第5話


 人足寄場に着くと、番所ばんしょに通された。

 残っていた記録から、永代橋で上がった土左衛門は肥前ひぜん国生まれの竹次郎だと分かった。

 しばらくして、役人が黒く日焼けした男を連れて来た。顔に深く刻まれたしわとすっかり薄くなった髪で酷く老人に見えるが、四十手前ということである。

 この肥前国生まれの吾平ごへいという男は、竹次郎と仲が良く、人足寄場で多くの時間を共に過ごしていた。

 釼一郎が懐から煙草たばこ入れを取り出し、吾平へと手渡す。吾平は躍起やっきなって煙草の葉を煙管きせるに押し込み、火入ひいれへ雁首がんくびを追っ付ける。

 美味そうに煙をくゆらせるのを見届けると、釼一郎は口を開いた。

「竹次郎とは気が合ったのかい?」

 吾平はぺこぺこと頭を下げながら答え、煙草入れを釼一郎に返そうとする。 

 釼一郎は手で遮った。吾平は礼を言いながら、嬉しそうに懐に煙草入れを仕舞う。

「へぇ、儂と生まれが近いもんで、よくお国の話をしましてね。儂と同じぐらいの年が離れた兄貴がいたそうで、兄貴、兄貴と慕ってくれましてね。儂も弟みたいに可愛がっておりました」

「どうして国許くにもとを離れたか聞いているかい?」

 その問いかけに、吾平は首を何度も傾げ、やがて口を開いた。

「何か実の兄に大変なことをしてしまったそうで、それがきっかけになって国許を出ることになった、と聞いております。その時に兄と、生き別れになったようなんです。細かいことは話したく無さそうだったんで、詳しくは知りませんがね」

「なるほどねぇ。他には何かあるかい?」

 釼一郎の言葉に、吾平は少し考えていたが、

「そうそう、竹次郎がここを出るちょいと前のことなんですが、小伝馬こでんま町の牢屋に人手が足りないとかで、手伝いに行かされたんです」

牢屋敷ろうやしきに?」

「へぇ。その帰り道のことなんですが、竹次郎が『見付けた』ってつぶやいたんです。儂が何をだって聞いたんですが、それっきり有耶無耶うやむやにされちまったんですがね」

「『見付けた』か……。それはどの辺りか覚えているかい?」

「ええ、だいたいのところは。あの……、竹次郎のこと、よろしくお頼み申します。こんな身になったのは自業自得じごうじとくかもしれねぇですが。野良猫のらねこのように殺されていいわけじゃねぇはずです」

 吾平の訴えに釼一郎は無言でうなずいた。


 釼一郎と明五郎、蕎介は調べたことをしらせるために、八丁堀はっちょうぼりにある町奉行所まちぶきょうしょ組屋敷くみやしきにある林左内の家に集まることになっていた。

 左内は妻の小糸こいと、母のみつと三人で暮らしている。障子、襖、畳、家の中全てが古惚ふるぼけているが、じゅうぶんに磨きあげられて貧しさは感じられない。

 高価な本に給金を注ぎ込む左内であり、家計も楽ではないはずなのだが、小糸がよほどやり繰り上手なのであろう。

 左内が客を家に呼ぶことも珍しいが、小糸は嬉しいようで、はりきって夜のぜん支度したくをしていた。

 今年五十になるみつは、左内の客人が浪人と町人なのが気に入らないらしく、小糸にぶつぶつと愚痴ぐちをこぼしている。

「まったく、困ったもんだよ。浪人なんぞいくら家に呼んだところで、出世に関わるわけじゃなし。銭が出て行く一方だよ」

「母上様、それがあべこべなんでございます。先ほど棒手振ぼてふりの魚屋がやって来まして、見事な鯛を置いて行きました。ほら」

 そう言って、小糸は鯛の尾を持って、みつに見せる。みつは目を丸くして、

「あれ、まあ。近ごろは浪人も羽振りがいいのだねえ。おかしら付きの鯛なんぞ、しばらくぶりだねえ」

 と、みつが喜んでいると、左内が台所にやってきた。

「小糸、どうしたのだ、その鯛は?」

 当然、左内も林家の懐事情をわかっている。客が来るからといって、鯛を気軽に買える暮らしではないはずである。

 小糸は嬉々ききとして答える。

「小谷釼一郎様が、魚屋に頼んだそうですよ」

 左内は眉間に皺を寄せ、厳しい眼つきになった。

「いつも言っているだろう。付届つけとどけは断れと。いくら釼一郎殿でもこれはいかん」

 奉行所の同心の多くは給金よりも、付届、袖のそでのしたといった贈物で稼いでいたという。時に見返りとして、目こぼしを期待される。いわゆる賄賂わいろであろう。左内は清廉潔白せいれんけっぱくで、たとえ親しい仲でも杓子定規しゃくしじょうぎに金品の受け取りを嫌っている。

 小糸は口元を袖で押さえ、クスリと笑った。

「なにがおかしいのだ」

 左内は腹立たしそうに問い詰める。

「釼一郎様は、あなた様の気質をわかってらっしゃる。あの鯛は家への贈物ではございません。いらっしゃる皆様がご自分たちで食するためなのだそうです」

「なに?」

 左内の片眉が上がった。

「そこにあるお酒も」

 小糸が指し示す先には、角樽つのだるが二つ置かれている。

「うむむ」

 左内は言葉が出なかった。もちろん、釼一郎が林家の財政事情を承知しての気遣いであることは間違いないだろう。しかし、そもそも今回の件は、左内から依頼した話なのである。釼一郎たちが用意した酒をとがめることなどできようがなかった。

「なんだ、あたしたちの分はないのかい」

 みつが残念そうに鯛を眺める。

「母上様、半身は場所代として、うちにとのことですよ」

 小糸がそう言うと、みつはお歯黒はぐろの口を開いて満面の笑みを浮かべた。

「良い家来けらいを持って、母は嬉しいですよ」

 左内は眉間に皺を寄せ、声を荒げた。

「母上! なにを仰います! 釼一郎殿は家来などではない!」

「……あら。家来じゃないのかい?」

 みつは悪びれる様子もない。左内は咳払いをして、言葉に詰まりながら答えた。

「釼一郎殿は……。私の友です」 

 

「じゃあ、あの土左衛門は竹次郎という名だったんですか?」

 膳に並べられた鯛の刺身を口に入れながら、蕎介が釼一郎に訊ねる。釼一郎はうなずいた。 

肥前ひぜん国の生まれのようですね。竹次郎は兄に不義を働き、家を捨てた」

「肥前の竹次郎か……。竹次郎が罪を犯したのは江戸。肥前の手がかりを探すといっても、広すぎるな」

 左内がたもとに手を入れ、腕組みをしたまま唸る。釼一郎は左内の猪口ちょこに酒を注ぎながら言った。

「竹次郎は小伝馬町の牢屋敷の帰り道で何かを見つけたそうで、明日にでも牢屋敷への道を探ってみますかね」

 左内が首肯しゅこうする。

 蕎介が箸を置き、咳払いを一つして、話し始めた。

「では、俺の方の話なんですが……」


 蕎介の報告をひと通り聞いて、釼一郎は満足気に顎をさすった。

「なるほど、竹次郎とその旦那は兄弟だったのか」

 釼一郎の良い反応に、蕎介も話に熱がこもる。

「へえ、女中の話ですと、兄さんと呼ばれても嫌な顔はしていなかったようですし、酔っぱらった竹次郎を介抱かいほうしていたようですよ」

「その後、両国橋を歩いて帰っていった。その先で竹次郎は殺されたんでしょうね」

「ええ、明日から吉川町側を探ってみます」

「頼みます」

 釼一郎はそう言って、蕎介に酌をする。蕎介は盃に口をつけようとして思い出した。

「そうそう、竹次郎は相当に酔っ払っていたそうで、『おらを覚えているか?』と何度も繰り替えしていたようです」

「おら? 儂とか俺とかのおら?」

 釼一郎が訊き返す。

「そう……だと思いますがね」

「本当におらと言ったのかい?」

「うーん、それははっきりとはわかりませんね」

「ふーん。その旦那は兄とは認めていたのなら、おらを覚えているか? と聞くのは妙だね」

 釼一郎は腑に落ちないでいる。

「確かに……。……でも、酔っていたようですからね。酔っ払いは理屈に合わないことは言いますよ」

 蕎介は特に気にかけていない様子である。やりとりを聞いていた左内が閃いたように口を開いた。

「待て、それは……おらんだ仮名かなのことではないか? 女中がなにやら紙を拾ったのであろう? その紙におらんだ仮名が書かれていたかもしれぬな」

「なるほど、おらんだ仮名を覚えているか……。阿蘭陀おらんだと関係が深い肥前ならありそうですね」

 釼一郎も左内の考えに賛同する。左内はしかめっ面で唸った。

「女中が捨てた紙が見つかればはっきりするのだが……」

 豊川屋の女中に手を出したと誤解され、下男に脅された蕎介は、渋い顔をしている。

「豊川屋には当分近づきたくはねぇんですがね」

「女中を泣かす色男ですか」

 明五郎が冷やかす。

「とうとう明五郎さんにも馬鹿にされちまった」

 蕎介が悔しそうに酒を煽ると、一同が哄笑こうしょうした。

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