第11話
日も暮れかかると、吉原へ続く
馴染みの顔を思い浮かべているのか鼻の下を伸ばしている者、懐が寂しいから冷やかして回ろうと相談している者たち。
だが、女にとっては
華やかな衣装に身を包んだ
釼一郎たちは
遊女が見世へ出た時に奏でる
馴染みの
『なり』が良くないと女郎たちに持てないからと、蕎介は若旦那風のまま。そのせいかいつもより遊女が至れり尽くせりの世話をしている。
吉原に通い初めたころの明五郎は、落ち着かない様子で酒を飲んでいたのだが、今ではすっかり馴染んで若い
すると皺の寄った遣り
「明五郎さん、随分とご
「……南?」
わけがわからず、明五郎はきょとんとしている。
ピンときた蕎介が、盃の酒を飲み干して言った。
「へへっ、明五郎さん品川のことですよ」
吉原を
後ろめたいのか、明五郎は言葉を濁して視線を外す。
「あ、いや……。そういうわけでは……」
「へへっ、今度は
蕎介がにやける。
隣で酌をしていた新造が、すまし顔で明五郎の膝を
「明五郎さまはあちこちの女を泣かせるお人でありんすか?」
「いやいや、とんでもない……。むしろ、泣かされる方で……」
「そうですよ。一度惚れたらぞっこん惚れる男なんですから。こないだだって、品川の……。まあ、この話はいいか……」
意味ありげに言葉を飲み込んで、蕎介は盃に口をつける。
蕎介の隣に座った
「なんでありんすか? 最後まで聞かせておくんなんし」
我が意を得たりとばかりに、蕎介は花魁にそっと耳打ちをして続きを聞かせた。花魁は明五郎をチラチラと見ながら、声を立てて笑う。
明五郎の隣に座る新造は赤らめた顔を両袖で隠して呟いた。
「明五郎さまが
「えっ?」
明五郎は新造の顔を凝視して聞き返す。
「恥ずかしい……。
新造は照れ隠しに、明五郎を小突く。明五郎も真っ赤になって、首筋に手をやる。
そんな明五郎を見ながら、釼一郎は溜め息を吐いた。
「こりゃ、またのぼせ上がりそうだ」
八つの
夜になっての冷え込みは激しく、釼一郎は浦里と、肌を合わせながら暖め合っていた。
釼一郎が渡した松善の蝋燭がほのかに二人を照らし、
浦里は突然、クスクスと笑い出した。
「どうしたんです?」
釼一郎は身体を離して、浦里に問いかけた。浦里は口元に赤い
「蕎介さんのことを思い出しました」
釼一郎と二人きりの時に、浦里は
廓では廓言葉、ありんす言葉と呼ばれる、独特な言葉遣いがある。田舎から売られて来た
浦里が廓言葉を遣わないのは、遊女ではなかった本当の自分を知って欲しいという思いがあるのかもしれないし、そんな一面を垣間見せることで男の気持ちを操りたいのかもしれない。
釼一郎もどちらか計りかねているが、それもまた浦里の魅力なのである。
浦里はさる武家の落とし子だったという噂もあり、どこか品のある雰囲気を
遊里に売られる前の幼き日々の思い出を、釼一郎にも楽しそうに語ることがある。しかし、詳しいことは何一つ話さなかったし、釼一郎も聞き出そうとするほど
「蕎介さんは、
古くは花魁の中でも最高の女が
ところが、五代目高尾太夫は、
釼一郎はひとしきり笑った後、蕎介のために弁解する。
「いやいや、違う違う。蕎介さんは儂のために働いてくれていましてね……」
訳を聞き、浦里も誤解をした自らを恥じた。
「まあ、そうだったのですね。蕎介さんに謝らないと……。花魁たちに言いふらしてしまったんです」
「そうかい? ……まあ、気にすることはありませんよ。蕎介さんは『なり』や金の力を借りず、心意気で女を落とすらしいですからね」
二人は声を揃えて笑い、抱き合ったままごろりと上下が入れ替わった。
浦里が釼一郎を見下ろして言った。
「ねえ、釼さん……あちきの、……あちきの
その言葉は初めて浦里の口から釼一郎に投げかけられた問いであった。
もちろん釼一郎とて、それが遊女たちの決まり文句であることは知っている。
他の馴染み客には幾度となく口にしてきた台詞に違いなく、男からは承知した、と返すのが約束ごとであろう。
だが、釼一郎は浦里を見上げながら、いつになく冷たい調子で答えた。
「儂は
思いがけない釼一郎の言葉に、浦里は一旦顔を伏せ、ふうっと吐息をもらし釼一郎に身を預ける。
「釼さん、ここは夢を見る場所。夢が覚めるようなことを言わないでおくんなんし」
釼一郎は浦里の重みを感じながら、抱き締めて優しい声で語りかけた。
「浦里花魁なら商売も上手くやりそうだ。儂じゃなくても、一途な良い旦那が見つかりますよ」
浦里はふふふっと笑った。
「そう、きっと一途な良い男を見つけて、あちきの手で江戸一の男に仕上げてみせる。そん時に、釼さんはきっと悔しがるんだ」
そう言いながら、浦里は釼一郎の耳たぶを甘噛みした。
「あっ、そうだ」
浦里は小さな声で呟き、また身体を起こす。枕元に置いてあった本の山から一冊取り、釼一郎に渡した。
「この本」
釼一郎は本を手に取り、起き上がって蝋燭の灯りで表紙を見る。
「
「ええ、馴染みに書物問屋の旦那がいましてね。西洋の本はないかとお願いをしておりました。エウロパから来た男の話ですよ」
女が好む
浦里は鏡台から出した古い西洋の地図を手に取り、釼一郎に指し示した。
「ほら、この辺りがエウロパ。日本はここ。ああ、いつの日か西洋を旅してみたい」
幼子のように浦里は無邪気にはしゃいだ。無論、日本から出ることは
釼一郎はそっと浦里の手を取った。
「年季があけたら、二人で日本を出るってのはどうです?
浦里は釼一郎の手を両手で握る。瞳は涙に潤んで今にも溢れそうであった。
「いい! 釼さんの夢物語、とってもいい!」
釼一郎は二度うなずいて、そっと唇を浦里の唇に重ねた。
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