第8話

 粟見夏祭りの翌日の午前十時過ぎ。美世の家の裏庭には続々とお手玉の山が運ばれてきていた。運んでくるのはいつもは畑仕事に駆り出されている軽トラックだ。毎度ながら地域の有志の方々(主におじいちゃんおばあちゃんたち)が無償で協力をしてくれる。晴豊は美世と一緒にトラックの荷台からお手玉の山を運び出すのを手伝った。修とささめはお手玉を各地から回収する方に回っているらしい。晴豊でも今朝は起きるのがさすがに辛かった。昨日の舞の疲れや夜まで騒いでいたのが堪えたらしい。一方美世は普段と変わりなく、黙々と大人たちを手伝っている。晴豊にいつものような元気がないのを見て、美世が声をかけた。

「ささめが軽食を持ってきてくれるらしい」

「本当に?」

「早朝にささめがこっちに寄った時、晴豊にいくら元気が有り余っているといってもさすがに今日は疲れているだろうと言っていたよ」

「まったくその通りだよ。でも美世はいつも通りだな」

「僕も多少は疲れているよ。でも普段しない動きをした君の方が疲れるだろうね」

「でもそんなこと言ってられねぇないよな。久し振りにあちらに行くんだし気を抜かないようにするよ」

「あまり気負わないで良いからね。何か違和感があったり良いパフォーマンスが出来そうにないと思ったりしたらすぐに言って」

「パフォーマンスって…美世じゃねぇんだから」

 それから一時間も立たないうちに修とささめもトラックに乗ってやって来て、昼前には粟見各地に作られたお手玉の山を美世の家まで運んでくる作業は完了した。お手玉をさらに山奥に運ばなければならない四人は先に休憩を取るように周囲から言われ、春子さんから丁度空いていた稽古部屋の一室を好きに使っていいと言われた。庭側の戸を開け放って並んで腰かけると、広い間口に吹き渡る涼しい風が心地よい。

晴豊はささめの作ったサンドイッチをガツガツとほおばった。美世はそれを見ただけで大分腹が膨れた。

 春から夏へと季節を進めた庭は生い茂る緑と流れる水を主題にして蒸し暑い中にもひとすじの涼しさを演出していた。庭の中央にある舞台の手前に、つい最近運び込まれた岩々の間から流れる水が、門から真っすぐ続く通路のすぐ近くにある池に注ぐように水路が作られている。この涼やかな人口の小川がよく見えるように、周りの木々は不自然にならない程度に細心の注意を込めて剪定され、岩の合間や水底に転がる石に生える苔にまで美しく見えるよう人の手が行き届いていることなど、晴豊は知りもしなかった。

「よし、だいぶ元気になった!眠くならないうちにとっとと運んじまおう」

 一人で全体の半分のサンドイッチを平らげた晴豊は、そう宣言すると大人が二人がかりで運んでいたお手玉の山が乗った木枠を一人で軽々と担いでしまった。そのまま軽快なペースであちら側へ通じる巨木の許まで運んでいってしまう。お手玉の山とは文字通りお手玉を山形に積み上げたもののことで、祭り当日に作ったものではなく今日この赤野家で粟見の各地から集めたお手玉を底付きの木枠の上に山積みにする作業をして作ったものである。作った意図はもちろん運びやすくするためだ。だから木枠の四方は把手とするように枠の木がはみ出た造りになっているのだが、晴豊はそんなものは無視して木枠の横っ腹を両手で持ち上げてしまう。二十キロ近くあるこの山を一人で簡単に持ち運びしてしまうのは大人たちにとっても驚きだった。中には在りし日の果泥を思い出す者もいたが、口に出すことは無かった。例年夕方近くまでかかるこの作業を、まだ日が高いうちに終わらせることが出来たのはほとんど晴豊のお陰だった。しかも一番運んだはずの本人はいい汗かいたなと笑って見せる余裕がある。去年より運ぶ量が少なく済んだ三人でさえしばらく休憩が要るほどには疲れているのに。

 お手玉の山は巨木を囲むように並べられた。この輪の中に四人が入り、端の二人がお手玉の一部に触れれば全てがあちら側に運べてしまうらしい。

晴豊は半信半疑だったのだが四人で例の言葉を唱えると、例のごとく巨木が大量の葉を散らして姿を消し、輪を作っていたお手玉の山が自分たちとともにあちら側に来ていた。

「なんだよ。どうせ一気に全部もらってくれるならわざわざこんなところまで運ぶ前にもらってくれりゃあいいのに」

「それは虫が良すぎる話だろう。決まった手順を踏まなければ行き来ができない方がお互いにとっても安心安全なんだよ」

 晴豊の愚痴は修に諫められた。

今回のあちら側は雪が解けたばかりの春先のようだった。しかも着地点は田んぼの中である。晴豊たちとお手玉の山で作った輪はこの田んぼには少し大きかったようで、一部が田んぼとその上の細い畦道の間にある坂に斜めに引っかかってしまっていた。

更に困ったことに田んぼの土はまだ雪の湿り気を残していて、晴豊たちの足はじわじわと泥に引きずりこまれている。

晴豊がくるぶし近くまで埋まってしまった足を引き抜こうとしたその時、坂に引っ掛かっていたお手玉の山が重力に負けてひっくり返りそうになった。

「やばい、ひっくり返る」

 晴豊が駆け寄ろうとすると、

「大丈夫だから、見ていて」

 と美世が制した。

 そのお手玉の山が転がり落ちる寸前、輪郭が少しずつ光りだした。しかも光りだしたのはその山だけではない。お手玉の山全て、お手玉の一つ一つが金銀の細やかな粒子となって自身を溶かしだした。

「供えられたお手玉を粟見が受け取るんだ。いつ見ても美しいよ」

 修が自分の足の脛あたりまで泥に沈んでいるのも気にせずにお手玉たちを見ている。

でもそんな夢中になる気持ちは晴豊にも分かる。金銀の粒子がまばゆく輝いては空中を上へ上へと昇ってゆく様は、言葉にできない美しさであった。

「去年ここに来たときはもう夕方で、周りが暗かったからよりきらめいて見えたのだけれど昼間に見るのも素敵ね」

「そうだね、欲を言えば足場がもうちょっと乾いていた方が嬉しかったけれど」

 ささめと美世でさえ足元が汚れるのも気にせず次々と生まれる粒子が空の高い所へ飛んでいくのをずっと見つめている。

 四人の中で一番初めに異変に気付いたのは、やはり晴豊だった。

「なぁ、あれ少しおかしくないか?」

 晴豊が指さす方向のお手玉の山の中に、確かに周りとそぐわないものがある。その一つだけ、濁った赤い色をしているのだ。はじめはお手玉の生地の色でそう見えるのだけで異常ではないと美世は思ったのが、そのお手玉は自分が乗っかっている山の頂上付近から地面に向かって転がり始めてしまった。

それ自体がありえないことだった。なぜならお手玉たちは移動中に崩れないよう周りのお手玉と縫い付けられているからだ。

そのおかしなお手玉は転がるにつれて大きさも増し、濁った赤は泥の色も取り入れてさらに暗く陰鬱な表情になっていく。不気味さを増したそれはお手玉の山が取り囲む円の中心で、意味ありげに止まった。その瞬間、晴豊は殺気を感じた。

「伏せろ!」

 晴豊は腰に括り付けてあった鞘から剣を抜いた。玉美に預けておいたあの剣だ。なぜ持っているのかというと、これからあちらに行くときは必ず持って行くようにと玉美に言われていたからだ。そのまま持って行くと片手が塞がるので、晴豊は腰に鞘を麻縄で巻き付けていた。美しい刀が台無しの雑な扱い方だ。 

晴豊がお手玉を斬りつけるより先に、お手玉自体が赤い血のようなものを吹き出しながら割れてしまった。お手玉に近づいていた晴豊にその液体がかかった。咄嗟に顔の前に手を出して受け止めたのだが、生温くどろっとした感じがいかにも血液のようで不快感と恐怖が晴豊の足を鈍らせる。どろどろとお手玉からあふれ出る液体は田んぼの真ん中で沼のように広がり、そこから低いうめき声と耳が割れそうな甲高い悲鳴が轟いた。晴豊には何かが沼から這い出ようとしているように見えた。何かは分からないがとても危険なものだ。

「お前らは逃げろ!」

 後ろは見ずに晴豊が叫んだ。目を離した瞬間に襲いかかられると思ったからだ。

「でも…」

 三人はためらった。

「早く!」

 迷いながらも美世が晴豊に背を向けると、お手玉の山が出す粒子が自分たちを取り囲んでいることに気が付いた。

「逃げられないかもね…」

 修の言うように粒子は半円状に形を作って、自分たちの内側にいるものを閉じ込めようとしているようだった。

「ぎゃああああああああ」

 沼から伸びた細長い手のようなものがその粒子に触れて悲鳴を上げた。触れた途端に手は弾かれてバラバラに寸断されてしまったからだ。その破片は雨のように沼に降り注ぎ、沼は不服そうに呻いている。

「これ、私たちもあれと同じようになるとは限らないのではないかしら」

 ささめは粒子の壁に触れようとした。すかさず修がその手を掴んだ。

「どうなるか分からないんだ。試すのは危険すぎる」

 沼も閉じ込められたのが分かったのか、悲鳴と怒声を繰り返している。

「お前、何がしたいんだよ」

 晴豊はそう沼に問うた。答えが聞けるとは思っていなかったが。

しかし晴豊の言葉に反応するかのように沼が静かになった。それからどんどん沼自体が凝縮し、立体的な形を取り始める。縦に細長い、ヒトのような形だ。対峙する晴豊よりも幾分か背を高く伸ばし、口のところが真横に開いて向こう側が見えた。随分と薄っぺらい形になってしまったらしい。しかも笑っている。

「僕はね、粟見が滅べばいいと思っているんだよ」

 男の子の声だった。旅行の話でもするかのような、軽やかな声で赤黒い人影はそう言った。そして晴豊の真似をするかのように片手に細長い剣を握って見せた。もちろん自分と同じ赤黒い液体のようなもので出来た剣だ。それを笑い声とともに晴豊に振りかざす。

「アハッ、あはは、あははははははははは」

 一撃一撃がとんでもなく重かった。晴豊は剣で受け止めるだけで精一杯で反撃のしようがない。しかもどこを斬りつければ致命傷になるかも見当がつかないのだ。人のように首や腹に急所があるかもしれないが賭けで斬りつけて反撃されたら自分の命が危うい。

 まともに相手にしたら勝てない。別の手を考えないと。

「お、お前の、名前は?」

 会話ができると踏んで、晴豊は問いかけた。

「ぼ、ぼく?」

 人影が動きを止めた。考え込むかのように首をかしげる。

「ぼぼぼぼ、ぼく、ぼくはあ」

 人影が手を降ろした。今だ。

「やあっ」

 気合の一声とともに晴豊は大きく踏み込んで縦に人影を斬りつけた。頭から胴体までを真っ二つに切り裂く一撃だった。見ていたささめは思わず目を塞いだ。

「ぼく、ぼくはぁ」

 人影は喋りながら倒れた。地面に横たわってからも辛うじて人の形を保っている。元に戻ろうとしているのか、縦に引き裂かれた切り口から細く液体が漏れ出て体を繋ごうとするのだが、ひどく緩慢で次第に千切れてしまった。多分こいつはもう助からない、晴豊の本能はそう察した。しかし三人が歩み寄ろうとすると

「まだ来るな!」

 と牽制した。生きている気配がするうちは三人を近寄らせたくなかった。

「ぼくはぁね、かでい、かでい、だよ…あはっ、あっはははははは」 

人影が液体に戻って地面に吸われていく。

ただで消えるつもりはないのか、残っていた手が晴豊の足首を掴んだ。道連れにしようとするかのようなその腕を、晴豊は刃で斬った。すると手首から腕の方は地面に沈み、残った手だけが晴豊の素足にサンダルをつっかけただけの足首に、血のようにまとわりついた。

晴豊は自分の着ているTシャツの袖を千切り、足首に残った戦いの跡をふき取った。人影のほとんどが地面に吸われてしまうと、粒子の壁もどんどん薄くなっていった。危機は去ったということなのだろう。

今度こそ三人は晴豊に駆け寄った。大丈夫?怪我はない?と声をかけたかったが出来なかった。返り血を浴び、相手の刃がかすったのか腕や足や顔にも切り傷を受けたその顔があまりにも凄絶で、生半可な言葉では足りないのだ。ささめが黙ったまま自分のハンカチで晴豊の返り血を拭った。

「やめろよ、汚れるぞ」

 ささめは首を横に振った。その目から涙がこぼれた。

「帰ろうか」

 修がそう言って、四人は泥に足を取られながらも田んぼを脱け出してとぼとぼと歩き始めた。沈黙に耐えられなかったのか、修は道すがら粟見夏祭りのもととなったお手玉祭りのことを話しだした。

「遠い遠い昔には、あちらとこちらの境はひどく不確かで、誰もが方々と交流できていたそうだ。でもそういうものは次第になくなっていくものだからね。人々は少なくなった交流が出来る人たちに、自分たちの思いを託し始めた。それがお手玉さ。神の恵みに感謝し、今年もまた恵みを与えてくださるようにって祈ったんだって」

「へぇ、修は詳しいな」

「僕はそういう不確かなことを調べるのが好きなんだ。もっと細かく言うとお手玉を供えだした時期とか、柄の移り変わりとか」

「なんで、お手玉にしたんだろうな」

「材料が手軽だし、布地を凝ったものにも出来るから、思いを届けるにはちょうど良かったのではないかな」

 口を挟むつもりは無かったが、つい美世は言ってしまった。

「誰がやりだしたか定かでないけどいつの間にか定着しているものが伝統とかしきたりになっていくのだろうね」

 しみじみと修が呟く。

「いつの間にか始まって、続いて、今も俺たちが続けて、次も誰かが続けるのかなぁ」

 晴豊は顔も知らない誰かも自分たちと同じ様にここに来ていたのだと想像してみようとしたが、上手く思い浮かばなかった。

「そうだといいのだけれどそれをよく思っていない何者かがいるというのが今日分かってしまったね」

 美世が深刻そうに言葉を紡ぐ。

「ぼくはかでいだって言ってたんだ、あれ。皆にも聞こえたか?」

 晴豊がそう訊くと三人は頷いた。

「信じたくないけれど果泥が粟見に来たということになる」

 美世はそう結論付けた。

「お手玉に自分の念を託した?」

 修が疑うように呟いた。鼻の下に曲げた人差し指を当てているのでくぐもった声になる。この仕草は考え事をするときのクセなのだ。

 修が考え事の山に埋没するのを防ぐかのように美世が続ける。

「相手が何者なのか、故意に起こしたことなのか、気になることはたくさんあるけれどそれは後でゆっくり考えよう。でも君がいなかったら全員が危うかったのは間違いない」

 美世がチラリと晴豊を見た。

「助かった。ありがとう」

「別に感謝されるようなことしてねぇよ」

 晴豊の心の中には感謝された嬉しさよりも居心地悪さのほうが靄のように蔓延っていた。

「ごめんね」

 会話に参加していなかったささめがはじめてしゃべった。

「私、全然役に立たなかった」

「謝られるようなこともされてない」

 ぶっきらぼうな言葉しか出てこないのが晴豊にはもどかしかったが、気にしないで欲しいと思っていることはささめにも伝わっているだろうと思った。晴豊の言葉の後、ささめが少しだけ微笑んでくれたからだ。単純な晴豊はそれだけで心の中の居心地悪さなどすっかり忘れてしまった。

「腹が減ってきた。戻ったらなんか食えるかなぁ」

 能天気に戻った晴豊を見て、美世も少し気が楽になった。

「仕方ない、お祭りを見に来たお客さんからもらったシフォンケーキ出してもらうように頼むよ」

「おお!何かよく分かんねぇけどうまそう!早く帰りてぇ」

 晴豊の望みは存外にかなった。果てしなく続いた田んぼ道の先に、一番大きな田んぼが見えたのだ。そこにある泥が全て真っ黄色という、普通なら足を踏み入れたくない田んぼだが、四人は飛び上がりたくなるほど喜んだ。

 自然界にない、あり得ない色彩を持ったものはあちらから自分たちの世界へと帰れる目印だからだ。

四人は実際に手を繋いで飛び込んだ。着地した瞬間、四人が戻ったのは田んぼの中の畦道だった。しかしあちらと違ってこっちでは水を張った田に青々とした苗が我が物顔で生え揃っていた。

田んぼの奥にこの辺にはそぐわない真っ白な壁に赤い屋根瓦の邸宅が見える。お腹が空いた晴豊にはショートケーキのように見えた。

「あら、家の近くに戻ってきちゃったみたいね。折角だから家で何か用意するわ」

 三人はささめの言葉にありがたく世話になったのだった。

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