まで読んでみたが、この場所という記載はなかった。
なかった、が――。
「疑うとしたら図書室だよな」
「そうだよね」
二人で頷きあった。
何故図書委員で語り継がれているのか?
理由として考えられるのは、図書委員が知っておかなければならない理由があるから。もしくは図書委員に関わりがあるから、それか『開かずの間』が図書室の何処かにあるから。
教室よりは広いが、体育館よりも狭い。そんな半端な広さの室内を見渡す。
当然壁際は本棚で占領されており、その他にも本棚が並ぶ。空いたスペースには理科室にあるような大き目の机がいくつか。
これと言って怪しい場所はない。
何処か決まった本を動かすと本棚が動き出して隠し扉が!――何て事がない限りこの空間に『開かずの間』がある、もしくはそこへの入口がある何て事はないだろう。
「てことは、怪しいのは司書室かぁ」
図書室入り口横――入ってすぐにある司書の先生が常駐している小さな部屋。
生徒が中に入ること、見ることさえ殆どない空間。
タイミングよろしく司書の先生は今日も不在。
扉について硝子越しに中の様子を窺う。
教室の半分くらいの広さの空間――入り口横の壁際にデスクが一つ。奥の壁際に大きい本棚と小さい本棚が一つずつ。小さい方の本棚の上にはポットと電子レンジ。その横に小さな冷蔵庫があった。
これでベッドがあればここに住めるな。
「でも、特に怪しいところないな」
図書室内より更に狭い空間を見つめて、期待外れの溜息が漏れた。
「どうする?」
「こうなったら、先生を見張るしかないね」
当てが外れて女子委員に振り向くと、真剣な顔で危ない事を言い出した。
「見張るって……そこまでする?」
若干引いてしまった。
「だって、気にならない『開かずの間』? もし本当にあるなら、司書の先生なら絶対何か知ってると思うし」
果たして新任の司書の先生がそんな事を知っているのかは甚だ疑問だが。
「分かった。出来る限り協力するよ」
何だかんだで僕もこの
その後以前より意識して司書の先生と話し、関りを持って、監視をして分かった事がある。
まず、日中は基本的に図書室か司書室にいるという事。
週の初めと終わりの放課後に外出することが多い事。
図書室の蔵書が以前より生徒の意見を取り入れ、分野毎――SF、ホラー、料理、に怪談、異世界ファンタジーなどに分けられている事。
「私たちが整理を頼まれたのは料理本のコーナーとファッションのコーナー」
「俺はSFとファンタジーかな」
「他の委員の子は赤本のコーナーと図鑑のコーナーの整理を頼まれたって言ってた」
改めて図書室の様子を確認する。
受験の為三年の委員は殆ど名前だけの存在。活動しているのは一、二年の四人程だ。
こうして改めて見直してみると分かりやすかった。
「ホラーや怪談のコーナーは必ず先生が整理してるな」
「うん。それに司書室の奥の本棚にある本も殆どがそっち系みたい」
この段階で、僕らの中で司書の先生が『開かずの間』について何か知っている事はほぼ確定事項になった。
「怪しいのは生徒が図書室に来ない日中かな?」
「私は外出している時が怪しいと思う」
「どうして?」
「日中だと確かに生徒は殆ど図書室利用しないけど、百パーセントじゃない。その点放課後ならある程度帰宅時間も把握できるし誰かに見られる心配が少ないと思う」
「なるほど」
こうして僕らは当然の様に作戦を練っていった。
「本当に大丈夫かな……」
「何? 散々話し合ったじゃない。今更怖気づいたの?」
施錠の終わった図書室で、二つの影が小声で会話をしていた。
当然僕らだ。
週の終わり。今日も司書の先生が外出するという情報を事前に入手した僕らはバレない様に図書室内に潜伏していた。
この状況に若干の後ろめたさを感じた僕だったが、女子委員に見事に切って捨てられた。その眼には静かな興奮の色が見て取れた。
「いや、そういう訳じゃないけどさ……」
女子にそう言う風に言われては、引き下がれない男子の悲しい性である。
どのくらいそうしていただろう?
それ程長い時間ではなかったと思う。
話していたが、注意はしていた。
しかし、気が付けなかった。
僕ら以外無人のはずの空間にその人はいた。
「え?」
最初に気が付いたのは僕だった。
僅かな違和感を感じ視線を司書室に向けると、先程まで確かに誰もいなかったはずのその空間に先生はいた。
明りは微か。どうやら手に持ったスマホの明りのようだ。
それをゆっくり図書室内に向ける
「――⁉」
僕は慌て女子委員を本棚の陰に引っ張り込んだ。
「ちょっと――!」
突然の事に抗議の声を上げようとする口を押えて、視線で合図を送る。
状況が状況なら警察沙汰だが、そのただ事でない様子を理解してくれたようだ。
ゆっくりと僕の視線を追う。
「嘘……」
彼女も状況を理解したようだ。
先生はいつもの人懐っこい表情をけし、能面のような感情の籠らない顔で図書室を見渡すと、すぐに姿を消した。
「っ! 行くわよ」
「え、マジかよ」
「当たり前でしょ! 何のためにこんな事してると思っているの!」
「ごもっともで」
場違いにも、将来女性の尻に敷かれる自分の姿が想像出来た。
音を発てない様に、慎重に、けれど急いで司書室に向かった。
扉は施錠されておらず、中にはることが出来た。
やはり中にヒトはいなかった。――が、以前見た時とは違うところがあった。
「まさかこんなところに入り口があったとはね」
女子委員の視線の先、脇にずらされた本来デスクが置いてあるはずの場所、その床に小さな扉があった。
「コレは気付かないな」
「そうだね。普段は先生が座ってるからこんな扉あるって知ってないと分からない」
「……」
「……」
無言で見つめ合い、同時に頷いた。
彼女が言った通りだ。ここまで来たのだからやる事は決まっている。
ゆっくり扉を持ち上げた。
扉の先は急な階段が続いていた。
スマホで最小限の明りを確保し慎重に進む。
十二段。学校にある他の階段と同じ数だけ下った。
その先にもう一つ扉があった。
一瞬視線を合わせて、頷き合い、ゆっくり扉に手を掛けた。
その先に在ったのは、魔女の隠れ家と古本屋を足して二で割った様な、そんな空間だった。
四方の壁は本で埋め尽くされており、それ以外にも怪しげな瓶や壺が散在していた。
「先生は?」
「えっと、いた。ホラあの奥のところ」
薄暗い室内で、こちらに背を向けながら奥の本棚を物色していた。
「これからどうする?」
「どうするって――どうしようか?」
『開かずの間』は見つかった。
でも、その先は?
僕らは見つけることに夢中で見つけた後の事は何も考えていなかった。
何のための空間なのかは当然気になるが、この雰囲気の中出ていって先生にそれを聞く勇気は既に消失していた。
僕らは互いに目的を見失っていた。
そして、ソレが注意力の低下を招いてしまった。
「――――――見たわね」
突然すぐ近くで聞こえた声に、慌てて顔を向ける。
光が眼鏡に反射して、怪しく光る。
「ひっ」
僕か、彼女か、それとも両方か――引きつった悲鳴を上げた。
「もぉ、勝手に入ってきたら駄目じゃない。ここは生徒立ち入り禁止なのよ」
場の雰囲気で司書の先生が一瞬この世の者じゃない様に見えたが、どうやら気のせいだったようだ。
明りを付けても薄暗い室内で、いつものように軽い口調で話すその雰囲気に少しほっとした。
「ここは何なんですか?」
落ち着きを取り戻した女子委員がキョロキョロと室内を見わたす。
「ココは古い本や貴重な本、禁書何かをを保管する場所よ」
「禁書?」
現実では聞き慣れない――小説などではよく見る単語に首を傾げる。
「ほらよく小説なんかに出て来るでしょ。魔導書とかあんなのの事よ」
どこまで本気なのかその笑顔からでは読み取れなかった。
「禁書は置いていおいても、貴重な本がある事には変わりないから、もうここには入ってきたら駄目よ」
「「……はーい」」
渋々と言った感じで二人で返事をした。
「まったくもう。分かりやすいわね」
その様子に苦笑いと溜息を零しながら、先生は部屋の奥の方に移動していった。
そして何やらゴソゴソする音がしたかと思うと、二冊の本を持って戻って来た。
「はい。ここを見つけたご褒美にこの本なら読んでもいいわよ」
「え⁉ いいんですか!」
「特別よ。でも古い本だから気を付けてね。あと持ち出し禁止だから読むのならここで読んで行っちゃってね」
そう言って女子委員の前に椅子を差し出した。
いつの間にか僕の前にも同じような椅子が用意されていた。
「あ、すみません」
「ふふ、いいのよ」
そう言って、先生は本の整理に戻っていった。
優しく表紙を撫でる。
『不思議の国の△△』――表紙には金糸でそう書かれていた。
ゆっくり捲っていくといくつかの挿絵があった。それは世界的に有名はあの不思議の国の画だった。しかし、主人公のはずの女の子の画はどこにもなかった。どうやら△△には自分の名前を当てはめて実体験するように読む本のようだ。
兎を追いかける。
薬で小さくなったり、ケーキを食べて大きくなったり、自分の涙で溺れかかったり。変な芋虫に変な双子。変な帽子屋にヘンテコな王女様。
子供向けの御伽噺だが、自分が体験するとなると中々どうしてワクワクとスリルがあり面白い。
※
「はぁ図書委員の子たちは何でいつもこう好奇心を押さえられないのかしらね」
薄暗い部屋の中、司書の呟きが響いた。
見つめる先には二脚の椅子と、その上に開かれたまま置かれた二冊の本。
その内の一冊をそっと手に取る。
そこには男子生徒がチシャ猫と話している場面が描かれていた。
パタン――本を閉じる。
もう一冊を手に取る。
そこには女子生徒がピーターパンに手を引かれ空を飛ぶところが描かれていた。
パタン――本を閉じる。
二つの本は部屋の最奥――『禁書』と書かれた鍵付きの本棚にそっと戻した。
そして、何事もなかったように『開かずの間』を後にするのだった。
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