第三章 私の答え④

「……続き?」


 母は神妙な表情で頷く。


「私たち吸血鬼が初めて愛した人の魂を喰らうと、その人の記憶が喰らった吸血鬼以外からは消えるってのはもういいわよね?」


 母の質問に、私は肯定の意味を込めて二、三度頷く。


「それじゃあ、魂を喰らわなければどうなると思う?」


 村上さんと話した昨日のことが思い出される。一晩を過ぎた今も、答えを思いつくことはできないでいた。


「……分からない」


 私が正直に答えると、母はゆっくりと目を閉じた。


「百合が……消えるの……」


 その言葉に、一瞬私の息が止まったような心地がした。


「――え?」


 やっと絞り出した声は酷く震え、掠れていた。消える? 私が?


「この話は本当はしたくなかったんだけどね」


 ゆっくりと開いた母の瞳は、もう様々なことを諦めてしまっているような。そんな寂しげなものだった。


「でも、さすがに見ていられなくて……」


 そういう母の瞳には涙が溢れんばかりに溜まっていた。


「でも、その吸血鬼が消えてしまったらみんなの記憶から消えるから、本当かどうかは分からないんだけどね」


 そう続けた母の言葉は、私を安心させるためだと分かっているので、私はどうしても違和感のある笑顔を浮かべることしかできなかった。悲しい顔も怒った顔も。きっと、どんな顔をしても、似たような表情になってしまうだろう。


 吸血鬼は十八歳になると、生まれて初めて愛した人間の魂を喰らわねば消滅してしまう。これは私が生まれるよりもずっとずっと前からそうなのだろう。だから、私の両親や姉。それに今生きている十八歳以上の吸血鬼みんな初めて愛した人間を喰らった。自分が、生きていくために。


 母親が曖昧な。でも、どこか優しさを含んだ笑みを浮かべたまま「でもね」と続けた。


「それでも、生きることを選んだからこそ。私は百合に会えた」


 その言葉に知らず知らずのうちに涙が頬を伝う。母は私に涙を拭くようにタオルを手渡すと、ゆっくりとした動作でトースターに食パンをセットする。


 その涙を止めるために、こんがりと焼けた食パンに齧り付くが、涙は絶えず流れ続ける。まるで、決壊したダムのように溢れ出て、止まることはなかった。


「無理しなくて、良いからね……」


 母は私の背中をゆっくりとさすってくれた。布越しに伝わる母の温度は、心地の良いあたたかさだった。


「お姉ちゃんは……どうだったの……?」


 ふと、気になったことを尋ねる。四歳しか年が離れていないのだから、姉が十八歳を迎えるときは覚えていてもいいはずだ。しかし、いくら記憶の糸をたぐり寄せても、姉が私のように苦しんでいる姿を思い出せそうになかった。それに、この苦しみは吸血鬼全員が通るはずのもので、例外があるとは考えられない。


「お姉ちゃんは……」


 母はそこまで言って、口をきつく結んだ。それから、何かを思案するように遠くへ視線を投げ、ゆっくりと口を開いた。


「百合は覚えてないかも知れないけどね、百合が小さいときにお姉ちゃんと二人でお使いに行ってもらったことがあるの」


「えっ……」


 思ってもなかった話に、私は困惑してしまう。でも、母がこのような話をするときは決まって何か大切なことを伝えるときにしてくれるものだと知っていたから、私は黙って目を閉じた。


「あれは確か、お父さんの誕生日だったなぁ」


 懐かしさを含んだ声音でぽつりと言葉を紡いでいく。


「百合ったらまだ幼いのに、お父さんの誕生日プレゼントを買いに行くんだーって聞かなかったのよ?」


「うそっ」


 私の驚きに反して、母は楽しそうな笑い声を上げる。


「ほんとほんと。それでお姉ちゃんと一緒にお使いを頼んだんだから」


 母はそう言って笑うと、おもむろに立ち上がり、部屋の隅に置かれている本棚から一冊の太いアルバムを持ち出してきた。それをぱらぱらとめくり、目当てのページが見つかったのか、私の目の前に広げた。


 母の指さした先を見ると、大泣きしている姉と、きょとんとした表情でこちらを見つめている幼い私が映っていた。


「百合ってお姉ちゃんに虐められたことないでしょ?」


 ゆっくりとした動作で頷く。すると、母は嬉しそうに喉の奥で笑った。

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