第二章 飢え⑨
「高西です……」
少し恐縮して答えると、村上さんは視線で「下は?」と尋ねてくる。
「百合です……」
「百合ちゃんか。綺麗な名前だね」
村上さんはそう言って優しく微笑む。名前を褒められたのがなんとなく恥ずかしくて、私はそれを隠すように珈琲を一口啜った。
「それで、百合ちゃんはさ。そんな思いつめた顔してどうしたの?」
「え?」
村上さんの言葉に驚いて、私は危うく珈琲をこぼしかけた。
「ど、どうしてそう思うんですか?」
動揺をたっぷりと含んだ声で尋ねると、村上さんは悪戯っぽく笑いながら「私も女の子だからね」と言った。なんと返そうか迷っていると、村上さんが再び口を開く。
「あれだけ思いつめた顔をしながら歩いてるのを見るとさすがにね。体調ってこともあるとは思うんだけど、それを差し引いても苦しそうだったからさ。なんだか放っておけなくて。まあ、言いたくないなら無理には聞かない。でも、私で良ければ相談に乗るよ?」
私はプリーツスカートの裾をぎゅっと握りしめる。
先日客として訪れ、そして、今日道で偶然ばったり再会しただけの彼女。そんな人物に話していいものだろうか。ましてや彼女は人間で、今の気持ちを話してもきっと信じてもらうことなどできないだろう。いや、もしかしたら高城先生のように、彼女も私と同じ吸血鬼なのではないだろうかと思ったが、村上さんの方から言い出さない限りはこちらから話すことはできない。
「近い人には話せるけど、遠い人には話せないこと。逆に、近い人には話せないけど、遠い人になら話せること。不思議だけれど、そんなことってあるんだよ」
村上さんは楽しそうに、にっと笑う。そして、ゆったりとした動作でエプロンのポケットから煙草のソフトケースを取り出す。だが、一本取り出して口に咥えたところで「あっ」と声を上げた。
「煙草、大丈夫……?」
私は無言で頷くことで大丈夫だとアピールする。それを見て安心したのか、村上さんはソフトケースと一緒にポケットに入れていたのであろう、シンプルなデザインのオイルライターを使って火を点ける。
彼女の口から気持ち良さそうに紫煙が吐き出されると、あたりに煙草特有の野暮ったい香りが広がる。その香りが珈琲の香りと混ざり、独特な匂いに姿を変える。
正直普段は煙草を吸っている人をあまりかっこいいと思わないのだが、村上さんが煙草を吸っている姿は様になっていて、それだけで一枚の絵のように思われた。
「辞めようとはしてるんだけどね。それでも、たまーに吸いたくなってさ。いくら本数は減ってるとしてもあんまり気分の良いものじゃないよ」
そう言って苦笑する村上さんの表情はどこかスッキリとしていて、私はなぜだかこの人になら話してみてもいいかもしれないと考え始めていた。この人は素の自分を私に見せてくれているように思える。だからこそ、そう思えてしまうのかもしれない。
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