その70「深月姉がダイエットを始めた」
「だいこんを一つください」
六畳一間の部屋、その一角に、汐里はタオルケットを敷いて、おりがみを並べていた。
「ありません」
「え?」
「だいこんは、ありません」
汐里の言動に、俺は少し混乱する。俺は汐里の膝元にある折り紙を指差した。
「いや、でも、ここにだいこんあるけど?」
「これは、白いにんじん」
「まぎらわしいよ」
特別な品種改良をした野菜のようだった。
今日の汐里は、八百屋をしているようだった。八百屋をしながら今日はレストランも経営しているという。小売業から飲食業界にまで手を伸ばしている、ベンチャースピリッツあふれた幼稚園児なのだった。
「それじゃ、おにぎりもらえますか?」
汐里は頷いて、紙の玉を入れたティッシュペーパーの箱を差し出す。そこにはクレヨンで部分的に色が塗られていた。
「この赤い丸が描いてあるのは、梅干かな?」
「そう」
先ほどの白いにんじんのように、「食紅を塗ったグリーンピース」とかではなかったようで、ひとまず安心する。
「それじゃ、これをもらおうかな。いくらですか?」
「17万円」
「高っ!!」
俺の反応に、汐里は首を傾げる。
「……でも、にーがた県産こしひかりをつかってる」
「だとしても全然高いよ。おにぎりでいいパソコン一台買えちゃうよ」
「……うめぼし2個入れてあげる」
「そんなサービスで納得できる金額じゃないんだよ」
そんな会話をしている横で、深月姉は珍しくゲームをせず、じっと部屋の隅で三角座りをしていた。それはまるで、気分が沈んだときの夏夜姉のようであった。
「どうしたの、深月姉?」
「夕一……」
顔を上げた深月姉は、ひどく暗い表情をしていた。おおよそいつもの能天気な深月姉だとは思えない。
「なにかあったの?」
「うぅ、それが……」
深月姉は風呂場の近くを指差す。そこにはデジタルの体重計が置かれていた。
「久しぶりに計ったら、働いてたときより3kgも太っちゃってたんだよう」
「ああ、そういえばほんの少し、前よりふっくらしてるかもね」
その一言に深月姉はまた深く沈みこみ、顔をうずめてしまった。
まぁ、深月姉の普段の生活を考えてみれば、当然のことだろう。一日のほとんどを部屋の中で過ごし、家事もろくにせず、寝るか食べるか遊んでいる。家を出るのは汐里を迎えに行くときくらいなものだ。これでは、寝たきりの老人とほとんど変わらない。
「決めた!私、ダイエットすることにする!」
突然、深月姉はそう高らかに宣言した。
「へぇ、よく決断したね。がんばって」
「えっ、ちょっと待ってよ。今私すごく悩んで決めたんだよ?ちょっとあっさりしすぎてない?」
「まぁそりゃねぇ。だって深月姉の決断って、いっつも継続しないんだよね。決めたのはいいけど、次の日には決めたことすら忘れちゃってることだってあるし」
過去にも、ダイエットをしようと決めたこともあれば、早寝早起きを習慣づけようとしたこともある。だが、いつも決まって3日と続かず挫折するのだった。
「今回はがんばるからさぁ。夕一も応援してよ」
「まぁ、応援するくらいならいくらでもするけどさ……」
「それじゃ、ダイエット用のこんだてを考えて!」
「…………ええっ!?」
俺のこの当然の反応に、むしろ深月姉の方が驚いているようだった。
「えっ、だってそうでしょ?私に運動なんてできるわけがないし、だとすれば食事で減らしていくしかないでしょ?ご飯は夕一が作ってくれてるし、ここは夕一に任せるしかないんだよ」
「まぁ、言われてみればたしかにそうかもしれないけど……」
だとしても、いくらなんでも丸投げすぎる。結局苦労するのはこちらではないのか。
「……はぁ。仕方ないから協力するけど、深月姉も深月姉なりに努力してよ。間食をなくして、ジュースをお茶に変えるくらいのことはしてもらわないと」
「うーん、やっぱりそうなるかぁ……。わかった。がんばるよ」
深月姉はガッツポーズをつくる。そして「やるぞー」だの「絶対成功させるぞー」だの言って、気分を高揚させている。俺はそんなことをよそに、今日のご飯のレシピを考えていた。もう買い物は済ませているため、今からなにか別のものに変えるというのも面倒な話だった。
俺は冷蔵庫を開いて、思案する。その間に、深月姉はご機嫌さんで汐里と一緒にお風呂場に入っていった。
そして考えがまとまり、調理をはじめる。2人が風呂から上がって少ししたところで、料理は完成した。
「できたよ」
「おお!私の初日のダイエット料理が!」
俺はちゃぶ台の上に皿を並べる。その内容を見た瞬間、笑顔だった深月姉の表情が一気に曇った。
深月姉に出したのは、肉なしの野菜炒めと豆腐だった。対して、俺と汐里は豚肉の入った回鍋肉と白飯だった。
「あの、夕一、これはなにかな……?」
「なにって、野菜炒めと豆腐だけど」
「こんなのダイエット料理じゃないよ!ほら、こういうのってさ、カロリーが低いけど満足感のある食事っていうのが通例でしょ!?」
「カロリー低いし満腹になるじゃん」
「満腹になるけど、違う意味で満足感を抱けないよ!こんなベジタブルに満ちた生活嫌だよ!」
そうは言いながらも、出された料理をしょぼんとしながら食べ始める深月姉。いつもならば俺の料理を横取りしそうなものだったが、今回ばかりはかなり危機感を持っているようだ。
こうして、不満たらたらながらも、深月姉のダイエットは幕を開けたのだった。
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