第10話


 薄鼠うすねず色の僧衣をまとった平十郎へいじゅうろうは、墓石を前にしゃがみ込み手を合わせ、念仏を唱えている。

 寺の墓地は大きく育った楠木くすのきの影に隠れて、昼でも少し薄暗かった。

 紅葉した楠木の葉が風に落とされて、はらはらと平十郎を包み込んだ。

 平十郎は目を閉じたまま、ぼそりと声を発した。

「兄者か?」

 墓石の陰から若い男が現れた。男の名は平九郎へいくろうといい、平十郎と二つ違いの兄である。美しい顔立ちの平十郎と違い、平九郎はこれといって特徴のない容姿で、初めて会った人もどこかで会ったような、それでいて人の記憶に残らない不思議なたたずまいをしている。

 兄弟は忍び一族の末裔まつえいとして、甲賀こうかに生まれた。戦国時代は権力者に重宝され、恐れられた忍びの一族も、太平の世にあっては活躍の場を失っていた。

 平九郎、平十郎兄弟の一族は人里離れた山の中で、忍びの技を密かに伝えていた。幼き頃から厳しい修行で技を仕込まれていたが、平九郎が十二、平十郎が十の時に、流行病が襲い一族のほとんどが死に絶えてしまったのである。

 生き残った平九郎と平十郎は、縁者のある青山百人町の甲賀組こうがぐみに預けられることになった。しかし、江戸の甲賀組の暮らしも楽なものでなく、傘張りの内職などをして糊口ここうしのいでいた。

 内職と肩身の狭い生活に嫌気がさした平九郎は、一年も立たずに青山百人町を去り、街の片隅で盗みをして野良犬のように生き延びていた。

 一方、平十郎は十二から谷中の寺へ預けられていた。寺を虎吉が手に入れた時に、虎吉の目に留まり小姓こしょうとして仕えた。

 平十郎は虎吉に頼んで兄の平九郎を探し出した。平九郎は身体に染み込んだ忍びの術を使って、虎吉から頼まれて汚れ仕事を受け持つようになった。

 元からいた住職は虎吉が追放し、今では平十郎が寺を取り仕切るようになっている。

 平九郎は無表情のまま、平十郎に問いかけた。

「仕事か?」

 手を合わせたまま、平十郎はゆっくりとうなずいた。

「獲物は誰だ?」

 その問いかけに、平十郎はすっと立ち上がり、目を見開いた。

「同心の早川金次郎はやかわきんじろうと、林左内はやしさない

「わかった。早川の動きはもう掴んでいる」

 平九郎が立ち去ろうとすると、平十郎が声をかけた。 

「早川金次郎は、かなりの腕利きだそうです。二人がかりでやりましょう」


 松善の手代てだい、佐吉から仕入れた話をするために、蕎介は山田家で釼一郎と明五郎を前にしていた。若旦那の格好が気に入ったのか、髷も本多髷ほんだまげを結ったままである。

「佐吉から目当ての物が手に入りましたよ」

 そう言って蕎介は、懐から紙を一枚だした。

「この紙は松善で使われている紙です。他の者がおいそれと手に入るもんじゃありませんよ」

 釼一郎は箱の中にしまっていた竹次郎への文を取り出して、二つの紙を見比べた。その紙は全く同じ紙であった。

「これで松善と、竹次郎の繋がりは確かなものになりましたね」

 明五郎は鼻息荒く、蕎介と釼一郎に語りかける。 

 蕎介は上機嫌になって、佐吉から聞出した善兵衛の人となりを語り始めた。

「佐吉は口を開くと、善兵衛の愚痴ばっかり言ってますよ。人使いが荒くてけちで強欲。ろくなもんじゃありませんね。昔、どこかの偉いお坊さんが善兵衛に説教をしたそうですが、逆にやり込めたそうです」

「やり込めた?」

「ええ、なんでもその坊主が、欲というのは苦しみの種だから、この世で富を蓄えても救われない、とかなんとか説いたそうです」

「へぇ、浄財じょうざいですかね」

「ところが善兵衛は、世の坊さんが色街いろまちへ出かけていることを言い出しましてね。金を持てば、徳の高い坊さんでも欲に目が眩むのだから、下賤げせんの者ならなおのこと。皆が畜生道ちくしょうどうへ落ちぬよう、この善兵衛が銭を集めてあの世に持って行くのだと言い放ったそうですよ」

 釼一郎はにやりと笑った。

「なかなかの人物ですね」

「まあ、店の者で良く言う者はいませんね。とにかく小言が多くて、番頭も陰口ばかりなのだとか。とにかくさだめに従い、一所懸命に働くことが大事だというのが口癖だそうですよ」

 釼一郎は首を大きく傾げた。

「さだめ? それは松善での定めごとですか?」

「うーん、どうやら人は生まれた時から、死ぬまでが定まっているということらしいです。とにかく随分ずいぶんと信心深いようですがね」

「なるほど、運命ですか。宗旨しゅうしはなんですかね?」

 江戸時代は寺請てらうけ制度があり、民はいずれかの寺院の檀家だんかになる必要があった。 

 釼一郎は法華ほっけ宗で、明五郎は浄土じょうど宗、左内と蕎介は浄土真じょうどしん宗である。とりわけ左内は熱心な浄土真宗の信徒であり、日々、南無阿弥陀仏なむあみだぶつを唱えている。

「それもよくはわからないのですが、蔵の中に仕舞ってある観音かんのん像に朝晩熱心に祈ってるようですよ」

「蔵の中に観音像?」

 釼一郎と明五郎が同時に聞返した。

「松善には三つの蔵があるそうですが、その一つの蔵は番頭ですら入れないそうです。一度だけ、善兵衛が鍵をかけ忘れたことがあり、中を盗み見た不届き者がいたそうですが、古びた観音像が納められていただけで、拍子抜けしたんだとか」

「……観音像か」

 顎を撫でながら釼一郎は目を閉じた。

「蔵に仕舞ってあるからには、よほど値打ちのある観音像なのでしょうね」

 明五郎が首を傾げながら言うと、蕎介は思い出したように、傍に置いてあった風呂敷包みを引き寄せた。

「あ、そうそう。仕入れた蝋燭はこれです」

 蕎介は包んでいた風呂敷ふろしきを解くと、中から桐箱きりばこを取り出し、釼一郎に渡した。

 釼一郎は桐箱の蓋を開けて、蝋燭を取り出した。ほんのりと、白檀びゃくだんが香る。佐吉から怪しまれないように蝋燭を買ったのだが、一目で高価な物だとわかる。

 蝋燭を眺める釼一郎の姿を見ながら、蕎介はにたにたと笑った。

浦里うらさと花魁おいらんにでも贈るんでしょう?」

 浦里は吉原で一番の美しさとも讃えられたが、二十二の今では、勢いも落ちて贔屓ひいきの客は少なくなっている。それでも歳を重ねた知性と色気があり、釼一郎が吉原に通う時には、浦里を敵娼(あいかた)としていた。

「これで今晩は振られなくて済みそうだ」

 釼一郎がにんまりとすると、蕎介は鼻で笑った。

「へっ、釼一郎さん、銭や物では女の気持ちは掴めませんよ」

「お? 色男は違いますね。では、どうするんですか?」

 蕎介は背を伸ばして胸を張った。

「そりゃあ、もちろん心意気ですよ」

 釼一郎は明五郎と顔を見合わせて、含み笑いをしてから、勢いよく立ち上がった。 

「じゃあ、蕎介さんの心意気を見物に、吉原へ繰り出しますか!」

 

 

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