その74「コマを回そうとした」

 バイトから帰ってくると、汐里が床でうずくまっていた。よく見ると、コマにひもを巻いているようだった。


 「どうしたんだ、そのコマ」


 「幼稚園で、つくった」


 見ると、その木製のコマにはペンでカラフルに色が塗られている。


 「ぜんぜん巻けない」


 汐里は一生懸命に巻いているが、力が弱いためか途中で崩れてしまう。


 「……………」


 なおもがんばっているが、うまく巻けない。可愛く眉間にしわを寄せていた汐里も、数分ほど格闘していると、やがて冷ややかな目になってきた。


 「………けっ」


 「いじけるな」


 もはや汐里にやる気は失われ、最終的にはコマとひもを布団の上に放り投げてしまった。


 「べらんめえ……!!」


 「悔しいと江戸っ子になるのか……」


 俺はコマを拾い、巻いてやる。コマの底の形状が斜めにできているため、少し強めに巻いてやらないとすぐにほどけてしまう。幼稚園児でも十分できることなのだろうが、多少の慣れは必要だろう。


 「できたよ、汐里。これで回してみな」


 汐里は受け取り、構える。幼稚園で習ったのだろう、構え方は様になっていた。


 「いけっ……!!」


 汐里が思い切り腕を振り、コマを。だがそれは角度の問題か手首の問題か、うまく回らずに床に叩きつける形になった。


 「シット……!!」


 「おお、欧米の悔しがり方もできるんだな」


 「ダムンシット……!!」


 「しかも結構バリエーションあるみたいだな」


 汐里はコマを拾って、ひもと一緒に俺に渡してくる。また巻いてくれ、ということだろう。


 俺が巻いている間も、汐里の機嫌はあまりよくなかった。


 「こういうの、あんまりよくないと思う」


 「どういうのだよ」


 よくわからないことまで言い出す始末だった。


 「世界をみれば、回せないのはきっとしおだけじゃない」


 「本格的に現実逃避し始めたな」


 「おねーちゃんも、きっと回せない」


 「えっ、回せるよ?」


 ゲームを中断して、深月姉は振り返り言った。


 汐里は深月姉をまじまじと見る。


 「………おねーちゃん、うそはよくない」


 「え、嘘じゃないよ?」


 「うそつきは、どろぼーのはじまり」


 「だから嘘じゃないってば!」


 見ててよ、と深月姉は俺からコマを取り、構える。そして勢いよく放つと、コマはきれいに床の上で回りだした。


 「ふふん、どう汐里ちゃん?ちゃんと回せてるでしょ?」


 「……………」


 回っているコマを、呆然と見つめる汐里。そしてコマが回転を終えて床を転がったとき、汐里はそれを拾って、ひもと一緒に幼稚園カバンにしまった。


 「………コマなんて回さなかった」


 「最初からなかったことにしたのかっ!?」


 ここまで無理やり現実逃避をしたとなると、俺たちもそれ以上話しかけることはできなかった。深月姉はゲームに戻り、俺も夕飯の仕度にとりかかる。


 汐里は夕飯ができるまで、ずっと部屋の片隅で三角座りをしていたのだった。

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