第三章 私の答え⑨
「同じ小学校、中学校、高校に進学して、これから先もずっと一緒にいるものだと思っていたよ。でも、彼女と自分とは決定的に違うことがたった一つだけあった。本当に些細な違いだけれど、それでも、確かな違いが」
先生は鋭い視線を私に向ける。分かっているだろ? と、確かめるように。
「人間と、吸血鬼……」
「そう……。自分は吸血鬼で、彼女は人間だった。ただ、それだけ」
自らの存在を刻みつけるかのような先生の言葉に、思わず俯いてしまう。そう、本当にそれだけ。それだけの違い。感覚が鋭いといってもそれは誤差の範囲で、実際同じぐらい身体が丈夫な人間だっているし、耳が、目が、鼻が良い人間もいる。
「自分は気が付けば彼女を愛していたんだ。愛したくなど、なかったのに」
先生は痛々しげな表情を浮かべて私を見た。
「君も、同じなのかな?」
ゆっくりと、頷く。そう私だって愛したくなんかなかった。ずっとずっと、一緒にいれるだけで良かった。なのに、どうして――。
「正直、愛なんてものはあやふやで、自分にははっきりとは分からない。世界中に溢れている恋愛ドラマ、映画、小説、漫画、歌。そのどれを見ても読んでも聴いても分からないんだ。だって、どれも自分とは違うじゃないか。でも、それでも血だけは。吸血鬼としての本能だけは愛というものを知っている。それが幸福なのか、不幸なのか。自分には分からないがね」
そう言って、彼女は長い息を吐き出す。
「吸血鬼は普通の人間に比べて数が多いわけじゃない。だからこそ、同じ吸血鬼の手助けをしたかったんだ。特に自分や君のように、最後の最後まで足掻き続ける吸血鬼をね。罪滅ぼしみたいで、みっともないだろ?」
それから私の目を見つめ、形の整った眉を下げて悲しげに笑った。
「どうして吸血鬼は、初めて愛した人間を喰らわなければならないんだろうね」
それから、「理不尽だ」と冷たい声で独りごちた。
先生はどこか憂いを含んだ視線をここではない何処かに向ける。それは過去の自分になのだろうか。私も先生の見つめる虚空に視線を向けたが、私の目にはいつの間にか黄昏時に変わっていた空しか映らなかった。
「すまない。自分の身の上話などしても何のヒントにはなりはしないね。時間は常に進むのだから。立てるかい?」
先生は静かに立ち上がると、私に右手を差し出した。私はその手を掴むと、ゆっくりとだが立ち上がることができた。
「そのままじゃ一人で帰れないだろう。送ってあげよう」
先生はそう言って優しく微笑んだ。先生の言葉に頷くと、先生は私に肩を貸しながら一階まで降りてくれる。そして、彼女の車へと私を連れて行ってくれた。なんとか私を助手席に座らせると、先生は何かを思い出したかのように口を開いた。
「そう言えば君の荷物は君の友人二人が保健室まで持って来てくれていたんだった。ここで待ってて」
先生はそれだけ言い残すと、白衣をひるがえして足早に保健室へと向かった。先生には本当に世話になりっぱなしだな。そう考えると、口から自然と重い溜息がこぼれた。
数分で先生が帰って来ると、運転席に座りながら、私に「待たせたね」と言って鞄を手渡してくれた。結局学校に来たにもかかわらず、少ししか授業を受けてないことに気が付くと、私は苦笑いを浮かべてしまう。
「君の家はここで合ってる?」
先生が私の情報が記された名簿を指さしながら尋ねる。
「それで、合ってます」
先生はそれだけ聞くと、無言で車を発進させた。そして、ある喫茶店が見えてくると、先生は視線を向けずに、言葉だけで私に尋ねる。
「あそこの喫茶店に行ったことは?」
視線だけをそちらに向けると前に楓と立ち寄った喫茶店があった。
「二度ほど……。一度は友人と行きました」
先生は一瞬だけ私を見て、すぐに前に向きなおる。
「じゃあ、あそこには『本日のケーキセット』なるものがあるのは知ってるだろう? 自分はあのメニューには縁がなくてね。いつ頼んでも運ばれてくるのはチーズケーキなんだ」
先生はそれを思い出したのか楽しそうに笑った。
「私が注文したときは、モンブランでした。程よい甘さでとても美味しかったですよ」
素直に感想を伝えると、先生は「羨ましい」と言ってまた笑った。
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