その72「英国紳士になった」
「しおのことは、これからマリアンヌと呼んでほしい」
それは突然の宣言だった。俺と深月姉は、夕食のレバニラを食べながら、呆然と汐里を見た。
「あの、どうしたんだ、汐里?」
「しお、これからイギリス人になる」
「マジか」
これまた突然の国籍変更の知らせだった。
「ゆーいちも、イギリス人になってほしい」
「俺もかよ。……いや、その前に、どうして日本人でいたくなくなったのかだけ聞かせてくれ」
「なんか、地味」
「国籍に地味とか派手があるのか……」
汐里だけの感性のため、もはや俺たちでは理解不能の領域だった。
「で、汐里がイギリス人になって、俺もイギリス人になる。深月姉はどうするんだ?」
「なに人でもいい」
「投げやりすぎるよ汐里ちゃんっ!!」
深月姉が思わず叫ぶ。汐里としては、深月姉の国籍にはあまり執着していないようだった。
「で、ゆーいちは、一緒にパーティに出て欲しい」
「……パーティ?」
俺と深月姉は、首をかしげて汐里を見るのだった。
それから汐里から話を聞いて、ようやく合点がいった。
汐里の幼稚園の友達、さきちゃんと今日、パーティについて話したのだという。家が資産家ということもあるからだろう、さきちゃんは両親に連れられて、たまに参加するらしい。でもさきちゃんの聞いた話によると、イギリスでは毎晩のようにパーティが行われているらしく、英国紳士がレディをエスコートするのだそうだ。それを汐里がさきちゃんから又聞きして、今に至るというわけだ。
「しおも、パーティに出たい」
「なるほど。それでイギリス人になって、マリアンヌなわけだな」
それでパーティに誘われるようになると考えているのが、なんとも子どもらしくて可愛かった。
「ゆーいちは、しおをエスコートするから、えーこくしんしにならないといけない」
「なるほど」
「えーこくしんしになって、しおをエスコートして」
イギリス人になる、という対策だけで英国紳士にカテゴライズさせてもらえるのかは疑問だったが、俺は仕方なく立ち上がる。そして、レバニラを食べる汐里に向かって、うやうやしく頭を下げた。
「マリアンヌさん、よろしければご一緒にパーティに行きませんか?」
「……ダメ。0点」
早速失格を食らった。
「なにがいけなかったんだよ」
「食べてるとちゅうに立ち上がっちゃダメ」
「そこかよ」
俺はきちんと座り直し、レバニラを食べる。汐里は話しながらも、合間合間に食べていたようで、俺たちの中で一足先にごちそうさまをしていた。
「さぁロバート、はやくもういっかい誘って」
「俺ロバートかよ」
俺は今度は座ったままで、茶碗と箸を持ったまま頭を下げた。
「マリアンヌさん、よろしければご一緒にパーティに行きませんか?」
「おっけー」
「カジュアルな回答だなぁおい」
汐里側には英国っぽさは求められていないようだった。
「こんどは、パーティのれんしゅう。ロバート、ダンスに誘って」
「マリアンヌさん、よろしければご一緒に踊ってくださいませんか?」
「ダメ」
「どうしてだ?」
「踊りに誘ってるのに、ゆーいち立ってない」
「今度は立てときたか」
俺は仕方なく立ち上がり、汐里と向かい合う。
そして、汐里は右手を差し出した。俺も右手を出す。
「………………」
「………………」
「………せっせっせーのよいよいよい」
突然手遊びを始めたのだった。
「あ、あの、汐里さん、これはどういう……?」
「パーティでのダンスは、『せっせっせーのよいよいよい』。これはじょうしき」
「どこの常識だよ……」
なおも、俺は汐里の『せっせっせーのよいよいよい』に付き合わされる。そして一通り終えたとき、満足げに微笑んだ。
「かんぺきだ……」
「そりゃどうも」
汐里は期待に満ちた目で、天井を見上げた。
「これでしおもゆーいちも、かんぺきなイギリス人」
「そうなのか」
「明日、パーティにさそわれるだろうか……」
ご機嫌でレバニラの皿と茶碗を流しに持っていく汐里。俺と深月姉は、顔を見合わせ笑いあった。
汐里の子どもっぽい一面を見れた一日だった。
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