第24話


 

 ********

 

 

 どうしよう。

 今、私は困っている。

 だって好きになったらもっと相手がこう、キラキラして見えるんだもの。


「もうどうしたらいいかわかんないんですよぉ!」

「はいはいどうどう…」


 なんて困った声で私を宥めるカーラさんは楽しげに見えた。

 思いは早く伝えたほうが、とか、この気持ちは大事に、とか考えてたけどそれどころじゃない。相手の顔がそもそも見れないんだから。


 図書館に行って、帰ったらケイオスがケーキ買ってきてくれて、いつも通りだ〜…と思ったのに。

 翌朝から全然無理、全然無理だった。余計に拍車がかかって輝いて見える。

 ただでさえ綺麗な顔が、場合によって目の前にあったりして! どうしたらいいかもわからなくなる、私個人としては。


「でもやっと自覚したのねぇ」

「『やっと』ってなんですか!?」

「あはは。いやさ、二人の仲の良さ見てると『姉弟』は無理があるって思ってたのよ」

「そういうものですかぁ…?」


 いつからそう思われてたんだろう、私にはわからない。ずっとケイオスのこと弟がいたらこんな感じかな、なんて呑気な目で見てたし。

 まさか愛とか恋とかそういったことになるなんて!


「そういうものだと、いいんですけど…」


 なんて、そこまで考えて、不意に足元がなくなったような恐怖が心を塗り替える。

 その時になってやっとさっきまでのテンションが落ち着いて。いや違う、叩き落とされた。


 そしてもう一人の私が言う。

 “なんて、甘えてられたらいいのに。”


「…っ」


 少しだけ、少しだけあの時の記憶が蘇る。それだけで体が固まるくらい怖くなって、気持ちが折れそうになって、周りが見えなくなった。

 心臓が強い音を立てている。

 呼吸が、止まりそう。


「!」


 助けて、と心が言って。

 一つ、光が差した気がした。

 その向こうには確かに“彼”がいて、驚いたあまり感覚が帰ってくる。


「楓ちゃん? 大丈夫?」


 カーラさんの声が聞こえる。振り向いて、初めて呼吸をしていることに気づいた。


「…大丈夫、です」


 はっきりしてきた意識で荒い呼吸を整える。

 あぁ、嫌だな。今日だって楽しい会のはずだったのに。どうしてまだこうなるんだろ。


「無理しないで」

「ありがとうございます…」

「…辛いこと思い出しちゃった?」


 そう私に問うカーラさんは、私より悲しそうな顔をした。私にはそれがどうしてかわからなかったけど、どこかで嬉しいと思う自分がいる。


「少し…」

「そっか、そばにいても平気?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「よかった」


 食卓の向かいから、いつの間にかカーラさんが横に来て寄り添ってくれていた。撫でられる背中に安心感がある。

 でも、さっきのはなんだったんだろう。


「…光が」

「?」

「光が、見えたんです」


 ぽつり、ぽつりと話す私の言葉を、カーラさんは黙って聞いてくれた。私の隣に置かれた椅子に座って、静かに。


「いつも“あのこと”を思い出すと暗くて、呼吸ができなくて、心臓の音だけが聞こえるのに」

「…」

「今日は、光が、差して。驚いたあまり帰ってこれました。あれは…なんだったんだろう」

「…」


 カーラさんはまだ優しく背中を撫でてくれる。その中で、ゆっくりと口を開いた。


「…ごめんね、憶測だけど」

「…?」

「きっとその光は、楓ちゃんの『変わりたい』って心に応えてくれた誰かの光じゃないかな、って思うの」

「だれか…」


 確かにあの光の中には“彼”がいて。私はそれに驚いたんだ。


「光の向こうには、誰かいた?」

「…ケイオスがいたんです。だから驚いて」

「じゃあきっと、彼と居たいって楓ちゃんの気持ちが出たんだと思う」

「…」

「新しい一歩になってるってことよ」


 怖くて、苦しいはずなのに。

 今まで散々浮かれてたのに、急に叩き落とされて怖くて、今までが嘘みたいに思えて悲しくて。


 でも光が差して、嬉しいと思った。

 確かにあの感情は温かったから、彼の熱が嬉しいと思ったから、彼がそこにいると思えたことが嬉しくて。


「あたらしい、一歩…」


 言葉を噛み締めた。

 本当にそうだったらいいと思って。


「苦しい記憶は、すぐに整理できないわよね。アタシも似たような経験あるから、なんとなく想像することはできるわ」

「…カーラさん、も?」

「昔少し、ね。でもね、新しい光がくることもあるの。その時はその光を大事にしてあげて」


 新しい光。

 私にとって、ケイオスは新しい光なのかな。

 そうであってほしい。せっかく前向きに好きになれた人だから。


「楓ちゃんはちゃんと前に進んでる。きっと何度だってなかったことに、隠しておけることにしたいと思うだろうけど、それでもいいの」

「…それでもいいんですか?」

「うん。嫌なことが消えるわけじゃないもの。誰にでも話したいことでもないでしょ?」

「それは…そうです」


 ふと、手のひらをみた。それはまだ震えていて、不安に怯えている。それでも呼吸は落ち着いて、怖いことばかり考えないように落ち着いてて…カーラさんの言葉は今の私に似てる気がした。


「でも、悲しいことの何かが変わろうとしてるなら、そこから逃げたらだめよ。それが一番苦しいことでも、それを乗り越えないと結果は出ないわ」

「…できるでしょうか」

「そこだけは、楓ちゃんの気持ち次第かな」


 カーラさんはずっと優しくて、私は未来が不安になる。その時がやってきたら、私は逃げないでいられるのかな。


「自分でちゃんと向き合えてたら、きっと逃げることなんてないんでしょうね…アタシにその感覚はわからないけど、今、楓ちゃんのそばにいることはできるから」

「カーラさん…」


 ふと顔をあげてみたカーラさんの瞳は、酷く悲しいもので、どこか自分では想像できないほどの何かがあったのかもしれないと感じた。

 彼女には、光があったんだろうか。いや…あってほしい。こんなに優しい人の悲しみに、寄り添える誰かがいてほしいと、願わずにはいられなかった。私が今すぐ光になってあげることは、きっとできないから。


「大丈夫よ。楓ちゃんも前に進んでるから」

「…はい」


 やっと肩の力が抜けた気がした。逃げたくてもいいんだって、思えたから。


「落ち着いた?」

「はい…大分」

「そっかそっか、よかった。ごめんね、年増のお節介な話して」

「そんなことないです。気持ち、切り替えられました」

「そっか、えらいわ」


 そう言ってカーラさんは優しく頭を撫でてくれる。何か忘れていた温もりを、一つ思い出した気がした。

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