第3話 婚約破棄の申し入れ
数週間後。
聖女について王立研究所が調べた結果、恐らく本物で間違いないだろうという結論に落ち着いた。彼女の名前は“メイ”で、容姿も年齢も前回と同じだった。
聖女が現れてから、イゼルスとレティシアのお茶会の頻度は明らかに減った。今までは三日にあけず顔を合わせていたが、あれ以降イゼルスと話したのは二回ほどに過ぎない。聖女の影響力を見越した国王夫妻の差し金なのかイゼルスの意思なのかは分からない。ただ、噂は流れてきている。王太子は聖女と仲睦まじく過ごしているらしい、と。
(……そうよね、前もイゼルス様とメイさんは仲が良かったもの)
そうと分かっていても落ち込んでしまう。彼女の身に着ける宝石の類はほとんどイゼルスから贈られたものだし、花瓶に活けられた花も今着ているドレスもそうだ。彼からの気持ちの証に囲まれて過ごす中で、その変化を実感するのは辛かった。処刑の運命を知った今でも、どうにかならないかと願ってしまう。
それでも、汚名を着せられるまでに終わらせなければならない。それが自分と、愛する家族を守ることになるから。――メイが現れた日から、彼女はもう決めていた。
「イゼルス王太子殿下に、婚約破棄の申し入れをしたいのです」
彼女はそう父に告げた。父は驚きと悲しみが混じったような表情をしている。数秒の沈黙の後、父は絞り出すように言った。
「お前……いいのかい? 以前から殿下のことが大好きで、食事の席ではあの方の話ばっかりしてたじゃないか」
「ええ。でももう良いんですの。殿下も聖女様と仲良くされているようですし、伝承のことを考えるとそれが自然です。……それに、お父様ならもっと素敵な他の嫁ぎ先だってすぐに見つけてくださるでしょう?」
「レティも言うようになったなあ……。分かった。お前がそこまで考えているなら仕方ない。申し入れはお父様からしておくから安心しなさい」
愛娘がいたずらっぽく笑うのを見て、公爵はつられて苦笑した。王太子の心変わりに娘がそれほど傷ついている様子を見せなかったことで、安心もしているようだった。自室に戻ったレティシアは、今度こそ上手くいきそうだとほくそ笑む。
(これで良し……聖女の登場で自ら身を引いたなら印象も悪くないはずだし、きっと上手くいくわ)
前回は、王室からも公爵家からも婚約破棄の話は出なかった。国王夫妻は恐らく身を引いてくれることを期待していただろうが、あの頃のレティシアは諦めたくなかったのだ。長年好きだったからこそ、イゼルス本人に頼まれない限りは引かないつもりだった。……その結果、事件が起きた食事会に王太子の婚約者として出席することになったのだ。その前に身を引いてしまえば、あの場にレティシアはいないことになる。
(イゼルス様がわたくしの元に居続けてくれれば、なんて期待していたけど……そう簡単には変えられないわよね)
悲しくもあるが、それと同じくらい安心もしていた。これだけ聖女にかまけている今なら、婚約破棄を渋ることはするまい。今度こそ上手くいったとレティシアは信じていた。
数時間後までは。
夕食を終えてくつろいでいたレティシアの耳に、外で何やら言い争っている音が聞こえてきた。不思議に思っていると、ルーナが珍しく慌てた様子で部屋のドアをノックした。
「どうしたの? 外が騒がしいようだけど……」
「お嬢様……それが、イゼルス王太子殿下がいらしているんです。婚約破棄の件で、お嬢様と直接話したいと。時間も時間ですので守衛がお引き取りを願ったものの譲らず……。いかがいたしましょう?」
その言葉に、レティシアは思わず声を上げそうになった。
婚約破棄について父に話したのは今日の昼間。父がどれだけ早く動いてくれたとしても、まだ正式な申し入れではなく打診の段階だろう。条件などの話をしたいとしても、明日以降に話し合えばいいはずだ。それを遅い時間にわざわざ訪れて、守衛と言い争ってまで話をしようだなんて……。イゼルスの考えが分からず、レティシアは混乱していた。
それでも、今回の件は自分が決めたことだ。
「分かったわ。客間にお通しして」
家族の幸せのため、ここで決着をつけなければ……。レティシアはイゼルスに贈られたものを身に着けていないことを確認し、客間へと向かうのだった。
「レティ、あれはどういうことだ? 急に婚約破棄なんて……」
客間に招かれたイゼルスは、開口一番にそう言った。
客間には二人しかいないが、部屋の外にルーナとカイルが控えていて、合図があれば駆けつけられるように手配してある。まだ正式な話ではないからなるべく内々に、というレティシアの判断だ。
「どういうこと、だなんて……。伝承のこともありますし、王太子殿下は聖女様と結ばれるべきだと思っているんですもの」
レティシアは努めて冷静にそう告げた。聖女と彼に関する噂を聞く限り、きっと形だけの話し合いだろう。だからこそ、自分が感情に惑わされるわけにはいかない。その言葉を聞き、イゼルスは少し表情をこわばらせた。
「僕はそうは思っていない。君にも少なからず好かれているつもりだったから、メイと結婚なんて考えもしなかった」
「大衆はそうは思っていませんわ」
レティシアはまっすぐに言い返す。たとえイゼルスに嫌われたとしても、ここで引いたら家族を守れない。
「聖女様との繋がりは、王室の根幹に関わるもの。国中の誰が見ても、お二人が結ばれることは必然です。ここでわたくしとの関係を貫くことは、国民を裏切ることに他なりませんわ」
「それでも、僕は君と結婚したい」
レティシアのぴしゃりとした物言いに、イゼルスはすかさず言い返す。その言葉に思わず赤面しそうになったレティシアは、慌てて表情を引き締めた。
(……いけない。ここで舞い上がったら全てが水の泡よ)
レティシアだって、本当はそうしたかった。少なくとも今はメイよりも自分を選んでくれているということが嬉しくてたまらない。そんな自分の気持ちを情けなく感じつつ、レティシアは目元にぎゅっと力を入れた。
しかし……どんな言葉で説き伏せようとしても、イゼルスは退かなかった。
聖女との関係が国家のために重要であることも、王族である以上それを無視できないことも、当然分かっているはずだった。それでも食い下がってくるイゼルスに、レティシアは焦りを覚えていた。
(このままじゃ、わたくしがほだされてしまう……!)
失礼だと叱責されてもいいし、二度と会えなくなってもかまわない。どうにかして彼に婚約破棄を認めさせないと……レティシアの脳裏に、そんな考えがぐるぐると回っている。何とかしたいと考えるうちに、レティシアはとうとう口走ってしまった。
「でも、わたくしは嫌なんですの! もう二度とあんな思いはしたくない!」
一瞬後、彼女は我に返って口元を押さえた。未来から戻ってきたことは誰にも言ったことがなかったし、言っても信じてもらえないことは明白だったからだ。案の定、イゼルスは訝しげな顔をしている。
(ああ、どうしよう……聖女様への嫉妬のあまり気が違ってしまったとでも言って押し切ろうかしら)
しかし……内心パニック状態のレティシアにかけられたのは意外な言葉だった。
「二度と? ……もしかして、君も戻ってきたのかい?」
その言葉を聞いて、レティシアはますます混乱する。不自然だと思っていない? それに“君も”? 何が何だか分からない。そのまま固まってしまったレティシアをまっすぐに見つめ、イゼルスは続けた。
「もし君も過去から戻ってきているのなら、信じてほしい。……僕は、君を助けたいんだ」
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