第1話 目論見と葛藤
結論から言うと、レティシアの目論見は失敗した。
時間が戻っていると気づいた日は、舞踏会のためのドレスを選ぶ日だった。そこで彼女は深い藍色のドレスを選んだ。以前のイゼルスの言葉を思い出したからだ。
「忘れもしない。あの日、僕は水色のドレスの君に一目惚れしたんだ。華やかで可愛らしくて……やっぱり君は明るい色が似合う」
あの日、ドレスを選びに客間へ行くと、やはりあの水色のドレスがあった。かつての自分が選んだものだから当然だが、自分の好みにぴったりだとレティシアは改めて思った。両親も、着替えを手伝ってくれたルーナも、他の使用人も、皆あのドレスが一番似合うと言ってくれたのだ。
しかし、イゼルスが気に入ったドレスを着ていたら、今回も彼に見初められてしまうかもしれない。あの日の彼の傍にいることを避けたいレティシアにとっては、過去に戻ってから最初に訪れたチャンスだった。だから、全く違うドレスを選んだのだ。
レティシアの好みを知っているルーナからは、何度もこれでいいのかと尋ねられた。しかしレティシアは譲らなかった。
(わたくしだってそのドレスは好きだけれど、イゼルス様の目に留まっちゃ駄目なのよ……)
明るい色のドレスに目が行かないように気をつけながら、彼女は藍色のドレスのどこが気に入ったのかを力説し、そのドレスを着る約束を取り付けた。
そして、レティシアは舞踏会に臨んだ。前の時は父に連れられて多くの人に挨拶をしたが、緊張しているからと言い張って必要最低限に抑えてもらった。とにかくイゼルスの目に留まらないようにと、彼女は大人しくしていた。
しかし……イゼルスは彼女の存在に気づいた。
フロアの片隅で小さくなっているレティシアに近づいてきたイゼルスは、あの日と変わらない笑みを浮かべて彼女に一礼する。
「初めまして、レティシア嬢。あなたのような素敵な方に出会えて幸せです」
あの時と同じだ――そう気づいたレティシアは、その場にへたり込みそうになった。一字一句違わない、出会いの日のイゼルスの言葉。大人顔負けの口説き文句だが、後に使用人の受け売りだと聞いて笑ったのを今でも覚えている。それは未来を知るレティシアにとっては絶望だった。
今すぐ逃げ出してしまいたい……レティシアはそう思ったが、王家との交流を拒む公爵などいない。父はイゼルスに丁重に挨拶をした後、娘にも挨拶を促した。
(……ここで拒んだら、お父様の立場を失わせてしまう)
レティシアは生き延びることを望んでいたが、それ以上に家族を巻き込みたくないと思っていた。いくら生き延びられたとしても、父の大事にしていた公爵家の誇りを失うことになってはいけない。
そう思ったレティシアは、ドレスの裾を軽く持ち上げてイゼルスに挨拶をした。貴族令嬢として礼を損なわないように、しかしできる限り簡素に。もし何か指摘されたら「緊張していたもので」と言えばいい。あわよくば素っ気ない態度を嫌がって離れてくれれば……そんな思いでいっぱいだった。
だが、イゼルスは少し驚いた顔をした後、にっこり笑ってレティシアの手を取ったのだ。
初めて彼に惹かれた時と同じ表情に、こんなにも絶望する日が来るなんて……と、レティシアは暗澹たる気持ちになった。
舞踏会が終わった後、王家からは書状が届いた。イゼルスがレティシアを気に入っているので、是非ともまた交流を持ちたいと。
最初の作戦が失敗したことを、レティシアが実感するには十分だった。
それが、五年前の話である。
レティシアは、処刑されたときと同じ十七歳になっていた。
処刑を回避するため、あの後も彼女は色々と策を講じたが、公爵令嬢としての評判を落とさない範囲でできることはたかが知れている。一向に上手くいかないまま、前と同じように十五歳の時には婚約を交わすことになった。
(それにしても……以前から優しい方だと思っていたけれど、イゼルス様もよく愛想を尽かさなかったものだわ)
レティシアは、この五年間の自分の所業を振り返る。
お茶会の誘いを突然断れば、「体調でも崩したのではないか」という言葉と共に、人づてに見舞いの花束が贈られた。
公衆の面前でイゼルスの持論を否定すれば、「そんな考え方があったんだ、レティは凄いね」と称えられた。
他の貴族の男性との婚約を父に打診したこともあったが、王家と親しくしている令嬢に手を出す家などあるはずもなく頓挫した。
イゼルスは元々おっとりしたところがあるから、国王夫妻もレティシアがしっかりしているとむしろ安心しているようだった。
以前のイゼルスは一目惚れだったと何度も言っていたから、それ以上の欠点や王族にふさわしくない部分があればすぐに離れられると思っていた。ここまで何も問題なく縁が続くというのは、レティシアとしては予想外だった。
(聖女が現れて、お会いする機会が減って、濡れ衣を着せられて……。あっという間だったから、顔と家柄だけを好いていると思っていたけれど)
あっさり切り捨てられた記憶から疑っていたが、どうやら婚約者は思ったより自分を好いているらしい。こんな風に実感するなんて……彼から離れようとしているレティシアにとっては、正直複雑だった。
とはいえ、一応まだ手は打ってある。領地にある鉱山を調査し、その報告書を王立研究所に提出したのだ。これで領地で毒物を製造していないことが証明できるから、冤罪の根拠を一つ潰すことができる。
これで聖女が現れた時、速やかに身を引けば何とか……そう考えて、レティシアは溜息をついた。
レティシアは、イゼルスのことが大好きだった。舞踏会で絵に描いたような素敵な貴公子に挨拶されたときは心臓が跳ね上がったし、婚約を打診されたときは天にも昇るような思いだった。彼に処刑され、やり直しの人生を送っている今も、彼から贈られた手紙やプレゼントは包み紙に至るまで大切に保管している。前の人生で聖女が現れた時、彼女を正妃にし、レティシアを側妃にする提案があればきっと呑んだであろう。彼の立場を分かっていたから、彼を困らせてまで立場にこだわる気は毛頭なかった。傍に居られればそれでいい……蝶よ花よと育てられた公爵家の令嬢が、こうも謙虚に彼を愛していたのだ。
なのに、今、自分は彼と離れるために躍起になっている。そのことが悲しくて仕方なかった。
しかし、裏切られて家族にまで矛先が向かうのは、それ以上に耐えがたい。
「お嬢様、イゼルス殿下とのお茶会の時間です」
ルーナの声が聞こえてくる。感傷的になってはいけない、と、レティシアは再び気を引き締めるのだった。
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