第三章 私の答え⑥
私は家でしばらく心が落ち着くまで待った後、ゆっくりと学校へと向う。
家を出るときに時間を確認すると、時刻はすでに十時を回っていた。学校には十分、十五分で着くものの、さすがにこの時間から行っても遅刻は確定。いつも楓と一緒に登校していたので、これが学校生活で初めての遅刻になる。
学校に到着するやいなや、職員室には向かわず、真っ直ぐ保健室へと向かう。
扉を数回ノックすると、中から「どうぞー」と先日聞いたばかりの声が聞こえてくる。
「こんにちは」
私の声を聞くと、先生はこちらを見ながら「やはり君か」と全て分かっているかのようにぽつりと呟いた。先生は白衣からチョコレートを取り出すと、私に目だけでいるか? と尋ねてくる。私は首を振ることでそれを遠慮すると、ゆっくりと口を開く。
「……あの」
先生は私の言葉を片手を挙げることで遮ると、ソファに座るように促した。
「君が聞こうとしていることは分かる。あの飴玉のことだろう?」
私は無言をもって先を促す。
「まあ、簡潔に言うと、あれは睡眠薬と自分たちの感覚を麻痺させる薬を混ぜた物と思って貰えればいい。ただ、人間より丈夫な吸血鬼の感覚を麻痺させるほどの薬だ。正直あまりオススメできるようなものじゃないよ」
私はポケットに入れたままの飴玉を、服の上からその存在を確認するように握る。
「あれは、先生が作ったんですか?」
先生は少し思案した後、ゆっくりと口を開いた。
「確かにあれは自分も制作に携わった。だが、あれは自分以外にも数人の吸血鬼と共に作ったものだから、半分正解とでも言ったところかな」
「どうして……」
「作ったのか。だろう?」
先生が私の言葉を予想していたかのように言葉を紡ぐ。
「簡単だよ。自分のように、最後の最後まで悩み続ける吸血鬼を手助けするためさ」
私はその言葉にはっとなると、今までふらふらとさまよわせていた視線を、先生に集中させる。
「言っただろ? 自分が初めて愛した人間は男性ではなく女性だった。それも自分の大親友。君ももう聞いたかもしれないが、自分たち吸血鬼は初めて愛した人間の魂を喰らわなければ消滅してしまう。だからこそ、自分は悩みに悩んだよ」
彼女はそこまで言うと自虐気味にふっと小さく笑った。
「結局はどう転んでも自分のエゴでしかなかったよ。自分が彼女の魂を喰らえば、自分だけは彼女を覚えていられる。反対に彼女を喰らわなければ、自分はこの世界の誰からも忘れられてしまう。彼女を含めてね。ならばこの気持ちを優先しようと思って、自分は彼女の魂を喰らうことに決めた」
先生の悲しそうな。そして、どこか諦めたような顔を見ていると、こっちまで先生の痛みが伝わって来そうでさっと目を逸らした。
「最後を決めるのは君以外の誰でもないんだ。最後の最後まで考え抜くといい」
先生はそう言うと、私の近くまで来て、頭をくしゃりと撫でた。
「あぁ、そうだ。これだけは言っておくよ。さっきも話した通り、その薬は大変強力な代物だ。だから、麻痺させることができる分、薬が切れた時の反動も大きい。だからと言って、連続して服用しようなどとは思わないことだ。もしそんなことをしてしまえば、いくら魂を喰らって生き延びようとも、その薬の残す影響力だけはいくら吸血鬼とは言え、回復することはできない。いいね?」
私はポケットに入ったもう一つの飴玉をぎゅっと握ると、強く頷いた。先生はそんな私を見て優しく微笑む。
「あの……ありがとうございました。おかげで少し答えが見えたかもしれません」
先生は私の言葉を聞くと、少しだけ目を細めて「そうかね」と答えた。軽く頭を下げ、そのまま保健室を後にしようとしたら後ろから声が聞こえて来た。
「そうだな。今度自分とお茶でもしに行こうか。十八歳の誕生日を迎えると、君も自分たち吸血鬼の世界では成人だからね。大人になった君とまた会えるのを、楽しみにしているよ」
私は先生の方を振り向くと、今度は深々と頭を下げる。
「本当にありがとうございました」
私はそれだけ言い残すと、今度こそ保健室を後にした。先生が今どんな顔をしているのかは分からない。先生の顔を見ると涙を流してしまいそうになった。きっと、先生はもう私の答えに気がついている。だからこそ、あんな言葉をかけてくれたのだろう。
美人で記憶力が良くて、その上鋭いなんて同性の私でさえも憧れてしまう。あぁ、それに加えスタイルも良いのか。本当に完璧だな。『神は二物を与えない』と言っていたが、先生を見ていると二物以上なら与えてもいいって意味に思えてしまう。私はそんなことを考えて一人で笑うと、自分の教室に向かって歩き出した。
私が選ぼうとしていることは、はたして本当に正しいことと、言えるのだろうか。
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