第5話 イシダ病院

 年を取れば取るほど、

「年を重ねるとはよく言ったもので、まわりが見渡せるようになるものだ」

 と言われる。

 それは、それだけ冷静になって物事を見ることができるということなのだろう。

 それを思うと、

「老先生は、いい年の取り方をしたのだ」

 といえるだろう。

 実際に、今から10年くらい前までの老先生は、今のように人間が丸かったわけではない。

 冷静ではあるが、

「冷徹な部分が見え隠れしていた」

 と言われているが、それは、

「冷静になろうとしているのに、実は冷徹になっているからではないだろうか?」

 と言われていたのだった。

 だが、ある時から、急に

「老先生は、丸くなってきたな」

 と言われ出したのだ。

「少なくとも奥さんが存命中には、そんなことはなかったな」

 という人がいて、

「それだけ、奥さんの死は、老先生の中で見えずに潜んでいたものがあるのか、それが表に出てきたのではないか?」

 と言われるようになってきたのだ。

「やっぱり、若先生夫婦が帰ってきたからじゃないか?」

 と言われることが増えてくると、

「そうだそうだ。きっとそうに違いない」

 とまわりは、口々にそう言っていた。

 一町医者が、ここまでまわりから気にされるというのは、老先生が、いい意味で、

「昔から、この街の象徴のようなところがあったからかな?」

 という人が増えてきたようだった。

「やっぱりこの街の象徴として、イシダ病院は、欠かせないものだったんだろうな」

 と言われるようになってきたのだ。

 老先生は、本当に丸くなったのは、

「奥さんがしっかりしていたからだろうな?」

 とウワサをしている人もいた。

 確かに、

「奥さんが亡くなったことで、放心状態になり、何も手につかない状態ではあったが、奥さんは、いつも先生にいろいろやらせていたからな」

 という人がいた。

「どういうことだい?」

 と聞かれて、

「普通だったら、奥さんがいれば、奥さんが何でもするだろう? だけど、あの奥さんは、ずっと一人でやってきたことを最近、老先生にもやらせて、一緒にするという感じだったんだよね。最初の頃は、それが楽しみなのかと思っていたけど、先生にもやらせて、覚えさせていたんじゃないかって思うんだよ」

 というので、

「まるで奥さん、自分が死ぬことを予感していたみたいじゃないか?」

 と聞かれて、

「そうなんだよね。先生はそう思っているようなんだ。先生は、奥さんと一緒にするようになった頃、冗談で、あいつは自分が死ぬのを予感しているようじゃないかって言っていたって笑ってたよ」

 というので、

「えっ? あの先生、そういうブラックユーモアを言えるんだね? じゃあ、そのせいで奥さんが亡くなったと思って。自戒の念に駆られているということかな?」

 というと、

「いやいや、そんなわけでもないようなんだ。先生は決して、後悔しているわけではないんだ。ただ、奥さんがいなくなったことに素直にショックを受けているだけだと思うよ。だから、いきなりショックから立ち直るんじゃないかと思うんだよ」

 というので様子を見ることにしたのだ。

 だが、その時、一緒に、

「奥さんが死を予見していたのは、ウソじゃないかも知れないとも思うんだよね?」

 というので、

「どうしてですか?」

 と聞くと、

「だって、あの奥さん、断捨離のようなことを始めたんだって、先生言ってたからね」

 というので、

「断捨離? あの若さで断捨離って。ただ単に整理をしていただけなじゃないのかな?」

 と聞く。

「いやいや。あの奥さんは、逆にそういう冗談は嫌いなタイプだったんだよな。だから、先生は、奥さんのことを、たまに、あいつが俺くらいに冗談が通じれば、もっとたくさんの友達ができたんだろうけど、でも、多いからいいという者でもない。彼女にとってはちょうどいいくらいなんだろうなって、先生は、一人でボケ突っ込みのようなことをしていたんだよ」

 と言っていた。

「あの先生なら言いかねないな」

 というと、

「そうそう、だから、先生がうまくコントロールしていたんだけど、今から思えば、本当にコントロールしていたのは、奥さんの方だったんじゃないかって思うんだよ。ただ、先生にはその意識はなかったんだろうけどね」

 という。

「確かにあの先生ならありえることだよな。でも、奥さんが、そんなに実直で律義とは思わなかった。奥さんこそ、おおざっぱな性格なんじゃないかって思っていたんだけど、気のせいだったのかな?」

 という。

「先生は、今でこそあんな感じだけど、すぐに復活するさ。昨日までのことを忘れたかも知れないというくらいの復活の仕方をするかも知れないな」

 というのだった。

 二人の会話は、どこかピントがずれているようで。案外と的を得ていたのだった。

 どこに的を得ているのかというと、その時は分からなかったのだが、一つだけ真実はハッキリしたのは、

「先生がいきなり復活した」

 ということだったのだ。

 復活した先生は、それから、仕事だけではなく、家事もしっかりやるようになっていた。

 それまでは見かねて看護婦がやってくれていたが、看護婦も、

「あの状態なら、息子さん夫婦が戻ってこないと、無理があるかしら?」

 と考えていた。

 かといって、

「自分がかまうのも限度があるわよね」

 と看護婦は思っていた。

「自分が先生の奥さんになったわけでもないし、そんな気もないし、かといって、放ってもいけないし……」

 ということで、ジレンマ状態になっていたといってもいいだろう。

 そんな状態だったものが、いきなり、

「すみません、今日から私がキチンとします」

 と言いだすではないか。

 最初は、

「ハトが豆鉄砲を食らった」

 というような気分だったが、先生の目を凝視しているのに、先生は彼女の視線から、自分の目をそらすようなことはなかった。

「これなら、大丈夫かしら?」

 と思った看護婦は、

「先生、本当に大丈夫なんですか?」

 と、念を押すように、そして、その顔を覗き込むようにすると、

「ああ、大丈夫だよ」

 といって、微笑み返した顔に、見覚えがあったことで、

「ああ、これなら大丈夫だ」

 と思ったのだった。

 実際に、翌日からの先生は、完全に生まれ変わったようにてきぱきと動いていた。

 年齢も年齢なので、そのあたりはしっかりと制御してあげないといけないということは分かっていたので、気を付けて見ていたが、

「あれが、この間まで、身体にガタが来たというようなことを言って、なるべく怠けようとしていた人の態度なのかしらね?」

 と思い、自分でもビックリしていたが、その思いに間違いはないようだった。

 看護婦はそれを見て、

「まるで奥さんが乗り移ったかのようだわ」

 と感じると、それだけで、先生が大丈夫なことは分かった。

 思わず、息子さんに連絡をしたが、息子も喜んでいた。

 息子とは、以前母親の葬儀の時に、

「親父に何かあったら困るので、連絡だけは取れるようにしておきましょう」

 ということで、スマホのアプリである。

「LINE」

 をつないだのだった。

「よほどのことがなければ、連絡することはありません」

 と、お互いにいっていたのだが、看護婦の方から連絡があった時、さすがの息子もビックルしたという。

「まさか、親父が後追いとかしないよな」

 と自分に言い聞かせていたが、

「いやいや、そんなことはないだろう」

 と、否定する自分もいた。

 それでもやはり連絡があったわけなので、それなりに、覚悟というものをしたのも間違いのないことだった。

 だが、内容はまったく正反対で、元気な父親の復活した話だったので、喜びよりも、安堵の方が強かったのは、当然といえば当然であろう。

 覚悟まで決めたつもりだったので、一気に身体が楽になった。その瞬間、

「親父に遭っておくか?」

 という衝動に駆られ、家の立ち寄ったのは、看護婦から、連絡をもらった次の日のことだった。

「元気になったんだって?」

 と、気軽に声をかけると、

「ああ、お前にも心配かけたが、もう大丈夫だ」

 と、父親は言った。

「本当に?」

 と聞くと、やはり懐かしい笑顔が見えたので、

「これなら、大丈夫だ」

 と思ったのだ。

 父親が元気になったことで、病院もだいぶうまくいくようになってきた。

 最初こそ、

「親父が大丈夫なら、このまま帰らなくていいか?」

 と、若先生は言っていた。

  半分は冗談なのだろうが、奥さんが睨んでいるのを見ると、半分の本気の方を見透かされたようだった。

 見透かされたといっても、彼は、慌てることはなかった。奥さんの方に従えば、万事うまくいくということを分かっているからだった。

 だからと言って、奥さんに、

「接待服従」

 というわけではない。

「お互いに、リスペクトするところは、しっかりリスペクトをする」

 ということであった。

 つまり、

「自分の意見だけを押し通しても、夫婦の間で決めることを、無理強いしては、ロクなことがない」

 ということを分かっているのだ。

 その教訓を教えてくれたのは、母親だった。

 といっても、自分の口で説明したわけではなく、父親と母親の関係を見ていると分かるというものだ。

 だが、父親の方は、

「俺の背中を見ろ」

 という雰囲気ではなかった。

 母親の方が、控えめであったが、自分を見てほしいアピールをするのだ。

 そう、

「母親が向こうを向いて立っていて、それをしゃがみこんで見上げているところに、首だけを回してこちらを見下ろす時、ニッコリと笑っている」

 というような雰囲気を感じるのであった。

 そういう意味では父親は絶対に振り向かない人だった。

 向こうを向いていて、どういう顔をしているのか想像もつかない。だから、父親の背中しか見えないのであった。

「子供は親の背中を見て育つ」

 といわれるが、

「あんなものはウソだ」

 と若先生は思っていた。

 というのも、

「背中を見るだけではなく、たまに、こっちを振り向いた時の顔を見ながらでないと、自分勝手な解釈に走ってしまう」

 と思うのだった。

「自分一人で解決できないから子供なのであって、背中を見ているだけで分かるくらいだったら、自分で解決できるのではないか?」

 と思えてきた。

 親の世代は、それでも、あくまで、

「親の背中を見て育つ」

 というような教育だったのだろう。

 それだけ、大人は威厳を持っていて、子供が逆らうことができないだけの考え方で、子供を導いていたのだ。だから、叱ることもキチンとできていた。今の時代、叱ることができないのは、

「子供からの仕返しが怖い」

 というのか、あるいは、

「まわりから、体罰だといわれるのが怖い」

 ということなのかのどちらかであろう。

 大人と子供というものの違いを考えた時、

「大人というものをいかに子供が解釈できるか?」

 ということで、今と昔が変わってきたのかも知れないと、若先生は思っていた。

 もっとも、まだ自分が子供も持ったことがないので、その理屈が分からないが、子供を持つまでに自分の考えを証明することができるのか、自分でも想像がつかなかったのだ。

 そんな若先生が、帰ってきてからは、病院の方も落ち着いてきて、それまで、患者の数をある程度制限する形もあったが、それを撤廃することができるようになったのだった。

 それまで、大きな病院に行っていた人も、この病院に流れてくるようになり、簡単な手術くらいならできるようになり、その分、入院施設も、少しであるが、

「術後の様子見」

 というくらいの入院ではあるが、やはりあるとないとでは大違いで、患者も気楽にやってくるようになった。

「大きな病院が近くにあるのに、今だに町医者が人気というのも、面白い傾向だよな」

 と、若先生は言っていた。

「大きな病院は、融通が利かないというか、昔から待たされたり、下手をすれば、たらいまわしにされたり、もっと言えば、紹介状がないと、なかなか受診できないでしょう? そういう意味で、個人病院がまたしても、人気になるんじゃないのかしら?」

 と奥さんは言っていた。

 確かにそうである。

 ちょっとした風邪であったりすれば、個人病院で治療を受けるくらいの方がいいに決まっている。

 本当に長い療養を必要とする病気などは、個人病院では難しいが、ちょっとした病気であれば、融通の利く病院の方が気が楽である。

 特に今は、治療費もバカ高くなってきたので、ただでさえ、

「少々の病気なら、病院に行くのがもったいない」

 と思うのだった。

「政府は一体何をやっているんだ」

 という声が当たり前に聞かれる。

 だってそうだろう。

 昔であれば、被保険者であれば、初診料を払えば、後はタダだった。扶養者で会っても、高くても1割負担くらいの時期があったように記憶しているが、間違いだろうか。

 しかし、今では、被保険者も扶養者も、どちらも3割。

「ちょっとした風邪」

 であっても、治療費と、内服薬をもらうという一回の治療だけで、三千円以上かかるのだ。

 昔だったら、

「市販用の薬を買うよりも、病院で診てもらって、点滴でも打ってもらうのが、一番だ」

 といわれていたが、今では、

「明らかに市販の薬を買っておいて、それを常備薬として用意しておいた方がよほどマシだ」

 ということになるだろう。

「一体、何がどうなっているのか?」

 と言いたいのは当たり前である。

 令和4年の年末において、今の消費性は10%、欧州諸国に比べれば、かなり少なめであるが、率からいうt、

「実に中途半端だ」

 といえるのではないだろうか。

 そもそも、消費税を導入し、徐々にその率を上げていったのは、

「その分を社会福祉に回す」

 ということを理由に、国民を納得させてきたのではないか?

 正直、納得させたと思っているのは、政治家の側だけで、国民が増税されてそう簡単に納得できるわけもない。

 確かに欧州では日本よりも、かなりの率の消費税を取られているということであるが、実際には、その分がちゃんと社会福祉に使われているということが、誰の目にも明らかになっていた。

 要するに、

「消費税が何に使われているかなどということなど分かるわけはないが、増税したら、その分、社会福祉が充実したということが分かりさえすれば、国民は納得するのである」

 ということなのだ。

 しかし、日本という国はどうだ?

 海外など、

「医療費がタダ」

「教育費がタダ」

「老後の心配をする必要はない」

 というくらいに充実しているではないか。

 しかし、日本の場合は、とんでもないことになっている。増税したのに、

「医療費や、健康保険代は、毎年のように高くなっていく」

「教育費も一向に安くならない」

「年金に至っては、政府が年金記録を、そのずさんな信じられない管理によって、消してしまうという事件が発覚」

 と、さんざんではないか。

 年金に関しては、

「かつては、定年が55歳で、年金支給も55歳だった」

 という時期があり、

「働けると思う人は、55歳から60歳まで、働いてもかまわない」

 というようなことだった。

 それがいつの間にか、一般の会社の定年が、60歳くらいになってしまった。

 さらに、信じられないことに、

「年金支給は、65歳から」

 というありえないことをするのだ。

「空白の5年間は、どうすればいいんだ?」

 ということになるが、その時は、企業に、

「65歳まで働かせてもらえばいいじゃあいか」

 ということを平気でいう。

 企業によってあ、そんな簡単なわけにもいかないところもある。また。延長雇用といっても、雇用形態が、嘱託社員扱いになり、年収は、相当減ってしまうことだってありえるのだ。

 そんなことを考えると、

「年金制度が崩壊しかかっている」

 といわれてきたというものだ。

 しかも、そこに、

「まるで、脳天を斧で叩き割るかのような、信じられない事件が起こった」

 のだった。

 というのも、

「かつて存在した、国民を番号で管理しようとした最初の方法として、住民基本台帳なる、住基ネットというものの導入を政府が考えていて、その手始めに、年金資料を、コンピュータに打ち込もうとした時、それまでのずさんな管理が浮き彫りになり、かなりの数の年金支給に誤りや記載漏れがあった」

 ということを、政府が発表したのだ。

 当然、国民は大混乱。

「俺の年金はどうあったのだ?」

 と皆、税務署に問い合わせる自体に陥り、さらに大混乱となる。

 ただでさえ、年金受給が、どんどん安くなってきて、

「年金制度の崩壊の危機」

 といわれていたものが、

「実は崩壊していた」

 という恐ろしいことを聞かされ、結局、政権交代の一番の要因となったのだった。

「それはそうだろう。サラリーマンの場合などは、有無もいわさず、給与天引きで、強制的に、厚生年金を払わされているのだ。

「もらえて当たり前」

 と思うのは当然ではないだろうか?

「銀行にお金を預けておけば、利子がつくというのが当たり前だ」

 というのと同じことである。

 そもそも、銀行の利益も、とんでもないことになっている。昔にくらべて、年利というのは、小数点以下のかずが、3つくらいは違っているのだ。昔であれば、

「少々の貯えがあり、銀行に貯金しておけば、利子だけで食っていける」

 などと、ウソか本当か分からないようなことを言われた時期があったものだ。

 それが、今では、どんどん、年金取得を高齢化していき、こともあろうに政府は、

「死ぬまで働け」

 と言いだす始末だった。

 さらに信じられないのは、

「年金を定年になって受け取るのではなく、若いうちに受け取る。そのかわり、額はめちゃくちゃ少ない」

 という、政府にだけ都合のいい、そして、まるで、

「年金制度の崩壊」

 というものを、自らが公開しているようなものであることを言いだす始末だった。

 もうこうなると、

「我々政治家が無能だったので、国民にその責を負わせることになるが、国民なんだから、甘んじてそれを受け入れろ」

 といっているようなものだ。

「増税はするが、健康保険も、年金もあてにはならない。こんな状態の政府のどこを信じればいいというのか?」

 さらに、世界情勢において、隣国がヤバイことになっているということで、

「防衛費を上げる」

 と言い始め、

「そのための財源を、増税で」

 という、バカげたことを言い始めた。

 それまで、簡単にできることや、都合の悪いことは、

「検討します」

 といって、実は、

「絶対に見当も何もしない」

 ということを言っていた、

「遣唐使」

 というありがたくない渾名を拝命した今のソーリ(この作品を公開する時、すでにソーリではない可能性が大きいが、いや、まだソーリだったら、この国は終わっているというレベル)に、そんな決断力があるわけはないと思っていたのに、他のことはごまかしたくせに、こういう国民に無理強いをするようなことは、強行突破で、強引に決定しようとするのだ。

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