第6話


 小伝馬こでんま町にある石出帯刀いしでたてわきの屋敷は、囚人達を収容する囚獄しゅうごく、牢屋敷であった。

 釼一郎と明五郎は人足寄場で聞いた竹次郎たちの足取りを辿った。

 竹次郎は人足寄場から、舟で隅田川から浜町川に入り、鞍掛橋くらかけばし近くで降りて、小伝馬三丁目から一丁目にある牢屋へと向かったらしい。人足寄場の吾平によると、竹次郎が『見つけた』と呟いたのは、三丁目の問屋が並ぶ通りであった。

 浜町川を渡った馬喰ばくろ町から小伝馬町にかけて、旅籠はたごや繊維問屋、金物屋などが立ち並び賑わいを見せている。

 時折ときおり、通りを辻風つじかぜほこりを舞い上げて行く。人々は足を止め、袖で顔を覆いながら風をやり過ごしていた。

 明五郎は砂埃が目に入り、何度も瞬きを繰り返した。指で目頭めがしらこすりながら、釼一郎にたずねる。

「竹次郎はここでなにを見つけたんでしょうか?」

 釼一郎は周囲をキョロキョロと見回しながら答える。

「ここでなにかを見つけた後で兄に会っているわけです。兄に繋がるなにか……。いや、兄を見かけたのかもしれませんね」

「とは言え、今の手がかりではなんとも……何か妙案みょうあんはありますか?」

 手がかりの見当がつかない明五郎は困り顔で釼一郎を眺めた。

「地道に当たるしかないでしょう。明日、蕎介さんにも手伝ってもらって、この辺りの店の者に聞いて回りましょう」

「うーん、やはりそれしかありませんね」

 明五郎は釼一郎でも暗中模索あんちゅうもさくするしかないのだと思った。

 その時、通りをかね太鼓たいこを鳴らし、甚兵衛じんべえとたっつけばかまに小箱を背負った初老の男がやって来た。

 明五郎は奇妙な男を眺めて釼一郎に訊いた。

「なんですか? あれは?」

「ああ、あれは飴屋あめやですよ」

 江戸の町には、様々な格好や売り声で人々の耳目を集めて飴を売る飴屋が商売をしていた。唐人とうじんの格好をしてチャルメラを吹く唐人飴売。狐の着ぐるみを着る狐の飴売りなど、実に多彩であったという。

 「唐土糖もろこしとう、唐土糖。唐土糖の本来は、うるの小米こごめに寒ざらし。か〜やに銀杏ぎんなん肉桂にっき丁字ちょうじ。チャンチキチン、スケテンテン!」

 飴屋は鉦と太鼓で調子を取り、陽気な売り声で釼一郎たちの横を通り過ぎて行く。明五郎は目で追いながら釼一郎に問いかけた。

「唐土飴とはまた珍妙な。なにか唐土由来の物なのでしょうか?」

「いやいや、ごろがいいから勝手に名付けているだけでしょう。まあ、ひとつ買ってみましょうか」

 釼一郎が飴屋に声をかけようとした時だった。胸元を大きくあけたやくざ者たちが、脇から現れて飴屋を取り囲んだ。

「おう! 飴屋! 誰に断って商売してるんだ!」

 飴屋ははと豆鉄砲まめでっぽうを食ったような顔で立ちすくんでいたが、気を取り直したように口を開いた。

「へ、へぇ、あっしはちゃんと辰巳たつみの親分に話を通しております」

 やくざ者は左の口端くちはを上げて、ニヤリとしながら言った。

「辰巳の親父はな、昨日死んだんだよ」

「え? ど、どうして?」

 飴屋は驚いて聞き返す。やくざ者は耳垢を小指でほじくりながら、ふてぶてしい態度で答えた。

「さあなぁ。香具師やしなんてものは、恨み辛みを買ってしまう因果な商売よ。どこかのごろつきにでもブスッとやられたんじゃねぇのか?」

「親分がまさか!」

 飴屋はやくざの話が信じられないようである。

「とにかく、この辺はこれから虎吉一家が仕切るようになるからな。大人しく俺らの言うことを聞いた方が身のためだぞ」

「そ、そんなこと……」

 やくざ者の一人が、前に吊るしてあった鉦をもぎ取り、地面に叩きつけた。

「痛い目をみねえと、わからねえようだなあ」

 やくざ者に殴られそうになる飴屋を見るに見かねて、釼一郎が間に入る。

「お兄さんがた、あまりにも乱暴が過ぎるようですな」

 やくざ者が一斉に釼一郎を睨む。一人のやくざが、品定めをするように釼一郎の姿を見る。

「なんだ? りゃんこだからって、浪人風情がしゃしゃり出てくるんじゃねえよ」 

 釼一郎は大小の二本差しだが、月代さかやきを剃らずに総髪であり、一目で浪人とわかるなりである。

「まあまあ、そう怒らずに。縄張り争いなら、香具師同士の話し合いでなんとかするもんでしょう?」

「うるせえ! すっこんでろ!」

 血気盛んな若いやくざが、胸倉を掴もうと手を出してくる。釼一郎がその手を捻り上げた。腕を決められた若いやくざが悲鳴を上げる。

「この野郎! なにしやがる!」

 やくざ仲間が釼一郎に近付こうとすると、明五郎が立ちはだかった。

「ナメた真似しやがって」

 狐目の男が懐からドスを取り出してすごんだ。

 明五郎が刀の柄に右手を置いて少し身を屈める。男の眼前を一条いちじょうの光が通り過ぎ、明五郎の鯉口こいくちがカチャリと音を立てた。

「兄さん、前がはだけてますよ」

 釼一郎が指差すと、男の帯がスッパリと切れて地面に落ち、ふんどし姿になった。男は慌てて、着物の前を合わせる。 

 ざわつくやくざの中から、額に向こう傷がある一人の男が進み出て釼一郎と明五郎を睨みつけた。

「おい、俺は虎吉一家の又三郎ってもんだ。お前らの顔は覚えた。この借りはしっかり返すからな」

 そう吐き捨てると、やくざたちは肩で風を切って去って行った。

「また面倒なことになりそうですね」

 明五郎は語りかけたが、釼一郎は一点を凝視している。

 視線の先には、蝋燭ろうそく問屋どんや松善まつぜんの看板が、大きく墨文字で描かれていた。


 蕎介は両国橋を西へ渡り、橋の周辺を念入りに探していた。豊川屋の女中は、二人が橋へ向かったのを見ていた。もし、殺しが行われたとしたら、両国橋の上か、西側の袂であろうと蕎介は考えたのだ。

 岡っ引の蕎介には、意外な物が手掛かりになることが分かっている。

 橋を渡る人々が、蕎介を怪訝けげんそうに見ながら通り過ぎて行く。だが、一刻いっとき近く橋の上を探してみても、目ぼしい物は見つからなかった。

 蕎介は橋の袂へ近付いた。日が穏やかなためか、舟遊びをする者も多いようで河岸かしは賑わっている。

邪魔じゃまだ、邪魔だ! どけどけっ!」

 しゃがみ込んだ蕎介を突き飛ばして、船頭せんどうが通って行った。

「痛え!」

 尻を押された弾みで、蕎介は側に積まれたこもに倒れこんだ。

「痛っ!」

 菰の中から叫び声が聞こえる。蕎介が後ろに下がりながら、菰をめくると伸び切ったひげと髪の男が顔を出した。

「痛いではないか! 何をする!」

 男は頭を押さえながら、蕎介に文句を付ける。

「こりゃすまねぇ、まさかそんな所に人が居るとは思わねえから。お前さん、そこで何やってんだい?」

「何って……ここは拙者せっしゃの寝ぐらである」

「寝ぐらって……?」

 蕎介が言い終わらないうちに、近くの船頭が代わりに答える。

「その人は仙人さんってんだ。そこの菰を寝ぐらにして、気ままな暮らしをしてるのさ」

 男は宿無しで、船頭たちに仙人と呼ばれている。元は講釈師こうしゃくしだったようで、時折、暇な船頭相手に講釈を聞かせ、わずかばかりの施しを受けているらしい。数年前にこの辺りに流れついて自由気ままな男である。

 はやる気持ちを抑えながら、蕎介は仙人に尋ねる。

「この季節じゃ、ずいぶんと寒かろうね。それでもここで寝てんのかい?」

「拙者の住処すみかはここだ。寒かろうが暑かろうが、ずっとここで寝ておる」

 仙人は痩せ細った身体をしゃんと伸ばし堂々と答えた。

「じゃあ……あんたこの前のからっ風の強い日の夜、ここで男が争うのを見なかったかい?」

 仙人は目を見開いたまま、返答に詰まって口をもごもごとしている。目玉が蕎介を品定めをするように、ぎょろりと動いた。やがて、首を振って答える。

「……いやいや。拙者は何にも見ておらぬ」

 何かを知っているに違いないが、一筋縄ひとすじなわではいかぬようである。蕎介は仙人をなだめすかすが、目を閉じ口をつぐんだまま座り込んでしまった。

 蕎介が出直そうかと腰を上げた時、仙人の腹からぐぅうぅと鈍い音が聞こえた。

「仙人さん、何か食いたい物あんだろう? 奢るぜ」

 仙人は片目を薄く開いて言った。

「うぬ……。う、うなぎ」

「うなぎか、よし! 角のところで辻焼つじやきが出てたな。買ってくる」

 仙人が蕎介の足首を掴んだ。

「いかん! 辻焼の鰻はみんな江戸後、拙者が食いたいのは江戸前じゃ!」

「何だと!」

 蕎介が呆れるのも無理はない。辻焼のうなぎはそば一杯と同じ十六文だが、江戸の川で取れたいわゆる江戸前の店焼鰻は二百文。庶民には贅沢品である。

 関西では腹開き、侍の関東は腹を切るのを嫌い背開きであるというのは良く知られた話ではある。一度蒸してからたれを付けて焼く調理法で流行したのは宝暦ほうれきの頃と言われる。

 今でこそ鰻と言えば夏の風物詩ふうぶつしだが、元々は晩秋辺りが旬とされていた。

 売れ足が鈍る夏場に鰻を売る為に、平賀源内ひらがげんないが土用の丑の日に鰻を食べるということを広めたという説がある。

 うなぎの蒲焼を手に下げて、蕎介は再び仙人のいる船着場へ訪れた。仙人は蕎介の手から引っ手繰るように鰻を取ると、よほど腹が減っていたのか、あっという間に平らげた。

「うむ、旨かった。少し喉が渇いたな」

「そう言うだろうと思ってよ」

 蕎介は徳利とっくりを掲げ、茶碗を差し出した。仙人は並々と注がれた酒をひと息で飲むと、無言で茶碗を差し出した。

「おいおい、酔っ払わないうちに教えてくれよ」

 仙人は少し考え込んだが、茶碗を置いて姿勢を正した。

「それではお聞かせ致そう」

「おお!」

 蕎介は身を乗り出し、仙人の次の言葉を待つ。

 仙人は突然大声でがなりだした。

「天下が……西と東に真っ二つに割れました。故あって大阪方に味方をすることにあいなった真田左衛門尉さなださえもんのじょう幸村ゆきむら……」

 慌てて蕎介が止めに入る。

「おいおい、そりゃなんだ?」

「なんだとはなんだ、真田三代記ではないか」

「ちょいと待ってくれ。俺は講釈を聞きたいんじゃねぇんだ」

「では、なんだ」

「ふざけるな。こうなったらうなぎを吐き出さてやる」

 蕎介はそう言って、仙人の口を広げようとする。

「待て待て、乱暴致すな。見てはおらぬ、見てはおらぬが男たちの話は聞いた」

「なんだと? 早く言いやがれ!」

 蕎介は仙人を突き放した。仙人は咳き込みながら言葉を続ける。

「お主が見たかどうかを聞いたから見てはおらぬと答えたまでじゃ」

「あんたと禅問答ぜんもんどうをしたいわけじゃねぇんだ。一体何を聞いたんだ」

 仙人の話によると、その晩はあまりの冷え込みのため、船頭から差し入れられた酒を引っ掛けると、早々に菰に入ったらしい。そこで男たちの話を聞いたという。酔っ払いの話などは日常茶飯事で気にも止めていなかったが、この時の男たちは気になったという。

「どうやら、寺に参ろう、と唄っておったな」

「そりゃ、どこの寺だ?」

「いや、そこまでは分からぬ。すまねぇと涙声で語りかけておったな。その後、少し経ってドボンと水音を聞いたが、なるほど殺して突き落とした音かもしれぬな」

「なるほど……。もう少し、詳しく聞かせてくれ」

 蕎介は仙人の茶碗に酒を注いだ。

 

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