第2話 聖女降臨

 昼下がり、レティシアはイゼルスと共に王宮のサロンで談笑していた。

 婚約破棄の糸口を探そうと必死になって耳を傾けながらも、つい会話を楽しんでしまう自分に気づき、レティシアは内心でああもう、と頭を抱える。

(あんなことがあっても、すぐには変わらないものね)

 やはり話しているイゼルスの表情は優しいし、笑顔は可愛らしい。このお茶会の時間を思うと、いっそ聖女の方が現れなければ……と思ってしまう。

「レティ? どうしたの?」

 不思議そうな顔をしたイゼルスに突然訪ねられ、レティシアは慌てて顔を上げた。

「あ……ごめんなさい。うちの領地の土地活用についてお父様に意見を求められていて、つい考えてしまって」

「へえ、さすがだね。僕にも聞かせてほしいな」

 地方の領地の話にも興味深そうに耳を傾ける王太子らしい姿に、レティシアはつい微笑んでしまう。

 今だけは、もう少しだけ会話を楽しみたい……そう思った矢先、慌てた様子で誰かがサロンへ飛び込んできた。

「王太子殿下、大変です!」

「何だい騒々しい……慌てているとはいえ、今はレティとのお茶会の時間だぞ? ノックするとか、もっとやりようはあったんじゃないの、カイル」

 息を切らして飛び込んできたのは、イゼルスの側近のカイルだ。イゼルスとは乳兄弟にあたる騎士で、レティシアとも以前から面識がある。イゼルスと出会ったときも、処刑される瞬間も、彼の傍に控えていた。

 王太子に仕える従順な騎士であるカイルがイゼルスの傍を離れるのは、婚約者のレティシアと水入らずで過ごすときだけ。レティシアにとっては、そのことも嬉しかった。

 そんな二人きりの時間に飛び込んでくるなんて、忠臣のカイルにしては珍しい。イゼルスも苦言を呈してはいるものの、その点については気になっているようだった。主の言葉に、カイルが跪きながら口を開く。

「は、はい、申し訳ございません。ですが殿下、緊急事態なのです。……王家の泉に“聖女”が降臨しました!」

 その言葉に、レティシアは目を伏せる。

 あの時もそうだった。レティシアとお茶会をしていたイゼルスの元に飛び込んできた聖女出現の報。王太子としては見逃せない話だから、彼はレティシアを置いて泉に急いだ。

 王家に伝わる聖女の伝説――それは王家の権威の象徴であり、拠り所でもあった。

 かつて、戦乱に苦しむ人々の元に聖女が現れた。彼女はとある騎士の元に滞在し、聖なる力で怪我人を治療し、戦う者たちの士気を高めた。勝利を収めた後、騎士は聖女を妻に迎える。やがて彼らは国王と王妃となり、聖女が現れた場所は王家の泉として今も大切に守られている。――国民の誰もが、そんな話を知っていた。

 だからこそ、聖女の再来に国中が沸いた。王太子は聖女と結婚するのが当然で、レティシアは彼女が現れるまでの仮初の婚約者だったのだと、多くの国民が語っていた。イゼルスもそんな空気は感じていたのだろう。暗殺未遂事件が起きる直前は、彼女よりメイと過ごす時間が長くなっていた。

 仕方ない、なんて言葉で片付けたくはなかったけど、仕方ないことだった。だから、もし今度も聖女が現れたなら、彼を快く送り出すことに決めていた。

 だが……イゼルスの次の言葉は、思いがけないものだった。

「聖女……? でも、その女性が本当に聖女かどうかはまだ調べがついていないんだろう? だったら、確定してから出直してくれないか」

「殿下!? しかし、聖女を擁する家が国民の支持を受けることは明白。近年力をつけている貴族たちの耳に入らないうちに保護しないと……!」

「分かってるよ、だから王宮で保護しているんだろう? だったら他家に連れ去られるわけでもないんだから、正確なところが分かってから対応すればいい。今はレティシアとの時間が大切だからね」

 押し問答をする王太子とその側近を、レティシアは呆気に取られて見つめていた。

(あ、あら……? あの時と違う……?)

 少々優しすぎるきらいがあるとはいえ、レティシアから見た今のイゼルスは前の人生の時と変わらない。前回も今回も王族らしく聖女の伝説のことを熱心に調べていたし、それが出現したとなると飛びつくのは想像に難くない。今回も、出現してしまえば止められないと思っていた。

 しかし、現実はどうだろう。カイルと口論になってまで、聖女よりレティシアを優先しようとしている。それは彼女にとって嬉しくもあり、予想外でもあった。

(婚約破棄を狙ってわがままを言いすぎたから、私の不興を買わないように気を遣っているのかしら?)

 そんな疑問が顔に出ていたのか、イゼルスはふとレティシアに視線を向ける。少し遅れてこちらを向いたカイルが、ばつの悪そうな顔で口にした。

「……分かりました。でもお茶会が終わったら殿下も状況を直接見てくださいね。聖女のことは、王家の重大事項なのですから」

「分かってるって」

 そんなやり取りの後、カイルは二人に一礼してサロンを後にした。それを見送った後、イゼルスは笑顔でレティシアに向き直る。

「やれやれ……。ごめんね、レティ。騒がしくして。あいつ真面目なのは良いんだけど頑固で」

「いえ……それより、よろしいのですか? イゼルス様も聖女のことについてはよく調べていらっしゃいましたし、興味があるでしょう?」

 そんな言葉に、イゼルスはゆったりと微笑んで返す。

「興味はあるけど、まだ聖女って決まったわけではないだろう? だったらまだ聖女じゃなくて見知らぬ女性だ。見知らぬ女性と婚約者、大事なのはどちらかなんて聞くまでもないだろう?」

 気遣ってくれてありがとう、と笑いかけるイゼルスに、レティシアは思わず赤面する。こんなにまっすぐに気持ちを伝えてくれる人だったかしら……そう思うと、違和感よりも先に嬉しさがこみ上げてくる。

(まだまだ安心はできないけど……何かが変わっているのかもしれないわ)

 今のところ大筋は変わらないけれど、もしかしたら最悪の結末は避けられるかもしれない。そんな予感に、レティシアは密かな期待を抱くのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る