池田と吸血スライム 後編

 池田とともに出発してすぐ、ミルーの街から少し外れた林道を歩いているとスライムが現れた。赤くて透明のぷるぷるとしたスライムだ。

 この世界のスライムは前の世界で広く知られているスライムほど簡単な生物ではない。今から数百年前の転生者が自らの魔法を用いた生体実験の果てに生み出し、自己増殖するようになった人工の生物、「魔物」なのだ。ヤツらの特性として魔力を非常に蓄えやすい、というものがある。その魔力がどんなものであれ養分として体内に蓄えることができ、場合によってはその魔力に合わせて自らを変異させることさえ珍しくない。変異スライムは、(スライム自体に何らかのセーフティのようなものが働いているのだろうか)繁殖することはほぼないが、それでも危険性は非常に高いため、すぐに討伐される。だから俺は強力な変異スライムを自分の目で見たことは一度もないが、魔法使いの慣習としてスライムを見かけたときは目に魔力を込め、スライムの魔力の流れ、質を確認するようにしていた。

 今回現れたスライムはただの吸血スライムだった。よく見ると白い牙のようなものが見える。厳密にはこいつも変異スライムの一種らしいが、血を吸うだけのただのスライムだ。剣でつついたら簡単に倒すことができた。

「この子たち、かわいいですよね。この辺にたくさんいるんですよ」

 池田さんは呑気な事を言っている。

「弱いと言ってもヒルみたいなものだから、あんまり甘く見ない方がいいよ。変異することもあるみたいだし」

「へー。初めて聞きました」

 何となく目に魔力を込めたまま池田さんの方に振り替えると、腹部を中心とした魔力の流れが見えた。妊婦によくみられる魔力の流れだ。原因は考えるまでもないだろう。何か言うべきかと一瞬考えたがやめた。俺には知識がないし、できることも何もない。彼女を混乱させるだけだ。それに、おなかはまだ出ていない。先生たちの元に戻るまで1か月ほど、まあ持つだろう。俺がすべきは彼女の体調を気遣うことだけだ。


 次の日。池田さんの腹部に渦巻く魔力が大きくなっていた。すでに魔法使いでない一般人の魔力よりも多いだろう。何か嫌な予感はするが池田さんは健康そのものだ。

「こんなに遠くまで来たのはじめてです!」

 彼女は楽しそうだ。もうしばらく様子を見よう。


 次の日。池田さんのお腹が膨れ始めた。そのことに彼女自身が気づいたのだ。

「ごめん。できちゃったみたい」

「そうか。引き返そうか?」

「着くまで1か月くらいでしょ?たぶん大丈夫だと思う。」

 彼女がそういうならきっと大丈夫なのだろう。池田さんのお腹に渦巻く魔力はさらに大きくなっていたがこの日も先に進むことにした。林道はまだ続いている。


 次の日。目が覚めると池田さんのお腹がさらに大きなっていた。すでに5か月ほどのお腹をしている。明らかに異常なスピードだ。

「もう戻ろう。教会に見てもらった方がいい」

 野宿に使った洞窟で俺は彼女にそう伝えた。

「大丈夫。ちょっとお腹張ってるだけだって」

 池田さんはそう言って笑った。この人はなぜこの状況で笑っていられるのだろうか。自分の身に明らかな異常が発生しているというのに。

「そんな言い訳やめてくれ。ずっと黙っていたけど池田さんのお腹に宿っている魔力おかしいよ。絶対に何かまずいことが起こっている」

 俺はへらへら笑う彼女への感情を押さえつけてそう言った。

「そっか......」

 そう言って池田さんは黙って下を向いた。

「ちょっと休んだら戻ろう」

「......ない」

「え?」

 声が小さくて聞き取れなかった

「もうあそこに戻りたくない」

 池田さんは俺の目を見て力強くそう言った。そこまであの店が嫌だったのか。今までの言葉はすべて取り繕っていたのか。

「引き返しちゃダメ、ダメだよ」

 彼女の目で一層強く渦巻く魔力に気がついた。まずい。と思ったがもう手遅れだった。彼女は目を閉じた。既に彼女の魔法は完結したのだ。体に異変はないから操作系だろう。操作系の常として俺は操作されていることはわかるのに「どう」操作されているのかが全く分からなかった。

 とにかく俺たちは出発した。南方大陸に向かって。


 数日後。池田さんのお腹ははち切れそうなほど膨らんでいた。彼女のお腹とそこに渦巻く魔力の大きさに反比例するかのように彼女は日に日にやつれ始めていた。服のサイズがもう合わないため異常に膨らんだ腹部は露出させていて、たまに中で何かが蠢いているのが見て取れた。冷やさない方がいいと思うが彼女は涼しくていいと言っている。昨日辺りから股からぽたぽたと赤い液体をこぼすようになった。池田さんはどれも心配しなくていいと言うがどうしても気になってしまう。

 雨が降り始めた。林道はいつの間にか抜けていて、今は草原を歩いていた。

 ふらふらと歩いていた池田さんは「ああ......。」とだけ言って前に倒れた。彼女のお腹には赤子がいる。急いで駆け寄りすんでの所で支え、仰向けに寝かした。間に合ってよかった。

「ごめんね」

 かすれた声で池田さんが言った。

「無理にしゃべらなくていい」

 なにか出来ることはないかと考えた瞬間。

「あ」

 彼女の腹が破裂した。肉と、内臓と、血と一緒に透き通った赤色をした、ぷるぷるとしたものが飛び散る。スライムだ。

 池田さんが生んだのは元気なスライムだった。20匹はいようか。その透明な体の中には小さくも逞しい、白い牙が見えた。これは吸血スライムだな。

 池田さんは死んでいた。悲しいがこれも定めだろう。子供たちは彼女の肉体を吸血し始めた。吸血の勢いは凄まじく、骨すらもボリボリと貪っている。数分もしないうちに池田さんは跡形もなく消滅した。

 俺は文字通りまんまるでほんの少しだけ色づいた彼女の子供たちと一緒に町へと戻ることにした。



 町へと続く下水路を逆流し、池田さんの巣についた。ここは町のはずれでここなら人目にもつかないだろう。町からも水場からも近い、いいロケーションだ。しかし、臭い。下水のにおいだけじゃない。彼女たちの餌が匂っているのだ。奥の方に何か赤い塊がみえた。

 巣には池田さんがいた。それもたくさん。

「あー」

「おかえりー」

「わたなべくん?」

「ゔぁー」

「わたなべくんだー」

 個体によって成長具合が伺えるのがおもしろい。

 生まれたばかりの池田さんは透明度が高く地面を転がったり、飛び跳ねてみたりしている。

 それより少しだけ成長した池田さんは表面がほんのり白っぽくばり、手足のようなものが生えていて、座り込んで自分の手ををじっと不思議そうに見つめたり、転びそうになりながら歩き回ったりしている。

 それより少しだけ成長した池田さんはもうスライムというよりも肉という感じで、顔がついていて意味のない言葉を話したりしている。

「ぶわー」

「ぱ、ぱ?」

 そこから先の池田さんはもう人間みたいに成長していた。

 小学生の池田さん。中学生の池田さん。高校生の池田さん。

 不思議なことにあの日あの店で見た池田さんよりも成長した池田さんは一人もいなかった。


 彼女は魔法で人を操り、食う。俺はその手伝いをする。そんな日々が続いた。そして、俺は一つの異変に気付いた。

「なぜおれは彼女に食われないのか。」

「渡辺くんってあんまりおいしくなさそうなんだ。だから私たちのお手伝いをしてくれればそれで十分だよ。」

 生体の一人に聞いてみたらそんなことを言っていた。幼体に聞いても話が成立しないからな。


 彼女たちの寿命は長くて十日ほど。人間との雑種であるため普通のスライムよりも多少寿命は長いがそれでも短い。主な死因は乾燥だ。どの変異スライムでもそうなのだが、水分と一緒に魔力も逃げてしまうのだ。何とかしてあげたいな。

 そんなことを考えていたある日、魔道具店で面白い商品を見つけた。「魔力だけを通さない布」らしい。よく見るときめ細やかな布には魔力が込められている。何世代も前の転生者が作ったものだろうか。魔力版半透膜のようなものだろうか。試してみる価値はありそうだ。遠い先輩に感謝しつつ、とてつもない値段のそれを購入した。そういえば店主がひどい顔をしていたな。そんなにこの布が大切なら売りに出さなければいいのに。


 巣に帰ってすぐ、実験として巣で一番大きな生体にかぶせた。

「えー!これくれるの?ありがとー」

 池田さんは嬉しそうにしていた。


 実験は成功だ。あの布をかけた池田さんはもう2週間は生きている。ただ、彼女の様子が少しおかしい。ここ三日ほどずっと黙っている。やはり魔力の代謝が行われないことが良くなかったのだろうか。それとも加齢によるボケのようなものなのだろうか。

「私思い出しちゃった。」

「何を?」

「なんで渡辺くんを吸血できないのか。あなたがこの布をかぶせてくれたおかげ」

 彼女は微笑む。

「きっと私を産んだ私も同じことに気づいたんだと思う。」

 そう言って彼女は俺の目を見る。

「渡辺くん。私たちを殺して。一匹残らず。それから......、私たちのことは全部忘れて。」

 まずい。と思ったがもう手遅れだった。

 スライムの駆除は簡単だ。火であぶればいい。ただ俺は火を発生させる魔法を知らない。教会に頼むしかないか。



「これは、変異スライムか!?」

 教会の女はそう聞いてきた。

「はい。吸血スライムと池田さん。僕の友人の魔法がうまい具合にかみ合ったのでしょう。すごいですよね。」

「あなたは。これを焼けと。友人なんですよね」

「はい。一匹残らず。」

「ちなみにその池田さんとやらの魔法に心当たりは」

「生物を操る系の魔法だと思います。目を見ない方がいいですよ。目が合うと魔法をかけられますから。」

「そうですか......。」

 魔法使いの女は背負っていた銀色の火炎放射器を構え、なにかをぶつぶつとつぶやき始めた。火炎放射器には細工がたくさん付いていて一目で高価なものだと分かる。あるいはあの細工も「炎を出す魔法」の要件の一つかもしれないが。女が一通り詠唱し終えると銃身から炎が出た。スライム駆除の始まりだ。俺にできることは見ていることだけだな。


 ふと、白く輝く吸血スライムの牙が目に留まった。つややかで、炎を反射してきらきら光っている。これは記念に持ち帰ることにしよう。


 吸血スライムの駆除はすぐに終わった。教会にはスライム駆除のマニュアルでもあるのだろうか。やけに手際が良かったな。それにしても、なんだかひどく疲れた。頭が痛い。



 目が覚めると教会のベッドにいた。頭が痛い。ここ数日の記憶がない。体を起こすとベッドわきのサイドテーブルで白く輝くものが目に入った。

 手に取ると、これは何かの牙だろうか。

「きれいだな」

 思わずそんな声が出た。


 出発の際、教会の人間が隣町まで同行すると言ってきた。経過観察だそうだ。暇じゃないだろうに、健康そのものな俺に何故。と思ったがいられて困る存在でもない。それにしても、随分とこの街に長居してしまった。クラスメイトの中には緊急を要している者がいるかもしれない。あまりぐずぐずしてはいられないだろう。

 それはそうと、いつもの一張羅が臭くて仕方がない。これは何の匂いなんだろう。簡単に新調できるものはしたが、早くすべて買い替えてしまいたい。



 /* 渡辺がミルーの街を訪れるずっと前 */


 頭が痛い。お腹が痛い。くらくらする。私はそんなことを考えながら街道のような獣道のような所を歩いていた。

 あの事故が起きてから三日は経っただろうか。あれから口にしたものはよくわからない木の実と川の水だけ。きっとそのどちらかがあたったのだろう。お腹が痛くて仕方がない。腹痛のおかげで空腹感は一切感じなくなったけど。

 そもそもなぜこんなことになっているのか。私たちは修学旅行のバスに乗っていたはず。何かの事故に巻き込まれ、気が付いたら私は一人で森の中にいた。他のクラスメイトは一人も見当たらなかった。


 この道を歩き始めてどれだけ経っただろう。もうかなり進んだと思うけど人工物は何も見当たらない。わたしはもうだめかもしれない。


 生い茂る木の隙間、遠くの方に建物のようなものが見えた。やった!あと少しだ。正直もうだめかもしれないと思い始めていたけれど、なんとか間に合った。その一心で私は道を逸れ、一直線にその建物の方へと向かった。

「いてっ」

 躓いた。わたしにはもう元気がないから、こんなにかわいらしい声ではなかったかもしれないが。まあ、声に関しては今はどうでもいいだろう。足元に目をやると赤いぷるぷるしているものが足に引っ付いていた。私はこいつに躓いたのか。

 なんだこいつ。手に取って見てみると透明で赤いぷるぷるの中には白い牙がずらり。これは口だろうか。なんともかわいらしい!ゲームに出てくるスライムってこんな感じなのかな。じっと見ていたらなんだかお腹がすいてきた。食欲が復活したのだろうか。そういえばもう腹痛も感じない。よく見るとこいつ、うまそうだな。

 ぬるり。

 あ、逃げられた。私の食欲を感じ取ったのだろうか。鋭いやつ。と思っていたらスライムは少し先で止まり、こちらを振り返る。そしてぴょんぴょん飛び跳ねる。もしかして私を誘っているのだろうか。よし、ついていってやろう。私はさっき見かけた建物のことをすっかり忘れてしまっていた。


 スライムは彼らの巣に案内してくれた。そこにはおいしそうなご飯がたくさん。

「これ全部たべていいの?」

 ぷるり

 良いらしい。どうも悪いスライムじゃなさそうだ。


 食べ終わると、お腹がいっぱいになって眠ってしまった。それからは目が覚めてもずっと微睡んでいるようだった。ぼんやりとした意識の中、たまにおいしい食事にありつける。それがたまらなくおいしくて、私はしあわせだった。

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