第4話 王太子の真実

 メイが暗殺されかかったとき、イゼルスは彼女にずっと付き添っていた。貴族が重罪を犯した場合、通常は王太子も審判に参加する。しかし事が事だったため「後は任せて聖女様の傍にいてください」と言われたのだ。彼の与り知らぬうちにレティシアが犯人だと確定し、婚約は破棄されていた。彼も国王も審判に携わった貴族たちを信じていたから、彼らの決定であれば異論はなかった。

 レティシアを処刑した後、イゼルスはメイと結婚した。

 最愛の婚約者を処刑せざるを得なかったのは悲しかったが、彼女が罪人である以上仕方ないことだと思った。それに、聖女の伝説の当事者になれたことは内心嬉しく思っていた。

 しかし……聖女との結婚生活は、想像とは大きく異なっていた。

 第一に、メイの話は退屈だった。別の世界から訪れた貴族教育を受けていない女性であるから、ある程度は仕方ないと思っていた。しかし、数年が経って貴族のサロンに参加するようになり、色々な話を聞くようになっても何も変わらない。彼女の元いた世界の話ばかりをして、イゼルスの話もまともに聞いていないようだった。賢く話題豊富なレティシアのことを、気づけば何度も思い出すようになっていた。

 一番難儀したのは食生活である。メイはとにかく好き嫌いが多い。その上、彼女が食べられるものを国中からかき集めても数日で飽きてしまうのだ。彼女の食費で王室の歳費は圧迫され、何人ものコックが辞めた。

 この問題に直面した時も、イゼルスが思い出したのはレティシアのことだった。

 アーネット公爵家は領民との関係が良好で、しばしばパーティーを開いて領民を招いていた。その時に領民から献上される質素な食事も、レティシアは喜んで食べていた。ふかしただけの芋さえ口にし、「あんなに痩せた土地からこんなに甘い作物を作るなんて頑張ったのね」と領民を称えていたのだ。暗殺未遂の一件さえなければ、国母にふさわしいのは間違いなく彼女だと思っていた。

 イゼルスがメイに手を焼いていた頃、旧アーネット公爵領に接する隣国が攻め込んできた。公爵一家の処刑後は新たな領主がこの地を守っていたが、彼はこの地のことを何ら理解していなかった。代々守ってきたわけではないので、大した思い入れもなかった。その結果隣国に付け入る隙を与えることになった上に、アーネット公爵を敬愛していた領民には新領主のために戦う士気もなかった。勝利をもたらすはずの聖女に期待しても、メイは「戦争は嫌だから早く降伏した方がいい」と言うばかりでとんと役に立たない。彼女が元いた世界は平和そのもので、そのため彼女は負けたら何を奪われることになるのかにも目が行っていないようだった。怪我人の手当てに協力できないかと打診しても「血が怖い」「ショウドクエキはないの?」と言うばかりで、伝承のように画期的な方法で助けてくれることはなかった。結局戦争には負け、重要な領土の多くを明け渡すことになった。

 期待外れの状況に民も貴族も不満が溜まっていた頃、大事件が発生する。

 過去の処刑に関する書類の一部に、改ざんの跡が見つかったのだ。

 イゼルスが調べたところ、レティシアの処刑に繋がった審判のいくつかで偽証があったことが発覚した。冷静に考えれば矛盾がすぐに見つかるようないい加減な内容だったが、聖女に熱狂していた当時の人々は気づかなかったようだった。偽証を行った者たちは揃って「王太子と聖女様ならお似合いだから、レティシア嬢が嫉妬するのも無理はないと思った」と話した。アーネット公爵領の調査も進み、レティシアには毒物の入手経路がなかったこともはっきりした。

 調査結果を受け取ったイゼルスは、その場で膝をつくほかなかった。――王妃として自分の隣に立つはずだった、その地位に最もふさわしかったはずの少女は、最悪の形で失われてしまった。彼がそのことに気づいたのは、あまりにも遅すぎた。

 失意の中、イゼルスは領地の端にある崖へと向かう。ここは処刑された者の遺体が打ち捨てられる場所にもなっている。彼の愛した元婚約者は、きちんと葬られることもなく、この崖の下で他の罪人と一緒くたになって朽ち果てている。下を覗き込むと、骨と思しき白いものが塊になっているのが見えた。

 もう戻らない。

 いくら謝っても足りないし、許しを請う相手もいない。

 そのことを深く実感したイゼルスは、そのまま崖から身を乗り出し、彼女らの眠る場所へと落ちていった。

 ……が、彼は目を覚ました。社交界デビュー直前の、十二歳の頃の自分の寝室で。やがて事態を把握した彼は、今度こそ間違えないと決意した。

 非業の死を遂げたレティシアと、幸せに結ばれるために。


 イゼルス曰く、そういうことらしい。

 話を聞きながら、レティシアは信じられない思いだった。自分と同じように時を遡っている人物がいて、しかもそれは自分の運命のカギを握る婚約者。そんなことを言われても、にわかには信じがたかった。

(……でも、それならこれまでのことにも全て納得がいくわね)

 あの日、地味なドレスで大人しくしていたレティシアにイゼルスが気づいたのは、彼がまだ見ぬ結婚相手ではなくレティシア自身を探していたからだ。約束を違えたのも、イゼルスの意見を否定したのも、レティシアを妻にすること自体が目的なら気にならないだろう。今までの彼の態度に感じていた違和感が、レティシアの中できれいに解消されていった。何度も考えた上で、彼女は彼にこう返事をした。

「……分かりました。信じましょう」

「本当かい? じゃあ、婚約破棄の話は無しに……」

 ぱあっと顔を輝かせたイゼルスを、レティシアは静止する。

「それはできません。婚約は破棄いたします」

「何で!? 僕が君を手放さないことが分かったなら、問題は解決じゃ……」

「ありません」

 レティシアはぴしゃりと言い放つ。未来で戦を経験したと言う割に、この男は平和ボケしすぎではないだろうか。軽く不安を覚えながら、彼女は説明する。

「イゼルス様の話が正しいとすると、わたくしの処刑に関する書類を改ざんした者がいたのでしょう? だとすればわたくし、または我が家の失脚を望んだ者がいるということ。王太子を聖女と婚姻させるのが主目的か、アーネット家の失脚が主かは分かりませんが……悪意を持って動いた者は必ず存在します。そこを解決しないままに嫁入りなんて、恐ろしくてできませんわ」

 それに、と、レティシアは付け加える。

「聖女様が勝利をもたらすことはなかった、という話ですが……そこも気になります。今の話ではメイさんが聖女ではないのか、仮にそうだとすれば聖女様は別にいるのか、あるいは聖女様ではあるけれど何らかの形で力が発揮できていないのか分かりません。国を救うべき存在がそんな曖昧な状況では、安心できないでしょう?」

 諭すように語る婚約者に、イゼルスは「確かに……」とつぶやく。彼は素直な男だ。だからこそ、真実に気づくのに時間がかかったのだが。レティシアは彼の目を覗き込むようにしながら続けた。

「だから、今は一旦婚約を破棄いたします。現時点では打診の段階なので、詳しい話は後日父と陛下とでということになると思いますが……。その上で、今の問題点が解決したら、再婚約に応じましょう。調査にはわたくしも協力いたしますわ」

 その言葉を、イゼルスは真剣な面持ちで聞いていた。前の人生の終わりからずっと悔やみ、やり直しを切望して生きてきたのだから無理もないだろう。大丈夫かもしれない……そんな期待が、レティシアの中に芽生え始めていた。

「待っていますからね、イゼルス様。……私も、あなたと結婚したいと思っているんですから」

 そう告げて、レティシアは彼の手を握る。これから婚約者ではなくなる二人は、解決するまで気安く触れ合うこともできなくなる。この手の感触は、決別であり希望でもあった。

「……分かった。また連絡する」

 イゼルスもどこか決意のこもった眼差しで、その手を握り返したのだった。

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