2.きちんと落ち込んだ日

 今日も腐り落ちるだけの一日にしてしまうのが嫌で、眉毛を書いてリップを引き無理矢理外に出てみました。

 雨の渋谷は今日も生命力でいっぱいで、騒がしい方が気が紛れるなと思いながら文庫本を開いています。

 エンタメは好きです。ドラマもアニメもゲームと舞台も映画も漫才もコントも漫画も小説も、忘れられない一本が心の中にいくつもあります。

『王様のレストラン』『おいでよ!どうぶつの森』『アンフォゲッタブル』『眠れぬ真珠』『南極料理人』

 そのどれもが、今は遠く懐かしくてたまらない記憶になって、ふとため息を吐き出してしまう日々が続いています。

 明日は違う自分になるかもしれない。

 こんな風に貪るように物語を飲み込むことができるのは、今日この瞬間だけかもしれない。

 そんな、考えなくてもいいことばかりをふわりと考えてしまいます。


 紹介状をいただいて、A病院への診察予約を入れました。

 健康なのかそうでないのか、決まるのは来週です。

 待つことは、苦手です。

 沈んで浮いてを繰り返す気持ちの慌ただしさに、ここのところ振り回されてばかりです。

 子宮の周りにいくつかある『腫瘤』の正体は、診察まではわかりません。

「もしも将来、お子様を望むのであれば……」

 最初の検査の時、言いにくそうに切り出してくれた眼鏡のお医者様の言葉を遮るように、私は早口に事実を述べました。

「将来子どもを持つ予定はありません。なので、その配慮は必要ありません」

 そう告げると、お医者様は幾分リラックスした様子で「であれば、」と今後の検査や治療について、いくつかの選択肢を示して下さいました。

 ずっと昔から決めていたことで、それはもうゆるぎのない意思ではあったのですが、こうして改めて他人にその選択肢はないんだと納得されると、それなりにショックを受けるものなのだなと、診察内容とは全然関係のないところでぼんやりと考えてしまいました。

 元々、あまり好ましいとは言えない家庭環境で育ち不順すぎる生理に悩まされて来た私にとって、子宮という臓器は煩わしい隣人のようなものでした。

 雨の朝に感じる気だるさや、荒波のようにやってくる一週間前の虚いがこの臓器によるものであると考えれば、今回の治療や結果によっては開放感すら期待できます。

 ただ、酒に溺れた時に出るべたべたとした重たい声や、新しいスカートが体に合った時の高揚感、いつもより濃いリップをつけて会いに行きたい人のことを考えると、その浮ついた時間を運ぶのもまたこの隣人によるもので、もしそれがぽっかりとなくなってしまったらきっとそれはまったく知らない他人になってしまうかもしれないという自覚が芽生えた時、ようやく私は、この身に起こっていることの重大さを理解したのでした。

 長年連れ添った相棒であるこの体が、明日見知らぬ別の生き物になるかもしれない。

 それは、先の見えない海に小さな舟で漕ぎ出すような、途方もない旅の始まりだと思いました。


(続)

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