第三章 私の答え⑯
ベッドに横たわり、目を開く。
すると、見慣れた天井が静かに私を見下ろしていた。私が一人でこの部屋を使うようになる前は姉と二人で使っていた。だが、姉が小学校を卒業する時に私一人の部屋となった。初めて一人で寝るときは心細くて泣いたっけ。なんだか、懐かしい思い出にまた涙を流しそうになる。
そういえば私が学校で嫌なことがあったとき、絶対に姉は私より早く帰っていた。そして、私の顔を見ると何も言わずに私の横に来て、寄り添ってくれたっけ。やっぱり姉も不器用だけれど、とても優しい人だな。そんなことを考えていると、またがちゃりと扉が開く音が聞こえた。
「元気かー」
姉がビールと何かしらのおつまみを持って現れた。下着の上にシャツを着ただけという、父が見たらきっと「だらしない!」と怒るようなラフな格好だ。この人は本当に……。本当にタイミングのいい人だな。
「何泣いてんだよ」
姉はそう言いながらベッドの脇に座ると、ぷしゅっと爽快な音を立てながらプルトップを起こした。姉はそれから何も言わずに私の横でビールを飲み続けていた。
普段ビールなんて飲まないくせに。お酒が、苦手なくせに。
「なあ」
姉は私を見ずに呼ぶ。私は姉に顔を向けるだけで返事はしなかった。彼女はそれでも問題ないのか言葉を続ける。
「百合はさぁ」
姉はそこで言いにくそうに言葉を句切ると、自分の髪を片手でわしゃわしゃと乱す。そして、決心が着いたのか、言葉を続けた。
「百合は……アタシの妹で後悔してないか?」
私はその言葉に思わず吹き出してしまう。
「わ、笑うなよ!」
姉は顔を真っ赤にして抗議するが、すぐに真剣な表情になる。
「姉らしくない姉でごめんな。アタシ、百合の前では強がってばっかりでさ。不器用で情けなくて……。こんな姉で、ごめん」
ぽつりと、寂しそうな声が静かな部屋に落ちた。
そんなことないよ。そう伝えるために私は首を左右に振る。
「私……。お、姉ちゃん……が、お姉、ちゃんで……良かったよ」
私の言葉を聞き届けると、姉は何も言わずに私を抱きしめた。不器用な姉らしく、それはたどたどしいものだったけれど。それでも、彼女のあたたかさは、しっかりと伝わってきた。
「そう言えば、百合さ。アタシがずっと使ってるブックカバーをどうしたのかって聞いたことがあったよな」
「うん……」
彼女の抱きしめる力が、少しだけ強くなる。
「あれな。百合がくれたんだよ。アタシが小学校四年生のときにさ。それが、嬉しくて……嬉しくてさ……」
姉は涙で震える声を誤魔化すかのように鼻を啜り上げる。
「あれな。アタシの宝物なんだ。これからも、ずっと」
「うん……。ごめん、ね……思い出せなくて」
「良いんだよ、それで。大切な思い出なら、アタシが覚えておけば良い。例え世界中の誰もがそれを忘れても、アタシだけが覚えておけば良いんだ」
そっと、姉の背中に手を回す。それに気が付いたのか、姉はくすっと耳元で笑った。
「また、プレゼン……ト、するっ、から」
「……バーカ」
姉は無理に笑って私から離れると、ゆっくりと立ち上がる。姉の頬を伝う涙が、部屋の光に反射してキラキラと光っていた。
「アタシさ。百合に生きて欲しい。こんなこと本当は言うべきじゃないとは思うよ。でもさ、誰かを犠牲にしてでも、アタシは百合に生きていて欲しいんだ。それで……また一緒に色々話をしたいんだ……」
姉は強く鼻を啜り上げる。
「百合は、アタシのたった一人の妹なんだ。だから……生きて、欲しいよ……」
姉は振り返ると、自らの唇を強く噛んだ。ずっと私の前で強がり続けていた彼女の、心からのわがまま。
「ごめんな……。でも、これがアタシの、姉としての気持ちなんだ」
手の甲で強く目をこすると、無理矢理な笑顔を浮かべた。
「アタシの妹が百合で良かったって。アタシは心から、そう思ってるよ」
彼女は名残惜しそうに扉まで行くと、静かに電気を消す。
「おやすみ百合。また、明日な」
姉はそんな別れの挨拶を告げて、部屋を後にした。
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