第13話
遠くから
松善の手代、佐吉は足音を忍ばせながら、松善の
佐吉は薬研堀の茶屋通いで金がなくなり、店の金に手をつけるか、金目の物を盗もうかと考えるようになっていた。
十二の
なにより、善兵衛の小言に
ここ数日の間、佐吉は
善兵衛は蝋燭問屋の寄合で帰りが遅い。松善の三つある蔵のうち、二つの蔵の鍵は善兵衛が留守なら番頭が預かることになっている。だが、観音像が隠されている蔵の鍵は、善兵衛が首から下げて肌身離さず持ち歩くのが常であった。
ところが、この日は忘れたのか、落としたのか、善兵衛の着替えを片付けた際に、土蔵の鍵が転がり出てきたのである。
棚から
自分に言い聞かせるように、独り言を呟く。
「あれほど熱心に崇めてるんだ、百両、いや、五百両にもなるかもしれねぇ」
善兵衛がいない間は、店の者が命の洗濯をする貴重な時である。飯をゆっくり食べる者、風呂でじっくり身体を休める者、それぞれが思い思いに過ごしており、土蔵に近寄ってくる心配はなかった。
土蔵の
佐吉は左右に目を光らせた。
人気はなく、静まりかえっている。一段と冷え込んできて吐く息が白くなった。
一つ咳払いをする。
「ふん、あのケチべえの下で働いて幾ら稼げるってんだ。
佐吉は後ろめたさを払拭するために、善兵衛への愚痴を口にしながら、土蔵の鍵を差し込んだ。
鍵はぴたりと錠前に合った。恐る恐る回すとカチリ、と音がして鍵が開く。
佐吉の親類にも蔵持がおり、
手燭をゆっくりと動かしながら、土蔵内を見回した。明かり取りもないため、昼でも夜でも暗闇が蔵の中を支配している。
佐吉は手燭を掲げた。中央の台座の上に、観音像が置かれている。目を凝らすと、元は
像は幼子を抱え、
佐吉は観音像に触れようと手を伸ばした。
「それは罠ではないか?」
険しい顔になって、林左内は思わず口にした。早川金次郎も声を落としながら答える。
「拙者もそう怪しんでいる……」
早川金次郎の話では、この後二人の内通者と会うことになっていた。
一人は、赤坂にある花やどの店の者である。花やどは虎吉の息がかかった料亭であるため、金次郎も当初は
もう一人は、松善で働いていたという男で、四ツ谷辺りで隠れており、奉行所に命を守って欲しいとのことであった。
「松善の佐吉という手代の行方がわからなくなっている。その佐吉ではないかと考えている」
左内も佐吉が居なくなったという話を、蕎介から得ていた。
店の金が無くなっており、佐吉が盗んで
「もしそうなら、一時でも早く佐吉を会わねばならぬな」
「うむ、
左内が不安げに金次郎を見つめる。
「金次郎、お主一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。こういう時には下手に人数を増やすと警戒され、話が進まなくなる。だが、もしもの時は、後を頼んだぞ」
左内は金次郎に
提灯を下げた早川金次郎は、
この坂は西側に
だが、剣の腕に覚えがある金次郎は、あまり意に介さない。
またこの日は、最初に会った花やどの店の者から、虎吉と松屋善兵衛が花やどで親しくしているという手がかりを得て、気が大きくなっていた。
店の者に会うまでは、金次郎も警戒していたのだが、それは
いつの間にか雲はすっぽりと月を隠し、坂は闇に包まれている。
金次郎が坂の途中まで登ってくると、
金次郎も最初は物の怪のたぐいであるかと
しかし、提灯を掲げてみると、尋常ではない様子である。金次郎は近寄って、倒れている女中に声をかける。
「いかがなされた?」
年の頃は二十ぐらいであろうか。
「……
「とにかく、ここでは危ない。
女中は弱々しくうなずいた。
金次郎は助け起こそうと、提灯を傍に置いて女中の身体に手を回した。振袖も、襦袢も真っ赤で、一刻を争う様子である。
その時、金次郎は違和感をいだいた。多くの血が流れているはずであるのに血の匂いがしなかった。
金次郎が手を離そうとした瞬間、左胸に激しい痛みを感じた。金次郎は身を
——くっ、罠だったか……。
女中が短刀を振りかぶった。
金次郎が
同時に金次郎の背中が何者かに斬られた。金次郎は激痛によろめいたが、振り向きざまに、一刀を振り下ろす。背後にいた男は、その太刀筋を下がってかわした。
——こんなところで死ぬわけにはいかん。
金次郎が地面に置いた提灯を蹴飛ばすと、辺りは一瞬で
金次郎は闇雲に刀を二度振るった。太刀は風切り音を鳴らすが、手応えはない。
「平十郎! 奴は手負いの獣だ。下手に近づくと斬られるぞ」
暗闇の中で男が叫んだ。
金次郎はよろけながら、もと来た道を一目散に下って行った。
月が雲から顔を出し、再び薄明るく照らし始める。女中姿の平十郎に、
「斬られてはおらぬか?」
平十郎は
「はい……、ですが、心の臓は外しました」
平九郎は片膝をついて、下り坂に残された血を確かめた。
「構わぬ。これだけ血を流せば生きてはおられぬだろう」
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