真崎と冷たい監獄 前編

 いつからここにいただろうか。


 不思議なことにお腹は空かなかったし、排泄もずっとしていない。それでもなんともなかった。唯一眠ることだけはできたから初めのうちは寝てばかりいた。


 眠ることに飽きてからは考え事をするようになった。ここには何もないから、ここに来る前のことについて考える。学校のこと。家族のこと。友達のこと。どれも今となっては夢のようだった。


 この部屋には何もない。ただ円形の壁と床があるだけ。天井は無い。どれだけ目を凝らしても天井は見えなかった。天井が高すぎるのかそもそも存在しないのか。

 白くてつるりとした壁は何でできているのだろう。プラスチックにしてはどこか温もりがある気がする。

 この部屋には入口らしきものは一切ついていない。私はどうやってこの部屋に入ったのか。覚えているのはあの交通事故。あれから気が付いたらここにいた。もしかしたら、ここは死後の世界かもしれない。あれだけの事故だ。死んでいてもおかしくはない。仮に死後の世界だとして、ここは天国か地獄か。どちらかと言うと、今の私は全く幸せでないから地獄だろうか。それにしては穏やかすぎる。

 部屋には私の呼吸音と心臓の鼓動だけが一定のリズムで響いている。完全な防音室にずっといると頭がおかしくなると聞いたことがあるけれど、私の精神がおかしくなることはなかった。いっそおかしくなってしまった方が楽なのかもとたまに考える。


 寒い。寒くてしょうがない。


 ある時から私は寒さを感じ始めた。部屋の気温が下がったわけではない。この部屋の気温と湿度はずっと一定に保たれている、気がする。これは私の問題だ。

 ずっと一人でいるせいで寂しくなったのだろうか。私の体にとうとう異変が生じ始めたのだろうか。それとも私の気がおかしくなる前兆だろか。


 とにかく、暖かくなりたかった。暖かいものが欲しかった。暖かいもの。私は家族で行ったキャンプのことを思い出す。焚火。焼きマシュマロ。みんなで生地から作ったピザ。楽しかったな。私が小学生の頃だっけ。あれ以来キャンプには行っていない。きっとお父さんのキャンプブームが覚めてしまったのだろう。もう一回くらいキャンプしたかったな。

 次に私は小学5年生の時に行った林間学校の時のことを思い出そうとした。あれも行ってしまえばキャンプだ。が、ほとんど思い出せなかった。きっと大したことをしなかったのだろう。唯一思い出せたのはキャンプファイヤー。みんなで大きな火の回りをぐるぐる回りながら歌を歌ったっけ。マイムマイム、マイムマイム......。

 懐かしい思い出たちも焼け石に水。私の心は寒いまま。体が震え始めた。


 私はマッチ売りの少女のことを思い出す。マッチ一本であたたかな幻想を抱ける少女のお話。今の私の境遇はマッチ売りの少女以下と言える。彼女と違って私の手元にマッチはないし、寒すぎてあたたかな妄想をする元気もなくなってきた。


 暖かいものが欲しい。暖かいもの。火がほしい。マッチ一本だけでいいから。火がほしい。


 ///


 少しうとうとしていたらしい。目を開くと体の異変に気付いた。体に力がみなぎっている。生きていく活力がみなぎっている。居てもたってもいられず、立ち上がりジャンプしてみた。最近ずっと座っていたから節々が痛むけれど、不快感はなかった。

「うわーーーーーーー」

 大声も出してみた。それでも私はおさまらない。

「そうだ!」

 なぜだかできる気がしたのだ。私は両手のひらを胸の前で掲げる。ちょうど「すしざんまい」のようなポーズだ。「今でしょ」でもいい。しばらくその姿勢で停止する。体中の活力が手のひらに集まる感覚がした。そのまま集まったエネルギーを押し出すように力を加える。

「ふんぬ」

 ぽっ

 手の中で火がともった。

「やった!」

 燃料となる物も無いのに火はあかあかと燃えている。不思議な光景だ。私は火を見つめる。風はないはずだが、ほんの少し揺らいでいる。火が揺らぐ原因は私だ。私の呼気が、私の体の揺らぎがこの小さな火を揺らめかせるのだ。その事実が私にさらなる活力を与えた。

「私は、生きているんだ!」


 火は小さかった。マッチの火ほどしかなかった。

「マッチか」

 私はまたマッチ売りの少女のことを思い出した。これで私もマッチ売りの少女と同列だ。私は何度も火を灯した。ゆらゆら燃える火から元気をもらうために。

 火はその時々で赤かったり青かったりする。

「ふー」

 私は小さな子供のように、息を吹きかけたり、匂いを嗅いだりして小さな火で遊んだ。


 ///


 小さな火ではだんだんと物足りなくなってきた。私はマッチ売りの少女とは違った。私は強欲だった。

 私はこの小さな火を見て、おばあちゃん家の仏壇のろうそくを思い出していた。私の出す火からはろうそくの匂いがした、気がしたのだ。燃料はないはずなのに匂いがしたのだ。

 暗くて静かでじめじめした部屋で、仏壇の周りをほんの少しだけ明るく照らすろうそく。吹けば消えてしまうか細いろうそく。私のおじいちゃんは私が小さい頃に死んでしまった。だからあの仏壇が、あの小さなろうそくとお線香の香りが私にとってのおじいちゃんの記憶のほとんどだった。そこには常に、冷たさと寂しさがあった。

「こんな火じゃだめだ」

 もっと大きな火が欲しかった。もっと暖かくてすべてを照らせるような火が。


 それからはもっと大きな火をともすことにした。はじめのうちはうまくできなかった。マッチの火。ライターの火。カセットコンロの火。火は少しづつ大きくなっていった。手は熱かったが我慢していたら気にならなくなった。


 ///


「よし」

 良い調子だ。火はキャンプファイヤーくらいの大きさだろうか。手で収まるギリギリの大きさだ。「今でしょ」くらいの広さだった私の手は限界まで開かれている。これ以上大きな火を作るにはどうすればいいだろう。

「まあ難しく考えても仕方ないか」

 どう出すのかなんて考えても仕方がない。そもそもこの火が何を燃料として燃えているのか私には分かっていない。ただがむしゃらに、余計なことは一切考えずに火を大きくすればいいのだ。


 ///


「うん」

 私はこの部屋を覆いつくせるほどの火を出せるようになっていた。結局火を出すのに手は関係なかった。手を下ろしていても火はついた。体は完全に火に包まれてしまっているけれど、不思議と何ともない。火傷もしない、ちょっと暖かいくらいだった。暖かさとともに満足感をちょっとだけ感じた。

 ずっと火を出し続けているのに私は一切疲れていなかった。むしろ元気すぎて困っているくらいだ。私は体から溢れ出すエネルギーが燃料となり、火が灯るイメージをしていた。私と私の出す炎との境界は曖昧で、私自身が火に、炎になろうとしていた。


 ///


 それからもしばらく火を大きくし続けた。が、あるときふとやめてしまった。

「はあ、くだらない」

 私は思い出したのだ。もともとは寒かったから火を灯していたことに。だが、どれだけ火を灯しても、どれだけ火を大きくしても私の心は冷たいままだった。体は熱いのに心は寒い。これでは意味がないではないか。昔のことを思い出せば少しだけ心が温まるけれど、それも一瞬のことだった。


 なんだか急にあほらしくなってきた。私は火を消して仰向けに寝転がる。服も燃え尽きてしまった。そういえば火をつけられるようになってから一度も睡眠をとっていなかったかもしれない。久しぶりの睡眠だ。


 ///


 目を覚ました。かなり長いこと寝ていた気がする。夢は見なかった。体はなんとも無いと思っていたけれど、本当は疲れていたのかな。仰向けになったまま上を見る。この部屋に天井はない。壁がずっと上まで続いている。いや、もしかしたらずっと上に天井があるのかもしれない。

 私はこの部屋の天井のことを考える。もちろん天井が存在していない可能性もある。だが仮に天井が存在しているのならば、天井も壁と床と同じできっと真っ白なのだろう。

 私は白くつるつるとした細長い筒のことを思い浮かべた。視界に全容を収めることができない程長い筒。この筒の外側はどうなっているのだろうか。

 何かの建物の一部、というのは考えづらい。何しろこの長さだ。独立してどこかに建っているのだろうか。いや、地中に埋められている方が現実的か。

 それともここは宇宙空間で、この筒がどこかの惑星の周回軌道なんかを回っているのかもしれない。いや、重力があるからそれはないか。

 もっと自由に考えよう。

 外側には何も存在していないかもしれない。この筒の外側は完全な無で、この筒と私だけがこの宇宙の全て、ということもあり得る。この可能性が一番嫌だな。

 あるいはここが死後の世界ならば筒の外側に針地獄がそびえたっている、なんてこともあるのかもしれない。うん、まだ地獄の方がいい。

 ここがゲームの世界や創作世界、誰かの脳内世界なんて可能性も考えられる。考え得る限りで一番つまらない可能性だ、がこれは違う気がした。我思う、故に我あり。というわけだ。詳しい意味は知らないけど。


 私はいろいろな可能性を考えた。現実的な状況から馬鹿げたものまで。そして、多くの可能性に共通する一つの希望に気がついた。太陽だ。

 天井のさらに上。はるか上空には太陽が存在するはずだ。

 もちろん極端な状況では当てはまらない考えだ。だが、多くの状況でこの考えは正しい。なぜなら私という人間が存在するためには太陽が必ず必要となるからだ。太陽はあらゆる生命のエネルギーの源。つまり、私の存在そのものが太陽の存在証明だったのだ。

 もちろんこの考えは穴だらけだ。私はこの筒にとらわれてから一度もエネルギーを補給していないし、私が火を発する理由もわからない。解決していない疑問や考慮すべき事象はいくらでもあった。が、この時の私にはこの考えが絶対に正しいという確信があった。そして、その確信は正しかった。


 天井の先には太陽がある。その確信を得た私は急激に太陽のことが恋しくなっていた。太陽。暖かくて優しい太陽。どうして今まで気づかなかったのか。暖かいものと言えば太陽があるではないか。私の出すちんけな火なんて比べ物にもならない。太陽。太陽が恋しい。日光を浴びたい。

 ふわりと、干したての洗濯物の香りがした、気がした。

 次に何をすべきかすぐに気づいた。火と違って太陽は私が作る必要はない。太陽は頭上にある。頭上にあるものが太陽だ。遠い宇宙でただ一人、燦々と輝いているのが太陽だ。太陽が見たいのなら上へ行けばいい。遮るものをすべて乗り越えれば、太陽を感じられる。

 上を目指そう。


 都合がいいことに私は自分の体を火にすることができた。燃料のいらない火になることができた。火は上へ向かう。上昇気流で、温度による気体密度の差によって、乱流の効果によって上へ向かうのだ。今までの私は自分の体が火になっているとき、上へ行ってしまわないように踏ん張っていた。そんな必要はなかったのだ。

「なーんだ」

 今まで頭の中でごちゃごちゃしていたことがするっと解ける感じがした。


 私は自分の体を燃え盛る炎にして、上へ上へと昇り続けた。



 ぷかりぷかり。

 私の体は上昇し続ける。1時間は経ったがまだ先は見えない。まあ、焦る必要もないだろう。



「ふわぁ」

 気が付いたら眠っていたようだ。思った以上に縦に長かったのだ。どれだけの時間が経ったのかはもうよくわからない。

「ん?」

 頭に変な感触がある。上を見ると真っ白な天井。私は一番上まで来たのだ。下を見下ろしたが床は遥か彼方。もう見えなくなっていた。

「やっと着いたか」

 天井が存在していることに安心した。この筒が無限の長さを持つ筒で、もし天井が存在していなかったら私は永遠に上昇し続けることになっていただろう。それはちょっとしんどい。

「......」

 どうしよう。ここからどうするか全く考えていなかった。いくら私の体が火になって、好きに上下に移動できるようになったからってそれだけで太陽を拝めるわけではない。

 上を見ると真っ白な天井に少しだけ煤がついていた。燃料無しに燃えているはずなのに。

「そうだ」

 ものすごく単純な解決方法を思いついた。今の私は火だ。火の本分は何だ。燃やすことだ。すべて燃やしてしまえばいい。当然簡単には燃えないだろう。こんな材質見たことがない。だけど温度を上げ続ければいつかは燃えるか、溶けるはずだ。高温に耐えられる物質は存在しない。ダメだったらまたその時考えよう。

「ふんっ」

 私は体に力を込める。すべてを燃やしつくして、日光をあびるために。

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