第3話

 北町奉行所きたまちぶぎょうしょ同心どうしん林左内はやしさないは死体を調べる検使けんしとしての役目を負っている。人体の探究たんきゅうが左内の生きがいであり、職務以上の熱心さで死体を調べ上げ、状態や傷、死因などを事細かに書き記している。

 だからこそ蘭学らんがくを学び、死体に詳しい釼一郎に一目いちもく置いており、検死で気になることがあると釼一郎にも相談をしていた。

「どうだ? お主の見立みたてを聞かせて欲しい」

 すぐには答えずに、釼一郎はじっくりと死体を眺めている。

 土左衛門どざえもんというと腐敗が進んでいることが多いが、昨日からの冷え込みのおかげか、死体の傷みは少ない。

 死体を注視したまま、釼一郎は左内に問いかけた。

「その前に、どうしてこの仏が気になっているんです?」

「うむ。話しておいた方が良いかもしれぬな。お主、森田虎吉もりたとらきちを知っているか? 虎吉一家と言った方が分かるか」

「虎吉一家? ああ、最近縄張りを広げている侠客きょうきゃくですね?」

 釼一郎は岡っおかっぴきの蕎介から虎吉の話を聞いていた。

 元々、上州じょうしゅうを縄張りにしていた一家だったが、諸大名の人夫を都合する人入れを取り仕切ることで次第に力をつけ、江戸にまで影響力を拡大しているのである。

 何しろ、ゆすり、殺し、かどわかしなど強引な手口をいとわない荒っぽいやり方で、敵対するやくざを次々と傘下に置いている。

 そのため内藤新宿を仕切る剛三ともいざこざがあり、蕎介も虎吉一家の様子を探ったりしているらしい。

「近頃の殺しの多くは、虎吉一家が仕掛けているようなのだが、どうも尻尾が掴めぬ」

 苦虫を噛み潰したような顔で、左内は言葉を続ける。

「死体を細く調べて奴らの手口を探れと言うのが、お奉行からのお達しなのだ。そういう訳で、殺しがあると一つ一つ死体を調べているのだ」

「なるほど。で、左内さんは虎吉一家の仕業しわざだとお考えで?」

「いや、虎吉一家の殺しはほとんどが刃物で一突き、今度の殺しは首を絞めておる。おそらく別物であろう」

「この仏はどこで見つかったんです?」

 仏を探りながら、釼一郎が左内に問い掛ける。

「永代橋の橋桁に掛かっているのを、船頭が見つけてな。すぐに引き揚げたらしい。人相にんそう書きも済ませた」

 この年、文化四年、永代橋は崩落事故を起こした。その工事が未だ終わらず、橋渡しの舟が行き来している。そのことも、死体にとって運が良かったと言える。

 冬場でも三日も経てば顔から腐敗が始まるが、腐敗が進んでいないことから、釼一郎は一日も経っていないとにらんだ。

 水に溺れて死んだのであれば死体は水に沈むが、絞め殺された後に投げ入れられたのであろう。

 元の時代に記された無寃録述むえんろくじゅつという検死の手引きがあり、江戸時代でもこのぐらいのことは分かる。

 死体の首にはくっきりと跡が残っていた。

「首を縄か紐で絞められたんですね。それにしては、苦しんだ様子もなくなんとも穏やかな……」

「そうなのだ。おそらく後ろから首を絞められているが、あらがった様子もない。そこも気になっている。酔っていたからなのか」

 人は首に巻きつけられると必死に外そうとするはずであり、皮膚にひっかき傷が残る場合が多い。苦悶くもんの表情を浮かべた、ひっかき傷のある死体を左内は数多く見ていた。

 釼一郎は左内の意見に相槌あいづちを打ちながら検死を続ける。

「日に焼けているな。職人、いや人足にんそく上がりといったとこですね。うん? 入墨いれずみがあるな。咎人とがにんですかね」

 左内が大きくうなずく。

 江戸時代は、罪を犯すと身体に入墨を入れられた。入れる箇所、入墨の図柄は藩によって異なっている。

 紀州藩きしゅうはんは腕に悪、芸州藩げいしゅうはんでは三度罪を犯すと額に犬の文字を入れられた。辱めを与え、再犯を防ぐつもりだったのであろう。

 仏の左腕の肘に、二本の入墨がある。それは江戸で罪を犯したことを意味した。

「それにしてはなかなかの仕立ての良い物を着ているのだ。見つかった時は、無一文。身に付かない銭を手に入れたのを誰かに奪われたか」

 寛政かんせい二年、火付盗賊改方ひつけとうぞくあらためかた長谷川宣以はせがわ のぶための進言で石川島に人足寄場が作られた。これは無宿人むしゅくにんや、刑期を終えた浮浪人らを更生を目的に収容した施設である。

 入墨がある咎人なら、人足寄場に居た可能性は高い。

 釼一郎は、死体の指先を注意深く観察している。

「おや、爪先に何かこびり付いてるな。何だろう?」

 伸びた爪先には、黒く爪垢が溜まっているが、その中に白い塊がこびり付いている。

「……ろう?」

「うん? それには気がつかなかったな。確かに蠟だ」

 人間の身体は死んで時間が経つと白蠟化するが、この仏は死んでから短い。 

 また、江戸時代の蠟燭ろうそくはとても高価など物で、庶民が手に入るものではなかった。

「左内さん、腹の中を見てみませんか? 食った物から何か分かるかもしれない」

「うむ、そうだな」

 左内は同意した。

 死体の腹を開け、胃の中を調べた釼一郎と左内は顔を見合わせた。

「……肉か」

「おそらく、両国辺りの山くじら屋で食ったんでしょうね。……左内さん、この一件、儂に手伝わせてくれませんかね。ただの土左衛門じゃなさそうだ」

 釼一郎の事件に首を突っ込む気質は、抑え込めそうになかった。

「すまんがそれを当てにしていた。咎人の土左衛門を細かく調べるほど、奉行所も人手が余ってるおらぬのだ。もし、大きな話になりそうであれば、こちらで引き受ける」


 蕎介は左内が記した人相書きを手に、両国橋を東に渡った向こう両国で聞き込みを行っていた。

 土左衛門の腹を開くと中から肉が出てきたのであるから、発見された永代橋の川上にある両国橋の山くじらの店に目星をつけたのである。

 蕎介の聞き込みはすぐに目当ての豊川屋へとたどり着いた。

 江戸時代の人相書きは、背格好や、服装などの人物の特徴を箇条書きにしたもので、人面を絵で描いたものではなかった。それでも、男の振る舞いと不釣合いな身なりが、豊川屋の女将にも女中にも不自然に映っており、記憶に残っていたのであろう。

「じゃあ、そのどこかの旦那と一緒だったのかい? その旦那には見覚えはないのかい?」

 蕎介は女中に優しい声で問い掛ける。

 女中は困ったように、もぞもぞと呟いた。

「いえ、見覚えはございません。女将さんにも尋ねてみたんですが、初めてのお客様だったようです」

「駕籠は呼ばなかったのかい? 旦那なら歩いて帰りはしないだろう?」

「それが、お連れ様の方が酷く酔っておりましたので、酔い覚ましに歩いて帰るからと」

「店に来た時は?」

「知らぬ駕籠です。この辺りの駕籠ではないと思います」

 その旦那は足がつかぬように気を遣っているのだろう。駕籠屋を当たっても手がかりは掴めそうにない。

 蕎介は言葉を続けた。

「二人は顔見知りかい?」

「はい、顔見知りだったような……。そう言えば、男の方は旦那様を見た時に兄さん、と言ったような気がします」

「お! 兄弟だったのか! 他には何か気になることはなかったかい?」

 蕎介は興奮した。女中は困惑したように眉をひそめた。

「……その男が酷く酔った時に、旦那様に向かっておら……を覚えているか? と……」

「おら?」

「確か……。その男は何度か問い掛けたのですが、旦那様はあしらうように覚えていないと」

「ふうん。酔っ払って手を焼いていたんだな。それから、他にはないかい?」

 女中は目を伏せてしばらく考えこんでいたが、上目遣うわめづかいに蕎介を見た。

「あと、何か紙が落ちていて……」

「紙? どんなだい?」

 蕎介の目が輝く。

「良い香りがする綺麗な紙だったんです。何か字が書いてあって」

「字? それは何て書いてあったんだい?」

「それが……、あたし字が読めなくて……。捨ててしまったんです」

「捨てた!?」

 蕎介は素っ頓狂すっとんきょうな声を出して、女中の肩を掴んだ。

「だって、そんな大切なもんだとは思わなくて」

 女中は今にも泣きそうになっている。蕎介は慌てて肩から手を離し、女中をなだめる。

「す、すまねえ。おめえが悪いわけじゃねえんだ。泣かないでもいいんだから、……な」

 蕎介の言葉で、女中は目頭めがしらを押さえてうつむいた。蕎介は優しく肩に手を置く。

「なあ、泣くことはねえって」

 そこへ、がっちりとした下男げなんがやってきて蕎介をにらんだ。

「おめえ、ひょっとして手を出しただか?」

 蕎介は目を見開いて、必死に弁解する。

「ちょ、ちょっと待て、ま、間違いだ。俺は……」

「早く出ていかねえと、この手斧ておのでおめえの頭をかち割るぞ」

 下男が手斧を掲げたまま、どすをきかせて蕎介に近寄る。蕎介は苦笑いを浮かべながら後ずさりをして、下男から距離を取ると一目散いちもくさんに逃げ出していった。


 

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