第12話


 釼一郎は夜中に目を覚ました。夜更けの喧騒が嘘のように、静寂に包み込まれていた。

 蝋燭は今にも燃え尽きそうで、小さくなった炎がちろちろと揺らいでいる。

 隣の浦里は兵庫髷ひょうごまげで結われた頭を枕に載せて、釼一郎を背にして小さく寝息を立てている。しかし、遊女が本当に眠るのは、朝を迎えて客が帰ってからである。

 天井を見つめたまま、釼一郎は呟いた。

「人の運命さだめってのはなんでしょうね」

 浦里がごそごそと寝返りをうった後、釼一郎に答える。

「……運命?」

「人が生まれてから死ぬまで、全て定められていたとしたら……どうします?」

「あちきの一生が定められていたとしたら?」

 浦里はしばらく釼一郎の顔をじっと見ていたが、溜息を吐いてぽつりと言った。

「釼さん、あちきそんなこと考えたくもない……」

「そうかもしれませんねぇ……」

「どうしたの? 今日は釼さんらしくもない」

 浦里は身体を起こして、桐箱の中から蝋燭を一本取り出し、消えかかった蝋燭から炎を移そうと近づけた。

 釼一郎は無言で浦里の手を掴んで、それを制止した。

 浦里が動きを止めると、細くなった火がくすぶり始める。辺りは暗闇に包まれ、廊下から漏れる一筋の光だけが、釼一郎の口元を浮かび上がらせた。

「儂はね。首斬りとして、さんざん人をあやめてきた。それも運命だとしたら……、なんてことを考えてしまいましてね」

 浦里は言葉を選んでから、探るように答える。

「でも、釼さんが斬ったのは咎人とがにんだったんでしょう?」

「咎人……。たしかに咎人です。許されぬ罪を働いた者もいる。しかし、中には止む無く悪事に手を染めた者もいたでしょう。一方では、民を苦しめながら天寿てんじゅを全うする者もいる。運命ってのは残酷なもんだと思いましてね」

「そんなの絶対に嫌……。あちきのこんな一生がはじめから決まっているなんて、そんなのひど過ぎる」

 浦里の声は震えていた。 

「儂もそう思う。そんなことは嘘っぱちだと思う。いや思いたい……」

 しばらくの間、沈黙が二人を覆った。やがて、釼一郎が喉の奥から絞り出したような声で言った。

「……儂は父親の首を斬った」

「え? ……だって、釼さんのお父上は……」

「本当の父、儂や母を捨てて、出奔しゅっぽんした父だ。その父が、幕府に歯向かう者として捕らえられ、処刑されることになった。その父の首を儂が斬った」

 浦里が固唾かたずを呑んだ。釼一郎は淡々と語り続ける。

「儂だって最初は父だとはわからなかった。名も違ったし、随分と長い間会っておらず、見すぼらしい姿だった。しかし、父が儂に『立派になったな』と……」

 釼一郎の声が途切れ、そして再び口を開いた。

「その声で、……わかった」

 浦里は悲痛な声を発した。

「誰か他の人に……」

 釼一郎は静かに首を左右に振った。

「構えたまま動けない儂に、父が『介錯かいしゃくを頼む』と言った。儂には父の考えがわかった。父は首を斬られるのではない。自ら腹を切る心持ちなのだと。だから……、他の誰でもない、儂が介錯をしてやりたかった」

 浦里は無言のまま、暗闇の中の釼一郎を見詰めていた。 

辞世じせいは詠まなかった。出奔する前の父はよく歌を詠んでいましたがね。その父が辞世を詠まなかったのは、なにか思うところがあったのか……。父が出奔して以来、山田家に弟子入りした後も、父の行方を探していた。だが、調べれば調べるほど、父の悪評を知ることになり、儂は父を追うことを諦め、朝右衛門の親父様を本当の父と思い込むようにした。しかし、父が亡くなった後で、もう一度父の生き様について知りたくなった。……そして、父が飢饉ききんに苦しむ民を救おうとしていたことを知った」 

 浦里は釼一郎の胸にそっと手を置いた。とくんとくんと小さく脈打つ釼一郎の心の臓を感じていた。

「……それで首斬り役人としての役目を終いにした。長崎で人を生かす医術を学ぼうとしたのはそのためなのです。……結局、医術も投げ出してしまいましたがね」

 釼一郎はふっと自嘲した。浦里は釼一郎の頰に優しく手を当てた。冷え切った手が、釼一郎の熱を奪い、心を落ち着かせていく。

「ねぇ、釼さん。切支丹きりしたんの教えってどんなのだったの? 悪い悪い邪法じゃほうだって話もあるし。女や子どもも救ってくれるって話もある。エウロパの人はみんな信じてるんでしょう。西洋記聞を読んで、切支丹のことを知りたくなってきた」

 この時代、徹底的な弾圧で、切支丹が日本から消えたとされていた。が、実体がわからなくなったことにより、もっとも邪悪なものは『切支丹』であった。

 天竺てんじく徳兵衛とくべえや、七草ななくさ四郎など、歌舞伎でも妖術使いのたぐいとして扱われていたが、返って怪しげな魅力を感じる人々もいたようである。

 西洋紀聞では、宣教師シドッチが新井白石に基督きりすとの教えを説いたとあるが、新井白石自身はシドッチの説く基督教に矛盾を感じていた。

 いや、本当のところはわからない。

 当時、基督教は許されぬ禁教である。矛盾を指摘し、取るに足らない教えと書かなければ西洋記聞そのものが、焚書ふんしょされていたかもしれない。

 新井白石がシドッチに多いに同情を寄せ、特別扱いをしていたようである。しかし、シドッチは新井白石との約束を破って、シドッチの世話係に布教を行ったことが露見し、失意のうちに生涯を終えた。

「儂も伝え聞いたところしか知りませんがね……。戦国の世では多くの大名も切支丹になったとか。迷える人々を救うなにかがあったのかもしれないですね」

「あちきも切支丹になりたい……。だって、仏の教えじゃ、女は成仏できないんでしょう? だったら、切支丹になって極楽に行きたい」

 釼一郎は静かに首を振った。

「やめた方がいい。今の世じゃあ切支丹になったら地獄のような苦しみを受けるだけです。だいいち、女が成仏できないなんて、誰がそんなことを言ったんです?」

「通ってくる坊主が、敵娼の花魁に言って聞かせてるそうで……」

 釼一郎は鼻で笑った。

「ふん、そういう助平すけべい坊主は人の心配をするより、自分の身を心配した方がいいんですがねぇ。まあ、お祖師そし様の法華ほっけなら、女人も成仏できると説いてますがね」

「あちきは、浄土真宗ですから……」

「なあに、浄土真宗なら念仏を唱えさえすれば成仏できると教えているそうですよ。……そういえば、切支丹は念仏を唱え、不思議な力を得ていたと聞いたことがある……」

 釼一郎はぶつぶつと独り言を繰り返した。

「念仏……。肥前……」

 釼一郎が呟いた時、表が騒がしくなってきた。いつの間にか夜がしらしらと明け始めている。

 朝早く騒いでいる者に、昨夜の成績が良い者はいない、というが、花魁にふられた男たちが、仲間や若い衆に恨み節をぶつけているのだろう。

「花魁、そろそろ支度したくをしてくれないかい。どうやら蕎介さんがふられたようだ」

 廊下から聴こえる蕎介のがなり声に、釼一郎は苦笑いを浮かべた。


 釼一郎たちは大門を出て、駕籠を待つ間に立ち話をしている。蕎介はよほど腹が立ったのか、恨み節を繰り返していた。若旦那を装った本田髷も、元結もとゆいが緩んだのか形が崩れ始めている。

「あの年増としま、なぜだか急によそよそしくなりやがって。他所よそへ行ったきり戻ってこなかった」

 釼一郎には思い当たる節があるが、黙ったままよそ見をしている。

「こんなことなら、いつものなりで来るんだった。……あ、そうだ! 明五郎さんあんたはどうだった?」

「え? 私ですか?」

 酒が残っているのか、明五郎はどこかのんびりとしている。

「いい子でしたよ。拙者と田舎が近くて、お国の話で盛り上がりましてね」

「で? で? どうだった? 具合は?」

 蕎介が身を乗り出して訊く。明五郎は思い出して、嬉しそうに首の後ろに手をやった。

「話し込んでいるうちに気がついたら、すっかり夜が明けておりました。次に来た時には、と申しておりましたので、また近々……」

 拍子抜けした蕎介は、釼一郎と目を合わせた。明五郎は焦らされて、これから若い新造に大金をつぎ込むに違いなかった。

 釼一郎は思い出したように、明五郎と蕎介に言った。

「そうそう、善兵衛のことですがね。ちょっと思いついたことがあるんで、ちょいと人に会って来ます」

「え? 誰ですか?」

 明五郎が訊ねる。

「まあまあ、もう少しはっきりわかったら教えますよ」

 釼一郎がにんまりと笑みを浮かべた。 

 

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