第21話


 ***

 

 家のドアを開けると見慣れた靴が置いてあった。いつも綺麗に揃えてあるそのスニーカーは彼のものだ。


「ただいまー」


 なんて言うのが当たり前になったな、とふと思った。一人の時は何も言わなかったのに。これが生活の変化なんだと改めて認識する。


「おかえり」


 そう返してきた声はケイオス。さっき考えたことを踏まえても、やっぱり挨拶できる相手が家に居るって良いことだ。

 台所から顔を出したケイオスはお風呂上がりなのか髪が少し濡れている。今日も大変だったのかもしれない。


「どこかへ行っていたのか?」

「図書館行ってた。お隣さんについでで案内頼まれたから一緒に」

「そうだったのか。良い本はあったか?」

「それが聞いてよ。図書館の中で倒れちゃったらしくて、お隣さんに送ってもらってとんぼ返りしたとこなの」


 今日は家の中で倒れないとも言えないので一先ず状況を報告しておこうと話を始めたらケイオスが血相を変えた。


「倒れた!? 何があったんだ!」


 ソファに一先ず荷物を置こうとした私にケイオスが詰め寄ってくる。慌てた私は体の前で両手を広げ「どうどう」と彼を抑えた。


「貧血とかじゃないかな? 結構不摂生な生活してるしさ。あんまその時のこと覚えてないし…」


 笑って誤魔化す。でもそうだよね、私がケイオスの立場だったら同じくらいびっくりすると思う。


「貧血って…心配する」

「ごめん、今日はもう家で大人しくしてるから」


 そう言うとケイオスは深いため息をついて、それから何かに気づいたようにこちらをみた。


「…? 楓は香水を持っているのか?」

「持ってないよ」

「ではこの薔薇の香りは…」

「あぁ、不思議だよね。ずっと残ってるんだけど、お隣さんでもなかったし…身に覚えがなくて」


 でもやっぱりこの香りを嗅いでると何か忘れてるような気がしてしまう。


「…そうか」


 ケイオスは話が進むたび険しい顔をする。何か思い詰めてるようなその顔は私の心を揺さぶって離さない。

 貴方は何を思ってそんなに辛そうな顔をするの?


 きっと訊いても答えてくれない。それでも気になる、気になってしまう。

 ふと気がつけば、あんなに出かけるまでは気まずかった自分の気持ちも心配に移り変わっていた。でもそうだ、いつも彼は私のことで辛そうな顔をする。いつだってこちらと距離を測って一歩向こうから接してくるのに、何かあったら強く心配して、一気に距離を近づけてくるんだ。それがケイオス・アルカマギアという人。


「…ねぇ、ケイオスはどうしていつもそんなに心配してくれるの?」


 言葉は自然と口から出ていた。

 不思議に思う気持ちと、何かを信じたい気持ちがある。それはそう、彼が私を“家族”みたいに思ってくれたらって…そんな気持ち。

 そんなの押し付けだって、わかっているのに。

 ケイオスは私の問いに一瞬目を丸くして、それから優しい表情で口を開く。


「楓はもう俺の家族だ。ここに住まわせてもらってる以上…いやそうでなくても、なにかあったら心配するし、焦りもする。楽しいことは分かち合いたいし、悲しいことは共に背負いたい。俺にとって君はそういう女性ひとだ」

「!」


 少し泣きそうになるくらい、びっくりした。ケイオスの言葉が、きっと都合のいい夢を見ているんだと思えるほど嬉しくて。言ってしまえば都合が良いい、私の望む通りのことなんだけど、心が芯から温かくなった。彼にそう言ってもらえて…確かに心が喜んでいる。


「…そっかぁ」


 思わずにやけて返してしまった。でもこの嬉しさを隠しきれない。

 そしてやっとわかった気がする。人を“好きになる”ってどういうことか。

 きっと家族になりたいって思える暖かさが、一つの答えなんだね。


 それなら、確かに私はケイオスが好き。

 いつも私を見守ってくれる貴方が好き。

 私のことで驚いたり心配してくれる貴方が好き。


 でもこの気持ちをまだ口にはしたくない。もう一度誰かを好きになれたなら、今回は大事に育んでいきたいから。


「私も同じだよ」


 初めて会ったあの時以来、触れることのできなかった貴方の大きな手に触れる。少し冷たいその手は、彼の静かさに似てる気がした。


「私も、ケイオスが悲しかったり苦しかったりしたら分けてほしいし、良いことは二人で共有したい。私にとっても、ケイオスは“家族”になったよ」


 なんて、告白見たいかな…なんて浮かれる私に対して、ケイオスは「ありがとう、嬉しい」と言いつつも嬉しいような悲しいような…複雑な顔をしていた。やっぱりケイオスって声にしないけど顔に出やすいよなぁなんて考えながら見ていると、彼は「あっ」と言って台所に戻っていく。


 何があったのだろうと待っていると、ケイオスは小さい紙の箱を持って帰ってきた。

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