第四章 君がいた③
それから楓はずっと私との思い出話を語ってくれた。私も色々と話したいことはあったが、こんな状態なので、聞き役に徹した。
「そう言えば百合、あのときのこと覚えてる?」
ふいに、思い出したかのように楓が笑った。
「……何?」
楓はもったいぶるかのように口の中で小さく笑う。そんなことをされると余計気になってしまうじゃないか。
「私が初めて百合のライブに行ったときのこと」
「あぁ」
彼女が初めてライブハウスに足を運んでくれたのは、私がラスト・シガレットに正式加入した後のことだった。
当時は私が加入したことで起こった議論のこともあり、客入りはお世辞にもあまり良いとは言えなかった。と、言ってもそれはメンバーから見たらと言うことで、私からすればその日の客入りでさえ自分が想像しているよりも遙かに多かったのだが。
確か、柚子と楓が仲良くなったのもこの日だった。柚子と私は軽音部の友人を介して前から仲が良かったけれど、このときの二人はまだ知り合ったばかりということもあってか、話していてもどこかぎこちなかった。それが今では休日などは三人連れだって、どこかに出かけたりする仲になっているのだから不思議なものだと思う。
「私、それまでライブハウスなんて行ったことなかったから、どんな格好で行けば良いのかとか全然分からなくて、百合に何度も電話したんだよね」
そう言えばそうだった。最初は制服でいいの? なんて真剣な口調で言われたものだから、思わず笑ってしまったんだった。
結局、楓はよく分からない柄の七分丈のシャツと、ダメージ加工の施された色褪せたジーンズで訪れた。そんな格好今までしたことなかったじゃないと問いかけると、売店で買ったのであろうラスト・シガレットのロゴが描かれた帽子を目深に被って、自分なりに調べた結果だとふてくされたように言っていた。
遅れてライブを見に訪れた柚子が楓を見るなり「楓ってそんなキャラだっけ?」と目を丸くしてしたっけ。
「普段親の影響でクラシックとかしか聞かなかったからさ。初めて百合にラスト・シガレットのCDを渡されたとき軽くショックを受けたんだよね」
「えっ……」
それは悪いことをしたと沈みかけた心を、楓が「違う違う」と笑って解してくれる。
「良い意味でショックを受けたの。世界にはこんな激しい音楽があるんだって。それも、ただ激しいだけじゃなくて、自分との葛藤で生まれた痛みとか苦しみとかを叫ぶ音楽があるなんて知らなかった」
そういうことかと、安心して目を閉じる。
「百合のおかげで自分の知らない世界に触れることができた。正直バンドの音楽ってラスト・シガレット以外に聞いたことは数えるぐらいしかないけど、それでも確かに自分の視界が広がったんだ。それはライブハウスで聞いた百合たちの演奏もそう」
ステージの上から見た、楓を思い出す。最初は呆然と後ろの方からこちらを眺めていたが、曲が進むに連れて少しずつ前に近づいて来ていた。そして、私が気が付いたときには前方でもみくちゃになって暴れている他の観客に混ざって、楽しそうな表情で踊っていた。
曲の合間に訪れる、残響の中で揺れる静寂の中で楓に視線を向けると、ぱっちりと目が合った。その瞬間、彼女は心の底から嬉しそうににっこりと笑うと、私に大きくピースサインを向ける。私も何かしようと思ったものの、すぐにドラムがカウントを取り、次の曲へと移ってしまう。
次の曲も相変わらず激しくて、細身の彼女はオーディエンスの動きに流されるように消えてしまう。それでも、ふと顔を上げるといつの間にか戻ってきていて、私はそれが何だか面白くて笑ってしまった。
「終わっ、た……後、楓……笑っ……てた、よね」
「うん……だって、本当に楽しかったんだ。空間と自分が一緒になる感覚って味わったことなかったから」
目を開くと、楓があのときのことを思い出したのか、楽しそうな表情を浮かべてこちらを見つめていた。
演奏が終わると、与えられた楽屋でメンバーと反省点を軽く話し合った後、楓と柚子の待つ防音扉の向こうの休憩室に向かう。どこにいるのかときょろきょろとあたりを見渡すと、満面の笑みを浮かべて何やら話し合っている二人の姿を見つけることができた。
あの二人があそこまで仲良く喋っているのを初めて見たので、不思議なうれしさが心をあたたかくしたことを今でもはっきりと覚えている。
向こうも私に気が付いたのか、二人ともばたばたと走り寄ってくる。私が来てくれたことに対するお礼を言うよりも先に、楓が今日の感想を早口で伝えてくれた。涼しげで、大人しめな雰囲気の彼女があそこまで興奮して話しているのを初めて見た気がする。
「百合と出会ってなかったら柚子とも会ってなかったと思うし、何よりバンドの曲なんて聴かなかったと思う」
ゆっくりと、噛み締めるように楓は言う。
「百合に会えて、本当に良かった。だって、百合と出会えてなかったらきっと、私の人生はここまで楽しくなかった」
絶対にそうだと確信を込めた口調が嬉しくて。私の頬が知らずしらずのうちに緩んでしまった。
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